第20回文章組手【愛】3000字

「俺がずっと守ってあげる」

 そう言う男は大抵途中で「ごめん…」と言いながら去るクズなので守る発言をした瞬間に頚椎を引き抜き神への供物にするべきなのである。殺せ!ラタマハタ(高く吊るせの意。セパルトゥラの名曲タイトルでもある)!

 あのねえ、考えてもみなさいよ。守って守って守った先に何があるのかを。死か滅亡だよ。我慢を重ねると攻撃の手が緩むと思っているのか?ガンジーだって俺が9時間ペッティングしたら缶ビールでぶん殴った後にスタナー決めるって話だよ。

「守る」

 そんな言葉が愛の象徴として使われる昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか?今、この時間も中東をはじめ多くの地域で爆弾が落ちてるのですよ?我々が住む日本、アメリカ、キルギス、大韓民国、ジャワ、中国、エジプト、コロンビア、各地域では殺人が行われているのですよ?
 なのに何を守るだバカタレ。全身に宇宙を飲み込む暗黒物質をまとった変質者が現れても守れるのか?一瞬で宇宙のチリだぞ。いや、その場合そいつが最初にチリか。そうなるとそいつは一体どうやってここに……待たせたな!あ!誰ですかあなたは!?人を、大人の人を呼びますよ!?ギャ、ギャー!グエー。
 大抵こうなる。全員死んで草木は枯れて可愛い動物もかっこいい機械も全部滅亡する。守るとこうなる。相手の優しさに期待して守ろうとするんじゃない。世界はもっと残酷にできている。

 ではなんと答えるのが愛なのか?それは「俺が戦う」だ。これぞ滅私奉公。肉を切らせず骨砕き。恥骨にパンチ!前かがみになれ!そう、戦うのだ。本当の愛情あふれるナイスヒューマンは自分が戦うまたは一緒に戦うのだ。守るって結局なんにもしていない。しかし戦うのならどうだ?相手が戦うと言った人間の知り合いでも戦う。自分に関係ない人間でも戦う。そこにモラルや憐憫や恐怖は存在しない。愛する人を守るためにその人の刀になり、冷酷な戦闘マシーンとして血しぶき舞う冷凍都市に参上仕れ。

 もし愛する人、異性・同性も問わずだ。愛する人がいるならその性別なんて知ったことか。同性恋愛に対して文句を言うアホは胸骨を砕くハードナックルをぶちキメろ。そう、例えば同性恋愛、理解のある親って割と少ないと思うし、周りに言えば「で、どっちがタチなのw?」見たいなデリカシーの無いアホ質問をぶちキメられることもあるでしょう。その場合、守っていたらアホは「服従した」と勘違いするから戦わないといけない。なぜそうなるのか?アホはアホだからだ。
 ならば戦わねばならない。アホは自分が戦いを挑まれる事に気がついていないから、意味不明な戯言をほざいた場合は言葉でしっかりと戦わないといけない。するとすぐに退く。想像力がないからそうなることを予想していなかったからだ。

 また、異性を愛する方も戦わないといけない。アホがよく言う言葉はこれ「なんでこの人と付き合ったのw」うるせえ好きになったからだアホボケカスクズ。ここで言い返さないと、アホの中では「なんでか知らないけどノリで付き合った」みたいにされてしまう。心を燃やす愛があるのなら断固として戦わないといけない。あなたの愛が舐められるということは愛する相手も舐められているってことになる。それを許せるか?「守ってあげる」と言ってアホのファッキン発言に何も言えない人間を信じられるか?答えはノー!バトル・オブ・ラブ。戦って敵の屍の上で愛を証明しろ。

 戦え戦え、愛で戦え。守るな攻めろ。耐えるな殺せ。耐えるのは耐えた先の破滅から目を背けているか自殺を長期的展望として捉えているかのどっちかだ。そこに愛情や誠意は存在しない。
 残念ながらこの世は乱世。刃を向けてくる人間ばかりなのです。君は刃に言葉で立ち向かうか?ダメだ。やめとけ。グラップラー刃牙に出られるレベルなら問題はないかもしれないが大抵は凡人だ。だからこそ、行動という刃を持って戦うしかない。

 恋愛に限らず子育てについてもそうだ。私はまだ家族を持っていないが子育てには寛容な態度を貫いている。電車の中で泣き赤子を見かけても「かわいいかわいい。オホホホ」と溢れ出る笑顔で見つめ、結果として不審者だ。ふざけるんじゃないよ!私の愛情をわからぬ愚民が。死ぬがよい。
 子育て、大変だと思う。血肉を分けた親兄弟ですら自分の中のスタンダードを押し付け「私が先輩だから」としゃしゃり出る。夜のお母さんお父さん、ほんま大変やと思いますよ。好意からあふれる迷惑って本当に最悪ですからね。それは百歩譲って許そう。それも愛情の発露。感情の爆裂。しかし許せないのは他人からの悪意だろう。ベビーカーへの迷惑そうな舌打ち、泣き赤子への愚痴。君ねえ。君も元々はそうやったからね?それを自分の立場と状況が変わったら忘れたフリか?いい度胸だ。ナイス度胸&ガッツ。近うよれ。そして死ね。
 このように人類は自宅から一歩出ると那由他の憎悪と恒河沙の敵に囲まれていしまっている。愛する子どものためには戦うしかない。それで敵対し、縁が切れたらどうしよう。そう、そこを悩んでしまうと思う。だが、それで切れる人間関係なんぞそれまででしかない。「自分にはその人しかない!」そう思い自縄自縛の果てに自決を選択してしまう方ももちろん存在するだろう。だが、だが、俺をはじめ多くの愛情あふれるピープルは存在している。その人たちと今後作っていく新しい縁の方がめくるめくラブワールドに繋がっている。愛のために戦う人間で街を作ろう。名前はブランキージェットシティー。唯一の法律は「正義」。

 このように愛情とは愛した生物・物質のための剣となり敵が振り下ろす刃に火花散らして衝突する行為であると考えたい。
「戦いは何も生まない。平和が一番だよ?」
 残念ながらこの世界では戦いは事象で平和は理想でしかない。毎日が平和で楽しいと思っている方がいるならそいつは世界の紛争だけでなく国内の事件などにも興味がない本物のサイコパスだから近づかない方が良い。

 以上のことをまとめ、私なりの答えを出すならば「愛情は一種の攻撃性」だということだ。愛の理由を考えて答えがはっきりでたことがない。とすると、愛とは自分のエゴを相手に押し付け、相手をカテゴライズし、愛の名の下に自らに隷属させる行為なのだ。愛した人に優しさや笑顔を見せるのは隷属させた存在への優越感と自分のエゴに対して折り合いを付ける言い訳なのだ。
 それだったら人や物を愛さないほうが良いのでは?愛が世界を壊したのでは?そう考えるのは甘いボーイ&ガール。そのようなエゴが生み出す歪から発生するおもしろや悲しみが愛の子であり本質だ。日常に特異点を作り出し、想像だにしなかった未来が産み落とされる。それを求める好奇心、探究心、子どものように純粋な思い、それらを大人が照れ隠しで愛と呼ぶ。愛し愛され愛され愛す。未来を少しでも変えたいなら愛してみようぜ。まずはこの俺を。。。。

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