カードゲームに思うこと覚書

 少年心を持つ者なら誰しも「オレだけのカードゲーム作ってみてェな~~~」と思うことはあるだろう。思うからには、既存TCGのデザインについて洞察があるわけだ。これはそういうテンションで書いた記事。


基本ルール <<< カードプール

 大前提。

 カードゲームのバランス調整において、基本ルールの寄与は驚くほど小さい。カードゲームなんだからカードに書いてるテキストのが大事だろ。

 例えばMtG。総合ルールは一貫してる。カードプールによってぜんぜん違うゲームをやってる。一番狭いリミテッドでは原始的なコンバットが重要だが、広い下環境では異常コンボと激しい妨害が飛び交う愉快な光景が見られる。カードプールの優位を説くにはこれ以上ない材料といえる。

 例えば遊戯王。ルール上は交互にターンが来ることになってる。先攻1ターン目にむちゃくちゃな制圧盤面がヌルっと出来る。同じターンに後攻は手札誘発で相手の展開を突き崩してる。マスタールールを読んでこんな激しいゲームだと想像するのは無理だ。

 そういう前提を理解してなお基本ルールに考えを巡らせてしまう。

 ルールの粗なんてカードがいくらでも吸収できる。じゃあそのカードが引けないとゲーム性を損なう基本ルールにぶち当たるわけだ。現代遊戯王、後攻、手札誘発なし。クソゲー。なぜターンが来るまでカードを使わせてくれないのか? マスタールールにそう書いてるせいだ。

 基本ルールの洗練が働いた例だって思いつく。MtGでは土地とその他カードの二種類が同じデッキに混ざる。MtGの血を引くデュエマでは土地を廃止し、どのカードも土地として使えるようにした。言うまでもないな。

 モダンな洗練された基本ルールこそカードゲームの楽しさを下支えする。そう信じてやまない。

シールド・サイド論争

 要するにデュエマかポケカか。無限回繰り返された話題。

 デュエマでは双方のプレイヤーがシールドと呼ばれる伏せ札を並べてゲームを始める。シールドはプレイヤーへの攻撃を防ぎ、伏せられていたカードは持ち主の手札に加わる。さらにシールド・トリガーと書いてあればその場で使用できる。シールドは逆転要素としてデザインされている。

 ポケカでも同様に伏せ札を並べるが、相手ポケモンを倒した側がサイドを手札に回収できる点でまるっきり逆だ。英語ではPrizeという通り報酬系としてデザインされている。デュエマ勢の驚きどころ。

 わずかながらデュエマの経験がある筆者としては、ゲームデザインに利があるのはポケカ式だと考えている。デュエマではない。

 シールド・トリガーという逆転要素が存在するデュエマでは、当然の帰結として、逆転を許さない勝ち方が横行してきた。ガチガチにマウントを取るのは勿論のこと、相手のトリガーを封じるとか、あるいはシールドを無視して特殊勝利するとか、逆転要素に取り合わないことがむしろ堅実で美徳とされる。

 要するに、攻めにくすぎたのだ。デュエマの歴史はいかに殴らせるかの歴史、苦慮の歴史である。攻撃側にリスクがあるとマウントを取ってもすぐに勝ちに行けない。慎重を期す慎ましやかなプレイングは、マウントを取られた側には苛立たしくもソリティアに見える。天秤が傾いたらさっさと決着してほしいよな。

 カードデザインという点ではシールドが傑出しているのには触れておきたい。自分のシールドを増減すればライフ回復とスーサイド戦術とを表現できる。カードだから重ねることができ、重ね方によっても色々ある。サイドで同じ表現はちょっと思いつかない。

手札消費/時間

 古代デュエマから現代に至るまで、連ドラはずっと人気のあるデッキタイプだ。令和最新版を知りたい人はドラゴン娘デッキを買おう。現代デュエマは随分とゲームスピードが速くなったが、相変わらずカード左上の数字はデカい。ルールで設定された(見かけの)出しにくさを上手いこと蹴飛ばして数字のデカいドラゴンが並ぶと、楽しい。

 遊戯王では出しにくさはプラクティカルに認識される。最上級モンスターは上級モンスターより出しにくいねなんて話はしない。レベル6だろうがレベル8だろうがテキスト通りに出る。デカいドラゴンが並ぶのはそういうテーマだから。ドライになっちまったな。

 そもそも左上の数字とはなにか? マナコスト。ただのタグ付けではなく、総合ルールに定義された由緒正しい数字である。カードを使用するときには、原則、マナコストの数字の分だけマナを消費する。

 という認識は浅い。その本質は手札消費の律速にある。手札は使うと減る。ゲームを徐々に盛り上げたい。この二つを擦り合わせるには、序盤の手札消費を禁止してしまう他ない。ゲーム進行とは手札消費であり、マナコストは直接的にゲームテンポを調節する役割を担っている。

 その観点で、遊戯王ではマナに相当するのは召喚権だと捉えられる。1ターンにひとつ。召喚権ひとつでカード1枚の消費を許される。というのは建前で現代遊戯王はモリモリ特殊召喚するのだが、ルールではそうなっている。現代遊戯王で想定するゲームスピードとはギャップが生じてしまった負の遺産だ。現代遊戯王ではカードに書かれた名称ターン1に役目を譲っている。

 遊戯王OCGの後裔ラッシュデュエルでは召喚権をやめた。毎ターンのドローで手札が全快するのとあわせ、いきなり全力で叩き合うFlesh&Blood系のモダン潮流を見て取れる。激しさに合わせたルールを採用したわけだ。

Rainbow Six Siege

 FPSは平等だ。撃ち合いには先手番も後手番もない。参加者リストで上に並んでいるほど有利だとか、そんなふざけたことがあるか?

