毀誉褒貶
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」(山本五十六)
褒めることは難しい。長所を見つけることよりも、短所を見つける方が、遥かに簡単だからだ。
やって見せることもなく、言って聞かせる事もなく、やらせることもなく、褒めることさえしなければどうなるか。
自分が健康で、強いうちは周りはイエスマンだらけだろう。誰も信用せず、強い自分を見せれば、畏怖の対象になるかもしれない。
でも、人は誰でも衰えが来るものだ。
そうした時に、ふと周りを見たら誰もいない。という事態になるのは、容易に想像できる。
だから、やっぱり。人を褒める習慣を身に着けていたい。
けれどもそれは、ともすれば人に媚びへつらう態度に見えるかもしれない。
だからやはり、褒めることは難しい。
そのため、多くは叱る方にシフトしがちだ。その方が無難だからだ。
そうして、人を叱り、否定し、殴りつけて支配すれば、一応平穏に見える。たとえ奥底では、怨嗟の心が渦巻いていたとしても。
真に相手を褒めようとすれば、相手を過小にも過大にも評価せず、向き合って、よく見つめ、一人の人間として尊重しないといけない。
奇をてらう必要はない。ありのままをただ真っ直ぐに行うだけでいいんだ。
でも、実はそれが、一番難しいのだ。
だからこそ、挑戦する価値があると私は思う。
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