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空色の箱

「おれ、2月14日に生まれたらよかった」
 リビングで壁のカレンダーを見ていたら、無意識に声に出してしまった。
「翔? 何いってんの?」
 と、母の声。そのあきれ顔をふりかえって、翔は、ぎゅむっと口をつぐんだ。遅すぎ。出ていった言葉は戻ってこない。
 1月が終わってカレンダーをめくったとき、気づいたのだ。「2月にはバレンタインデーがある!」と。
 気づいた途端、翔の中に「そわそわ」が居座った。そう、その時点では「そわそわ」としか呼べない、翔自身にもうまく説明できない何かだった。
 けれども、一日一日とバレンタインデーが近づくにつれて、「そわそわ」の実態が見えてきた。
 それで、こういってしまったわけだ。
『2月14日に生まれたらよかった』
 母が笑っている。
「本命チョコがもらえなくても、誕生日チョコがもらえるから?」
 大正解。
 ひとり言を家族に聞かれるなんて、リビングは危険だ。これ以上からかわれたら、絶対に逆らってしまう。チョコのせいで親子ゲンカなんかしたくない。翔は肩をそびやかして、玄関に向かった。
     ●
「誕生日じゃなくたって、食えるっての」
 歩道に足を止めて、翔はつぶやいた。
「この店のチョコくらい、な」
 そこは、小ぢんまりした店だった。
 交差点の角に建つビルの1階。
 看板には、くるくるした、おしゃれすぎる書体のアルファベットが並んでいる。店名なのだろうが、翔には読めない。書体のせいではなく、知っている単語のような気がしなかった。それでもこの店でまちがいないとわかったのは、アルファベットの横に空色の箱が描かれているからだ。
 毎年2月にもらった空色の箱。
 毎年、亜季がくれた空色の箱の絵だ。
 中味はいつも、4つのチョコだった。
 母によれば、それは「トリュフ」と呼ばれるもので、4粒じゃなく4玉と表現したくなる、ころんとしたまるいチョコだ。
 5年生のときだったか6年生のバレンタインデーだったか、「毎年これってことは、亜季もこのチョコ、好きなん?」と聞いたら、「うん、2月以外にも、たまに買いにいってる」と亜季が答えた。むかしは親が連れていってくれたけど、今はひとりで行けるよ、と。
 チョコを買う店はとなりの校区、駅の向こうにあると、翔はそのときに知った。でも、足を運んだのは今日が初めてだ。
「義理チョコ」とか「友チョコ」とか、もちろん「本命チョコ」とか、バレンタインデーのチョコにはいろんな「立場」がある。
 だが、「義理チョコ」や「友チョコ」なら、わざわざ駅の向こうまで買いに行かないんじゃないだろうか。スーパーやコンビニで買えそうなチョコを選ぶんじゃないだろうか。
 そう思ったから、去年、中1の2月には、空色の箱を差し出す亜季にこう尋ねてみた。
「これさ……何チョコ?」
 もしかして「本命チョコ」? とドキドキしていたから、声が上ずった。
 すると、亜季は答えた。そっぽを向き、ぶっきらぼうな低い声で。
「同じクラスチョコ」
「へ?」
「同じクラスだから」
「えーと、つまり……?」
「同じクラスだからあげるのが、同じクラスチョコ」
 語呂悪くね?
 ツッコみたくなったのは、もっと後のこと。
 その場では、考えるほうが忙しかったのだ。同じクラスだからという理由しかないチョコは「本命チョコ」どころか「友チョコ」以下じゃないのか? と。
 がっかりするような。うれしくないわけでもないような。
 複雑な気分で、その日、翔は空色の箱を受け取ったのだった。
 中学1年生まで、亜季とはずっと同じクラスだった。翔自身の記憶はおぼろだが、母によれば「おむつが取れていないころ」から公園仲間だったらしいし、幼稚園の3年間も小学校の6年間も同じクラスだったのだ。
 クラス数がぐんと増えるのに、中学生になっても同じクラスになったから、「もう、おれと亜季って一生、同じクラスなんじゃね?」と笑ったことさえある。
 そんな翔だから、2年生のクラス発表は軽くショックだった。
 まさか、クラスが分かれるとは!
 とはいえ、それは「予想がはずれたショック」にすぎなかった。
 クラスが分かれたら、学校生活の大半は別行動になる。授業の進み具合も違うし、クラスマッチや体育大会や合唱コンクールでは「ライバル」だ。よそのクラスの生徒なんて、校庭や廊下ですれ違わないかぎり、姿を見ない日だってある。
