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2024 6月号  「ひらめきと新しいこと」が産まれるメカニズム

皆様こんにちは!
6月となり、今年ももう折り返しということで時間の流れの速さにびっくりしますね。だいぶ暑くなってきて季節の変わり目ですので、天気や気圧変化で身体や心の不調も起きやすいかもしれませんので、ご自愛ください!

今回はある熱心な読者さんからリクエストを頂きまして、「どうやったら色々な新しいことを思いつくようになるのか?」ということについてお話してみたいと思います!

私は今でこそ博士を名乗っておりますが、かつては人に何かを教えられるようなタイプではなく、どちらかというと社会の中で自分の位置づけが見つけられない苦しい時間を長く過ごしていました。人生を通じて色々な体験を経て「自分とは何者か?」という答えを探す日々を送る中で、「ひらめきと新しいことの産まれ方」という事が自分の得意な部分なのかもしれないということに、ここ数年で徐々に気が付き始めました。

そんな経験の中から見えてきた「ひらめき、新しいことを思いつく」という現象の仕組みを自分なりに解体して整理してみたいと思います。

まず、自分から見える景色と周囲から見える見え方は大きく乖離がある気がします。周囲からは「ポンポンと思いついている」ように見えているかもしれませんが、自分としては長い時間をかけて「あーでもない、こうでもないと考えて、考えて、考えている」うちにある日「あ!そういうことか!」と閃いています。

もちろん、閃きについては先天的な部分もあるのかもしれませんが、後天的な要素の方が圧倒的に大きいように感じています。

先天的なものがモノをいうのは、一番最初のスタートダッシュの勢いと限界まで努力をした末に起きる差の部分だと思っていて、それ以外の部分ではほとんどが後天的な部分で差がついてくると思っており、個人的には先天的な要素が2割、後天的な要素が8割くらいかなと感じています。

先天的な才能も、才能の箱が開かれなければ「ただの箱」です。自分も知らない自分の内面に封印された才能の箱が、人生の中の出会いや出来事で覚醒するきっかけがあるかが運命を分けると思っています。

実は私、今はこんなに論文や文章を書くのが好きで、発表やプレゼンテーションも大好きなのですが、小学生時代の「作文」が苦手過ぎて、皆がスラスラ書いていくのを横目に1時間フリーズして何も書けず、居残りになったり、自宅で親と一緒に書かされたり、本当に苦手でした。
その後も中学・高校でもちらほらそういう課題がありましたが、凄く嫌でした。読書感想文も嫌すぎて、乗り越えるために小学校から高校まで毎年太宰治の「蜘蛛の糸」の感想文しか書かないという技を編み出しました。それもあって高校生くらいまで自分は「文章を書くことが嫌い」なんだと20年近く勘違いしていました。

その意識が変わったのは大学の頃でした・・・

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