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モッテテちゃん

 モッテテちゃんに初めて「持ってて」されたのは、秋だった。
 住んでいるマンションのそばには林や花壇や池のある公園が広がり、わたしは中学校の行き帰りにその遊歩道を通っていた。
 本当に、突然のことだったのだ。
「これ、持ってて」
 下校中のわたしの前に立ってそういったのは幼稚園生くらいの女の子で、器の形にした両手にはドングリがこんもりのっていた。
(あ、この公園、ドングリが拾えるんだ。え、でも、なんで? あんた、誰?)
 混乱するわたしに、その子はいった。
「もっと拾うんだもん」
 わたしは納得してしまった。そうだね、この状態じゃ、拾えないもんね。
 差し出したわたしのてのひらにドングリをぽろぽろ落とすと、その子はニコッと笑い、林に駆けこんでいった。
 その姿が消えてから、我に返った。
「ちょっと、これ、どうすれば……?」
 左手に通学カバン。右手にはドングリ。
(あの子、どこへ行ったの? 戻ってくるの? ここで待てばいいの?)
 もう戻ってこないとあきらめたのは、遊歩道に明かりがつきはじめたときだった。
 次にモッテテちゃんに会ったのは、ドングリのことを忘れかけたころだった。
 学校帰りのわたしの前にタタタッと駆けてきて、当然のようにいったのだ。
「これ、持ってて」
 考えごとをしていたわたしは、すぐに反応できなかった。気がついたら小石を握らされていて、その子は駆け出していて……。
「あ、ドングリ! こないだの!」
 やっといえたのに、姿は消えていた。
 手の中に残されたのは白くてまるい石。すべすべしていて、なでるのは気持ちよかった。
 わたしは、その子に「モッテテちゃん」という呼び名をつけた。
 次に会ったときに「持ってて」といわれたのは、赤い葉っぱだった。虫食いがない。汚れもない。カンペキな桜の落ち葉だ。
 この公園には何本か、大きな桜の木がある。ほかの木が葉の色をくすませたり、枝ばかりになっていたりするときに咲く桜は、とても目立つ存在。新学期にあわせたように開いていくせいか、桜って「新しい何かがはじまるときの花」って感じがして、好きだ。
 秋の桜は同じ木なのに、まるで「別人」。ほかにも紅葉する木があるせいか、桜を意識することはなかったのだけれど……。
「きれいだね、これ」
 空にかざすと赤く輝く葉っぱ。鑑賞しているうちにモッテテちゃんは姿を消していた。
 そのころにはわたしも、モッテテちゃんは「持ってて」というだけで、取り返しにくることはないと学習していた。
 だからって、捨ててしまうのも気が引けて。
 お母さんが取っておいたクッキーの空き箱のふたをはずし、箱の底にドングリを並べた。白い小石と赤い葉を添える。コレクションのケースのつもりだった。標本みたいだな、と思いながら本棚に置いた。
 モッテテちゃんがいつ現れるのか、決まりはないようだ。
 図書室に寄って遅くなった火曜日にきらきらシールを「持ってて」されたこともあれば、定期テストでお昼前に帰宅した金曜日に青いボタンを「持ってて」されたこともある。
 冬のあいだも、モッテテちゃんは来た。
「これ、持ってて!」
 その日、いつもより切羽詰まった口調だったのは、ミトンをはめた手にのった雪だるまのせいだろう。朝からちらついていた雪で公園はうっすらと白くなっていた。その程度の雪なのに、雪だるまには砂粒ひとつついていなくて、上下ともなめらかな球形だった。
「すっごく上手に作れたね!」
 わたしの歓声に、モッテテちゃんは得意げな笑顔を見せた。
 それから、いつものように走り去っていったけれど、その先の木立ちの向こうに人影が見えた。背の高い男の人だ。お父さんだろうか。一緒に作ったのかな? 幼い娘がよその中学生に「持ってて」しているのを知ったら、叱るかな?
 お父さんというのは何をする人なのか、よくわからないけど、叱らなくていいですよ、わたし、けっこう楽しんでますよ。
 雪だるまは、やがてとける。クッキーの箱にはしまえない。コレクションできるのもあとわずかなのに残念だ、と思った。
 中学校を卒業したら……高校生になったら……わたしは公園を通らない。マンションを出て、大通りからバスで通うからだ。
 進学先は私立高校。推薦で決まった。
 クラスの子の多くはまだ受験生だから、モッテテちゃんのことは誰にも打ち明けていない……というのはちょっとウソ。打ち明ける友だちなんて、いないのだ。
 わたしがクラスで浮いていたのは気づいてる。「沈んでる」というべきかな。
 アイドルやファッションやペットがテーマでも会話についていけなかったのに、受験の話題にも混ざれない。
 メールが使えないから、教室を出たら話もできなかった。
「スマホ、買ってもらえないの?」って同情の目で見られたり、「ほしくないの?」って、お母さんにさえ心配されたりしたけど、「卒業してからでいい」って答えてきた。
 お父さんがいない。スマホを持ってない。ゲーム機もヘアアイロンも、色つきリップさえ家にない。チワワも文鳥も……。
 それでも、お母さんがいる。通う高校がある。コレクションもできた。だから、わたしは、かわいそうじゃない。
 家に帰ると、仕事が休みだったお母さんがクッキーの箱を手に、苦い顔で待っていた。
「これ、なんなの?」
 お母さんに見せられたときの感じは、うまく言葉にできない。隠してたわけでもないのに「暴かれた」気がした。「見られたくなかった」と思ったのだ。
 わたしののどはふさがって、声が出ない。
 お母さんの声は、今日は甲高い。
「このドングリのせいね。いつだったか、いたのよ、小さなイモムシ! 床に何匹も!」
 ドングリから、幼虫が出てきたのか。
「こんなゴミ、きちんと捨てないと……」
 思わず「いや!」といっていた。
「捨てない。『持ってて』っていわれたんだから、ゴミじゃない」
 お母さんが何かいいかけたけど、わたしの口は止まらなかった。
「いいじゃない! わたしが持ってないものだって、いっぱいあるんだから。スマホとかチワワとかお父さんとか!」
 言い放ってから、即座に悔やんだ。
(わたし、今、バカなことをいった!)
 お母さんは怒る? あきれる?
 どっちでもなかった。わたしじゃなく宙を見つめたまま、スイッチが切れたみたいに、じっと動かない。どうしたの? 「スマホをほしがらなかったのは自分でしょ」って言い返す場面じゃないの? 「このマンション、ペット禁止でしょ」とか。
 それなのに、お母さんはこういった。
「お父さん、要る? ほしい?」
 質問みたいだけど、質問じゃなかったらしい。わたしが答えないうちに、スーッと、お母さんは自分の部屋へ行ってしまったのだ。
 それきり、「ゴミ」の話はしなかった。
 わたしは箱にふたをした。

