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月極駐車場

『カウントダウン、開始します。生命停止まであと5秒。4秒……』
 この抑揚のないアナウンスは、どこから聞こえるのだろう。人の声? 機械かな?
 そんなことを考えながら、竜也は目の前のカプセルを見つめていた。
 長い楕円形のカプセルは上部が透明だから、中に横たわる老人の姿がはっきりと見える。
 紙でできたような白い着物に身を包み、目を閉じたきりの彼は、竜也の祖父だ。
「若いころから、白髪だったからねぇ」
 となりに立つ母が、唐突にそういった。
 祖父の髪は真っ白だ。竜也が幼いころから白かった。じいちゃんの髪って、黒かったころもあるんだ……と竜也は気づいた。それって、江戸時代くらい昔かな?
『生命停止。生命停止。処理を開始します』
 またアナウンスが聞こえた。
 竜也は母に尋ねた。
「処理ってさ、じいちゃんをどうするの?」
 母は竜也を見た。「中学生にもなって」というときと同じ、あきれ顔でいった。
「もちろん、土にするのよ」
「いも畑の?」
「このまま埋めるか機械で分解するか、選べるけど……」
 畑を掘ったら、じいちゃんが出てくるの?
「やだ! やだよ! 分解! 機械で!」

 竜也は目覚めた。「機械で!」という自分自身のわめき声のせいだ。
「え……なんだ? 夢……? 夢か」
 ここは自分の部屋。竜也はベッドの上にいた。掛布団が蹴り飛ばされていて肌寒く、室内はもう明るかった。
 昨夜適当に閉じたカーテンのすき間から、日光がベッドに差し込んでいた。窓は南向き。真っ青な秋空が見える。休日に寝坊するのは竜也の楽しみのひとつだったが、真昼まで眠ることなんて、めったになかった。あんな夢を見るために眠っていたのか、と思う。
「『処理』? 『分解』? 何だよ、それ」
 つぶやいたとき、点滅する小さな光が目に入った。枕元に転がしておいたスマホが、メッセージの着信を教えてくれている。友人グループの誰かから届いたのだ。
 友人たちと話すのも竜也の楽しみのひとつだけれど、あんな夢を見たあとじゃ、気分があがってこない。かといって、内容をチェックしないわけにもいかなかった。
「おれは友情を大事にする男だからな」
 わざと声に出して、スマホを手に取る。
 メッセージは短い間を置いて、グループのみんなから届いていた。友情を大事にする竜也も「未読無視」することはあるのだ。
『ハモリいかね?』
『うちの兄ちゃんと』
『未読、タッちゃんか?』
『まだ寝てんの?』
『先いくわ』
『気が向いたら恋』
「誤変換、来た」
 竜也は笑った。
「ハモリ」と書かれているのは、カラオケボックスのことだ。正しい店名ではないが、友人たちの間では「ハモリ」で通じる。
 返信しようとして、気づいた。届いていたメッセージは、それだけではなかったのだ。
 母からの不在着信が1件。「どうせまだ寝てるんでしょ」と言いたげに、母はすぐに文字のメッセージに切り替えてきた。
『起きて、これ見たら、病院来なさい』
 たどたどしい文だった。
『緊急じゃないけどね』
 そう続いていた。
「病院か……」
 それがどこを指すのかは、わかる。さっき見た夢とは違うこともわかっている。
 だが、まったく違う場所だとも思えない。
 そこでは、もう目を開けないかもしれない祖父がベッドに横たわっているからだ。
「来なさいっていわれたら、行くしかねー」
 のろのろと身支度をしながら、竜也は誰にともなくいった。
 母が用意しておいてくれた、すでに冷たい目玉焼きを焼かない食パンにはさんで口に押し込み、「ハモリ」で盛り上がっているであろう友人たちに返信した。
『ごめん、寝てた。じじーの見舞いにいく』
「じじー」なんて呼び方を、家で口にしたことはなかった。もちろん祖父に、面と向かっていうことも。
 とはいえ、中学生にもなって「じいちゃん」と呼ぶのは子どもっぽいし、「祖父」なんて書いたら笑われそうだ。友人相手なら、「じじー」がちょうどいい。
 祖父が救急車で運ばれてすぐ、母と見舞いにいったのは先々週のことだ。
 母にさらわれて見舞いにいった、というほうが正確かもしれない。学校まで迎えにこられては、拒否できなかった。5時間目の最中に、竜也は教室を出た。クラスじゅうに注目されたから、笑顔で手をふって応えた。
 病院で目を閉じたきりの祖父を見たときは、「じいちゃんはもう死ぬんだ」と思った。