 カードゲームは平等じゃない。先攻は後攻よりうまくやれる。先攻後攻というくそったれな宿命が、全ての人に、全カードゲームの思い出に泥を塗ってきた。

 小手先のハンドアドバンテージじゃ先後差は埋まらないので、どのカードゲームも後攻が先攻になるシステムを組み込んでいる。先攻の優位を当然のものとして、後攻にもその恩恵に預からせてやろうというのだ。

 例えばデュエマ。毎ターンマナを1枚増やせ、マナコストが大きいカードが順次アンロックされるから、当然、先攻が先に強いカードを使える。ところが毎ターン1枚のドローに対して消費は2枚。手札は漸減していずれマナを伸ばせなくなる。ここでようやく後攻のハンドアドバンテージが消化され、先攻後攻が入れ替わる、という仕組みだ。後攻のハンデスは強いとか言われる所以。

 後発のDCGでは手札を使わずにマナが増えてゆくから施策も少し異なる。ハースストーンではコインを使って一回だけ先攻より速く動ける。シャドバはもっと過激で、後攻が先に、しかも多く進化権を使える。

 筆者の蒙を啓いたのは現代遊戯王だ。先攻ゲーと謗る人もいるが、とんでもない! 先攻1ターン目にはバトルフェイズがない。先攻が抱える全てのアドバンテージが、そのターンに勝てない、ごく簡単な事実によって毀損される。逆も然り後攻は全ての不利が帳消しになる。なぜなら後攻は殴り勝つ権利を持つからだ。

 筆者は現代遊戯王のデザインを虹6型と勝手に呼んでいる。虹6では防衛と攻撃にチームが分かれ、先に行動する防衛チームの拠点に攻撃チームが突撃する。現代遊戯王の先攻後攻はこれに近い。カードゲームの持つ本質的な非対称性を均さず、むしろ研ぎ澄ませた格好だ。

 他のカードゲームではアグロの生態的地位にあるのが、反転して防御的な印象の先攻制圧というのも面白い点だと思う。対極にある遅い戦術が攻撃的な後手捲りだ。他で養った直感にこそ反するが、この方が自然ですらないか?

デッキ名たる統率者

 かっちょいいデッキ名が並んでいると、いいよな。

 MtGの均質化されたデッキ名、情緒がねえよな。

 遊戯王はテーマがそのままデッキ名になる。スネークアイ。粛声。天盃龍。カッコよすぎる。MtGでいう色がデッキを縛らない代わりにテーマの拘束力が高い。だからこそコナミの考えた渾身のデッキ名が使えるのだ。サンキューコナミ。

 テーマでガチガチに縛らないゲームだと、キーカードがデッキ名になることが多い。ドギラゴン剣とか、天門とか。切り札として存在感のあるかっこいいカードならデッキ名も自ずとかっこよくなる。デルバーも好き。

 デッキがごった煮になるにつれデッキ名は無機質になる。種族デッキはまあギリという感じだが、それすら散ると機能での分類になる。赤単速攻とか、メタビとか。MtGはこの傾向が強く、どの時代のデッキであれ同じ名前に嵌め込まれ、もう懐かしさを感じられない。

 デッキを代表するカッコいい切り札、という概念を人工的に作り出す試みもあり、MtGでは統率者概念として花開いた。好きなネームド生物を統率者として設定し、見せびらかしながら戦うのである。統率者は同時にデッキの色を示すマーカーとしても機能する。

 統率者概念をエクストラデッキに落とし込んだカードゲームがWIXOSSだ。ルリグはゲーム開始時点から場に存在し、ゲームを通じて成長するプレイヤーの分身という建付けになっている。タカラトミーの目論見通り美少女の名前がデッキ名として通用するようになった。サンキュータカラトミー。

シャッフル問題の未来

 DCG触るともう紙でゲームしたくない。シャッフルする時間が無駄すぎる。みんな思ってるよシャッフルしたくないって。ダルいもん。

 シャッフルの発生頻度は10割カードデザインによる。遊戯王OCGはサーチ・リクルートを多用するせいでシャッフルが頻繁に発生する。MDの快適さでなきゃ許されない頻度。

 一方MtGでは山上が邪魔ならフェッチで混ぜるテクが横行して禁止カードが出た。そういうゲームなのでシャッフルを減らすデザインに一家言あり、上からN枚見て1枚取って残りは山下(濾過)系のテキストが結論となった。取れるカードの条件設定、取れる枚数、残りの行先とかで応用が効くので、他のゲームでも見がち。

 そして濾過系テキストを突き詰めたデュエマの傑作キーワードがメクレイドである。メクレイドはすっごい。要するにただの濾過系テキスト×踏み倒しなのだが、ガチャの楽しさ、選択の楽しさ、連鎖の楽しさ、全部備えている。しかもテーマデッキの補強になる。しかもシャッフルしない。

 手札のカードを全部使えるゲームなら、ただの濾過が全部メクレイドになる。すでにラッシュデュエルは近いことをやっているが、墓地肥やしと狭範囲の墓地回収の二段階にして、柔軟性を削ぎつつ成功率を担保しているようだ。インフレが進むうちに方針転換があるかも。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?