 そんな状態で、約10か月。
 顔を合わせれば、以前と変わらずに「亜季」「翔」と呼び合い、仲良くやってきた……つもりだったのだが……。
(チョコはないよな、今年は。おれ、1組だし。亜季は4組だしな)
 特にチョコが好きなわけじゃない。
 でもなぁ、と、翔は考えた。
(ずっとあったものが「ない」のは、地味にストレスじゃね?)
 それから、こうも考えた。
(おれ、今年もあのチョコが食べたいなーって思ってるだけなのかも?)
 そこで、気づいたのだ。
(自分で買いに行けばいいんじゃね?)
 つまり「おれチョコ」である。
     ●
「おれチョコ」を求めてやってきたその店のドアは、ガラス張りになっていた。
 端から店内をのぞきこむと、さまざまなチョコレートが並ぶショーケースや、大小の空色の箱が積み上げられたテーブルや、どっしりした鉢から伸びて茂る観葉植物が見えた。
 店内の客は女性ばかりだ。幼い子を連れた女の人や制服姿の女子高生グループ、大学生くらいに見えるふたり組もいる。
(入りづれぇ……)
 コンビニのように気軽にドアを開けることはできそうにない。
 ドアの外の翔は顔をこわばらせているのに、客たちはみんな笑顔だった。それぞれにショーケースをのぞきこんだり、空色の箱を指さしたり……楽しそうだ。
 亜季も毎年、ここで買ってたんだな。にこにこしながら選んだのかな。今年も、もう買ったのかな。でもそれは、4組のヤツに渡すんだよな。「同じクラスチョコ」だもんな。
 客が次々に店を出ていく。そのたび翔は、わざとスニーカーを履き直したり信号待ちのふりをしたりして、やり過ごした。
 そのうち、客の姿が見えなくなった。
(奇跡? 奇跡か?)
 翔は店内に飛び込み、そのまま立ち尽くした。当然ながら店員はいて、ピタッと目が合ったからだ。
「いらっしゃいませ」
 そのほほえみに、翔の顔はさらにこわばる。
(そうだ、客っぽくしよう。あ、おれ、ホントに客だし)
 ぎくしゃくとテーブルに近づき、積まれた箱を指さした。
「こ、これ、くだ……」
 いいかけたとき、また目が合った。
 今度は、客と。
 観葉植物の向こう側に立つ亜季と。
     ●
 会計を終えて店から去る亜季を追うように、翔も歩道に転げ出た。
 なんでこの店で? よりによって今日? よそのクラスになってからは、亜季の顔を見ない日だってあるのに。
 言葉も出ない翔だったが、不意にふりかえった亜季は眉のあたりに力を込めた顔ではっきりと問いかけてきた。
「あのお店に、何しに来たの?」
「え、買い物、買い物っすよ、もちろん」
 声が裏返った。言葉遣いまでおかしくなっている。
 逃げだしたい気分で亜季を見た。
 彼女の手には小さな空色のペーパーバッグ。中にあの空色の箱がひとつ入っているのは翔も知っている。亜季がそれを買うところを、ぼんやり見ていたのだから。
「いや、あのさ、あの店のチョコ、うまいよなー。今年も食いたいなーって思ってさ。けど、同じクラスじゃないしな。そんなら、自分で買うしかねーなーって……あー、あれー? おれ、買わずに出てきちゃったなー。なんでだ? よっしゃ、再挑戦するかー」
 翔が「じゃあなー」と上げた手に、亜季がパシッと箱を押しつけてきた。
「今年も食べれば?」
 亜季の勢いに負けて、翔はその空色の箱を受け取った。
「こ、これ……何チョコ?」
 だって、今年は同じクラスじゃない。だとすると、これはもしかして……ほ、ほ、ほ、「本命チョコ」? 
 と口に出せない翔に、そっぽを向いて亜季が答えた。
「よそのクラスチョコ」
「……ん?」
「よそのクラスだから!」
 あいかわらず、語呂は悪かった。


(愛知県教育振興会「子とともに ゆう&ゆう」2018年度2月号掲載)


3年間、36編書いた短編の中で唯一の「続き」(同じキャラ)です。よかったら18年度9月号の「黄色か赤か」も併せてお読みくださいませ。イレギュラーなことは避けようと思っていたのですが、編集部の方もおもしろがってくださったようなのでホッとしています。

「黄色か赤か」

https://note.com/gotomiwa/n/n81dacefbb615


この連載のために、自分で作った「縛り」を解説しています。

https://note.com/gotomiwa/n/ne0a1d4443139


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