 が、以来、ずっと、そのまま。
 母はパートを休んでほぼ毎日、会社帰りの父も毎晩のように、じいちゃんの寝顔を見に病院に通っている。
 叔父さん。イトコ。老人会の仲間。町内会長。病院には、いろんな人が来るらしい。
 竜也は、あれから行っていない。父も母も竜也を無理に誘わなかった。だからよけいに、『来なさい』という言葉に逆らえない。
 それでも、病院までは歩くことにした。『緊急じゃない』とも書かれていたし、帰りは母の車に乗れるはずだからだ。
 片道30分ほど。歩けない距離じゃない。迷うほど複雑な道順でもない。
 なのに、竜也は後悔した。バスに乗ればよかった、と思ったのだ。
 さつまいも畑……いや、その駐車場の前にさしかかったときに。
 10台ほど停められる広さの、アスファルトに白線が引かれた駐車場。
 フェンスには「月極駐車場」と書かれたプレートが固定されている。
 ここは以前、祖父がさつまいもを育てる畑だった……。
 竜也は中学生になるまで、「月極」は「げっきょく」と読むのだと思っていた。
「うちのじじーの畑さ、結局ゲッキョク駐車場になったんだってさ」
 ダジャレで笑いを取りにいったはずなのに、友人たちにポカンとされた記憶が蘇る。
「あの、いもほりの畑が?」
「ゲッキョク? あ、ツキギメのことか」
「じいちゃんのやきいも、うまかったよな」
「うちの母ちゃん、未だにその話をするよ」
 どんどんずれていく友人たちの会話を作り笑いで聞きながら、竜也はひそかに「ツキギメって何だ?」と考えつづけた。
 ひとりになってから調べた。「月極」とは「月決め」のこと。一か月ごとに使用料を払って駐車スペースを借りる駐車場という意味だったのだ。
「結局、ゲッキョクじゃねー……」
 何だよ、それなら「月決め」って書けばいいじゃんかと口を尖らせながら、あいつらもじいちゃんの畑を覚えているんだな、と、くすぐったいような気持ちも味わった。
 今、フェンス越しにながめる駐車場に停まっている車は一台。休日なので、借りている人たちは車で出かけているのだろう。
「どこかの畑に、さつまいもを掘りにいってたりして、な」
 祖父はここでさつまいもを育てていたが、彼自身は農家の生まれではなかった。勤めていた市役所をやめたあと、「若いころから興味があったんだ」といって、この一画を人から借りたのだそうだ。
 毎年、今くらいの時期に、ここで幼稚園の『親子いもほり会』があった。
 もちろん、竜也も参加した。
 大きなさつまいもを掘りだし、見せびらかしてきた子と、ケンカになったことがある。おれのじいちゃんのいもなんだぞと、取り返そうとして。
「むかしのおれ、バカだったからな」
 竜也が6年生になるころ、「そろそろ体がえらいわ」といって、祖父はこの土地を返してしまった。
 返された持ち主は、さつまいもに興味がなかったらしい。
 夢の中の母に教えてやりたい。じいちゃんは死んでも、いも畑の土にはならないのだと。
 だって、その畑はもうないから。
『結局ゲッキョク駐車場になった』と軽い口調でいったとき、竜也の胸の奥は確かにしくしくしていた。
 いもほり会は毎年楽しく、そこが「じいちゃんの畑」であることが誇らしかった。あらかじめ掘っておいたものを、熱々のやきいもにして、みんなにふるまってくれるじいちゃんが好きだった。
「幼稚園のころは、だよな?」
 自分に念を押す。そして、不思議に思う。
 あのころ、おれ、なんであんなにじいちゃんが好きだったんだろうな。
 風呂に入るのも寝るのも、一緒だった。
「いま考えたら、おえーで、うげーじゃん」
 もう、そんなことはしない。
 しないけれど、それは、祖父が死んでしまっても平気だ、ということではない。
『カウントダウン、開始します』
 あのアナウンスが耳の奥に聞こえる。
『緊急じゃないけどね』
 母のメッセージが目に浮かぶ。
 それらを追いだすように顔をしかめ、フェンスを離れて、竜也は足を速めた。


(愛知県教育振興会「子とともに ゆう&ゆう」2019年度10月号掲載)


SF童話賞でデビューしたくらいですので(デビュー後も何作かSFを書かせていただきましたし)この連載でも「やってみたかった!」というわけで、今回の冒頭です。でも、ごらんのとおり、中身は割と普通の児童文学なのでした(さすがに、完全SFはできませんでした、コンセプト的に)。

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