 卒業式には、お母さんも来てくれた。空は晴れていた。風は冷たかった。
 その日、わかったことがある。浮いたり沈んだりしていたかもしれないわたしだけど、嫌われてたわけじゃないらしいって。
「スマホ買ったら連絡して」と電話番号のメモをくれた子がいたのだ。なんと6人も。
 OK。了解。合格祝いのメールをするね。試験がんばって。そういって別れた。
 最後の下校で、お母さんと歩く公園。
 その遊歩道の先にモッテテちゃんがいた。
 だけど、駆け寄ってこなかった。モッテテちゃんは、いつか見かけた男の人としっかり手をつないでいるのだ。やっぱり、あの人はお父さんなんだろう。
 わたしもお母さんが一緒だからモッテテちゃんは近寄りにくいんだな、と考えていると、男の人がゆっくりと頭を下げた。
「え?」と思ったら、お母さんも頭を下げた。
 知ってる人? と聞くまでもなかった。
 顔をあげたおとなふたりが、そのまま目で何か相談してるんだもん。
 不意に、あの日の言葉が蘇った。
『お父さん、要る? ほしい?』
 予想外のことが起ころうとしている。
 わたしは公園を見まわした。つい、「新しい何かがはじまるときの花」を探してしまったのだ。見つかるわけがない。桜が咲くには早すぎた。
 ふたりは知り合いだったの? だから、モッテテちゃんはわたしの前に現れたの?
 聞きたいこと、知りたいことが、あふれてきて止まらない。まぁ、いいや、春休みだもん。じっくり説明してもらいましょう。
 無言の相談が終わったらしい。硬い声で、お母さんがわたしの名を呼んだ。
 わたしは返事もせずに、モッテテちゃんを見つめていた。
 ああ、どうしよう、がまんできない。
 だって、手をつないだまま、ふたりが近づいてくるから。
 モッテテちゃんが「これ、持ってて」とお父さんを差し出す場面を想像したら、笑いがこみあげてきちゃったのだ。



(愛知県教育振興会「子とともに ゆう&ゆう」2019年度3月号掲載)


3年間の連載の最後の作品がなかなかアップできませんでした。理由は簡単……「次に何を上げるか」が決まらなかったのです。そのせいで数か月もブランクを作ってしまうなんて……。この作品は、お友だちの体験をもとに書かせていただきました。自分が作った縛りをわたしなりにうまく収めることができた、そんな気がしています。

これまで36作品、おつきあいいただき、ありがとうございました!

連載については、こちらの記事に。

https://note.com/gotomiwa/n/ne0a1d4443139

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