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書評 大河ドラマ級!"下級武士の成り上がり物語" 武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新

最高の時代物を見つけました。
大河ドラマにも出来るような内容!

頭から消えないうちに書き示します。

🔴何がそんなに面白いのか

それは、現代を生きる凡人サラリーマンでも、変化の激しい今を、どのように生き抜いていくのかのヒントになるような示唆に富んだ物語。
貧しくても、真面目にコツコツにやっていくこと。
計算技術に長けた人間は、身分制度すら打ち破る。政治、金に惑わされず、国のために、主君のために尽くし、家族を守り、最後は海軍の幹部になり、東京の一等地に家を構えるまでに。


■いっぱしの下級武士(武家の家来の家来レベルの武士)がたった50年弱で身分制度を超えて出世。
最後は藩主の側近、明治政府の海軍の幹部まで上り詰めて年収3500万円にまでなる物語である。

■重宝されるのは今も昔も「ずば抜けた計算能力があること」や「几帳面な筆(ストーリー)に長けたひと」

■明治以降を生き抜いた武士は、世の中の変化に対応できた士族だけ。その割合たった14%程度。
名誉、地位、慣例に固執するあまり没落していった。今までの常識、世間からの目にとらわれないことが大切であったのだ。

🔴物語の概要
家来の家来、つまり下級の貧しい武士であった猪山家が、どのようにして出世をして行ったのか。
江戸後期〜大正時代までを生きた、下級武士の成り上がり、苦しみ、家族のやりとり、、、
家計簿と手紙から生々しくあぶり出される名作。


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以下は、特筆すべき部分のメモ。

主人公の家柄となる家は、現在の金沢市にあたる、加賀百万石で有名な、加賀藩にあった、とある下級武士の「猪山家」の家計簿の話。

1842.7〜1879.5までの37年間の記録である。
途中1年2ヶ月は抜けているが、ほぼ完全体で保存されていた古文書家計簿。

🔷藩の行政機関は、厳しい世襲制、身分制であったが、ソロバンがわかる職種だけは例外。
御算用者は、比較的身分にとらわれない登用がなされていた。幕府の勘定方も同じ。
ソロバン関係職は、身分制の風穴になっていたのである。

元来、百姓であったはずの庄屋は、幕府や藩の役人のようになっていく。
猪山家のように陪臣身分(家来の家来)や、上層農民が実務能力を武器にして藩の行政機関に入り込み、次第に影響を及ぼした。


■当時、加賀藩の算術は、驚異的な水準。
石黒信由の数学は優れたもので、三角関数のサインコサインタンジェントの数表をつくり、公式の解明を進めていた。
加賀前田家は算術を非常に大切にしていた家である。
実は、日本最古のソロバンも前田家の蔵に残っている。

■加賀藩の面白いところは、普通は先に民政機構、郡奉行があって、そこに会計部門が置かれるが、加賀藩の場合は、会計機構(御算用場)があって、その中に郡奉行が作られた。
会計が政治を行なっていたのである。

■江戸時代の武士にとって、領地とは、石高の数字であって、リアルな土地を意味するものではない。
なぜなら、自分の領地にまったく触れなくても、自動的に年貢が手元に入ってくるシステムのなかで生きていたからである。
藩庫から年貢米が運ばれてくる制度。


■江戸時代の武士の給料制度には欠陥があった。
一番の問題は、現在の職務内容と関係のないところで、給料(禄高)が決まっていることであった。
武士の家禄は、家柄が良い、とか、昔の先祖がこんな勲功をたてた、ということで支給されていた。200年以上も昔の合戦で先祖が手柄を立てたとか、そういうことで給料の額が決まっていた。
つまり、今忙しく仕事をしても、経費がかかる職務についてもお構いなしである。
役料、役高という制度でフォローはされていたが、とても役職に応じた支払いがなされているとは言えない。


🔷身分費用が重い

「武士身分としての格式を保つために支出を強いられる費用」がある。
召使い、親戚との交際費、武家らしい儀礼行事、先祖、神仏を祭る費用。
現代人から見れば、無駄のように思えるが、これを支出しないと、江戸時代の武家社会からは、はじきだされて生きていけなくなる。

明治維新にやって、武士が身分的な特権をうしなったことばかりが強調されるが、しかし同時な、明治維新は、武士を身分的義務(身分費用)から解放する意味を持っていたのである。


■武士と百姓の関係
外見からすれば武家は立派に見えるけれども、経済的には泣いていたのである。
月月わずか6000円に満たない小遣いの主人、直之。
対して、家来の草履取りのほうがフトコロは豊かであった。
食事と衣服が保証され、毎月の給料のほかにも年三回の祝儀、またどこかにお使いに出るたびに15文の現金収入があった。

🔷江戸時代は、圧倒的な勝ち組を作らないような社会であった。
武士は、威張っているけれど自分の召使いより金を持っていない。
身分費用が大きく、それほどお得な身分ではなくなって行った。
一方で、商人は金持ちだが卑しい職業とされ、武士の面前では平伏させられ、しばしば、武士に憧れの目を向けていた。
献金して武士身分を得ようとしたりする。江戸時代は、まったく不思議な社会である。

■地位非一貫性
このように権力、威信、経済力などが、一手に握られない状態をいう、社会学の言葉。
この非一貫性が江戸時代の社会を安定させていたと注目したい。

■江戸時代の結婚は、長くは継続しないモノであった。
夫との死別、男子が生まれないなど、様々な理由。
宇和島藩の夫婦56組を追跡すると、わずか3年で20組が離死別していた。
20年も継続した結婚は、わずか1/4にすぎない。

🔷猪山直之。成之の親子
欲がなく正直
没個性的な性格
政治への意思なし
役所に入れば機械
意見は言わない
高度な計算技術
几帳面な文字で書き出す

直之は、加賀藩主の生きた演算装置、兼プリンターのような存在だった。

■大村益次郎と安達幸之助による、軍務官会計方へのヘッドハンティング
新政府には計算のできる人材はなく成之は重宝された。
加賀の御算用者といえば、加賀百万石の日本最大の大名行列の兵站へいたん事務を何百年もやってきたのである。

■靖国神社の大村益次郎の銅像は、初めから終わりまで人の真似のできない尽力をしたものは、猪山成之であった
(御算用者の生き残り:井上如苞)


■廃れゆく明治期の士族たち
廃藩置県により金沢藩は消滅。
県政には薩摩出身の者が送り込まれた。

犀川の橋でドジョウを焼く士族
町人から無視される士族
乗馬を平民に許したことで、かつて武士の特権であった馬に乗ることも平民のものになった


■官員(公務員)として就職できた士族と、そうでない士族では、収入、生活に天と地ほどの差が出た。
明治7年、海軍省出納課長の猪山成之は年収1235円。=3600万円。
これに対し、金沢製紙会社雑務係の西永常三は年俸48円。150万円。

🔷新政府を樹立した人々は、お手盛りで超高給をもらう仕組みをつくって、さんざんに利を得た。
官僚が税金から自分の利益を得るため、好き勝手に制度をつくり、それに対して国民がチェックできないというこの国の病理は、すでにこの頃にはじまっている。

■猪山家のその後
成之は最後は、海軍主計大監になり、その後、呉鎮守府会計監督部長で退役。
成之の孫たち、鋼太郎、鉄次郎は、無事に海岸へ入れた。
鋼太郎は海軍兵学校、鉄次郎は海軍艦政部の技官。

■享年77歳。1920年7月6日にこの世をさる。
死ぬ前に、きちんと家計簿を整理しているところが、いかにも最後の御算用者らしい。

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