夕食難民 2

 この二度目の緊急事態宣言で最も困窮しているのは医療現場。それは紛れもない事実。しかしその原因を作ったのは政治の世界である事もまた紛れもない事実。病床数世界一を誇る日本がなぜ病床が足りていないのか?その原因の一つに確か第5次医療法改正の時期だったと思うがその時期から、病床数に対する規制と制約が加わり、地域の病院のクリニック化が進んだ。今、私たちの身近なクリニックも以前は〇〇医院とか〇×病院とか名乗っていたと思う。そして入院を必要とする疾病に対しては、「病院」で入院をするのが今の仕組み。昔はどうだったか?勿論、字面だけで読めば今と一緒だが、小さな医院、今の「クリニック」でも数日の入院とかは可能だった。今はそうした数日の入院、とかも「病院」に行かなければ成立しない。そうなるとどうなるか?「病院」に総ての入院を要する疾病の世話が集まる。その土壌がコロナによるパンデミックの前から既に日本には出来上がっていた。
 医療現場に限らず、庶民の生活は怪しい綱渡り状態で、その綱をぶち斬られた状態が今、と考えて遜色無いだろう。主人公の男もそんなぶち斬られた人間の一人。幸いな事に男は勤めている会社がしっかりしている事と、男はその会社の中でも他の人間には出来ない仕事をしているので、戦力外通告を受ける心配は今の所無い。ましてや男のやっている仕事は物件開発。ある意味死に体に群がるハイエナのような仕事、と言って遜色ないだろう。 テナントが退いたら男たちの出番なのだから。
 テナントが退く、とはつまりテナントが倒れる、誰かが苦しむ、と言う事である。勿論、そんなネガティブラインからのスタートばかりでは無いが、テナント案件を中心とした開発案件の大半は、テナント退去が一番最初の情報。或いは建て替えとか、全面テナントリプレースとか。兎に角誰かが不幸になる所からのスタート、が圧倒的に多い。そうした情報の取り扱いは本当に慎重にやらなければならないし、一歩間違えれば10の厄介ごとが付きまとうのが常。こんな汚れ仕事を進んでやりたがる人間はそうそういない。だから不動産に関する仕事に対し、皆ダーティなイメージを持つし、実際の不動産業界側はその業界側で、またそうしたイメージもある意味利用しながら生きているのも事実。
 開発の仕事は、いわば表の綺麗な、会社が描く事業戦略実現と、裏の一歩間違えれば10の厄介ごとがつきまとい、裏の更に奥に潜む人間の様々な側面も一緒に吸い上げながらバランスを保ち、新たな未来像を描いてそこに向けて一つ一つ組み立てをしていく、ボーダーライン上で常にバランスを保って立っている、そんな仕事である。逆を言えば、どちら側にも立つ事も出来る、とも言えよう。男自体は時に会社に対し最後の最後迄盾突いて不動産会社や案件の裏に居る人間の立場を守る事もあるし、会社の代表として、不成立の場合には真っ先に頭を下げる立場でもある。常にスリリング、エキサイティングな状況。不動産業界は水曜日と日曜日が休み、男は土日休みなのでこっちにとっての休みの日でも遠慮なく不動産会社は営業電話をじゃんじゃん掛けて来る。そして出ないと知らん顔を決め込む、そんな休みの日でも休めない毎日である。
 そんな様子、休みの日であっても自宅で仕事に追われる様子を元妻や息子は、ずっと見ており、仕事で苛立つ夫の姿を恐ろしい人、とも見ていた。だから夫である男が休みでも自宅で仕事をし始めると、元妻と子供は黙って歩いて五分の実家に出て行っていた。男は男で家族を喰わせる為に嫌な仕事もしているんだから、少しは我慢してくれ、と思っていたが、元妻にはそうした男の姿に耐えられなかった。いつそうした夫である男の恐ろしさの矛先が自分や自分の子供に向けられるか、判ったものではないから。男は極力そうした事は無いよう、努力はしていたがそれは単なる空しい努力でしかなかった事は結果が物語っている。男は今ある仕事でしか熱くなれない、そんな不器用な奴である。
 普段の仕事も不器用そのもので、もっと上手く立ち回れないのか、もっと効率よく行動する事は出来ないのか、どんな仕事をしていても常に男の頭にはそうした思念がつきまとっている。その、もっと上手く動けないのか、と言う事に対する一つが夕食。

 仕事をしている時は仕事、なので幾ら外で動いていようが食事はしない。集中出来ないからだ。オンとオフの切り替えをちゃんとしないと自分の気分が悪い。よく、これだけ外を出歩くと色々な人から誤解される。仕事サボって遊びに行っているのではなかろうか?と。事実男は会社からもそう疑われている、と感じていた。何でそんなに外を出歩くのか、もっと効率よく開発業務は出来るんじゃないのか?本当は外に出てお前は何をしているのか?と散々聞かれた。当然男は仕事をしている。いい物件は無いか?いい新たな仕事ネタは無いのか?いい協業先はいないか。探し出したら交渉をして、いい条件なら話を進めようとするがその条件が合わなければまた次を探さなければならない。その繰り返し。上手く行けばそれぞれのフェーズでの契約だったり金が発生するからそこで会社に判る。毎日日報は書くし営業報告なども全部やる。ただ、それは会社員なら当たり前の事。それを2年繰り返し、3年目に漸く認めて貰えるようになって4年目にコロナ。3年以上繰り返してきた事をそう簡単に止める事は出来ない。3年間、こうして認めて貰う為に男は何を犠牲にしたのか、一番は家族・・・・・・あぁ、家族が本当は恋しい。時間と共に成長し始めた息子が恋しい。けれども元妻は出ていった。当然息子を連れて。
 そんな虚しい想いを抱えながら男は今日も仕事をする。頭も心もクタクタになる。腹が減る。飯を喰う・・・・・・飯屋が開いていない。それが今。家で食べればいいじゃないか、家で作ればいいじゃないか、最悪コンビニの弁当があるじゃないか、とお偉方ですら言う。けれども、長く続いた在宅勤務の中で元々不得意だった料理も色々とやった。在宅勤務中に己の料理に下手さ加減に辟易としてしまった。少しでも腕を上げようとあれこれやってみたが結局ダメで何より作っている時間に強いストレスを感じるようになってしまった。同じ景色、調理と言えるかどうか怪しい腕で鍋やフライパンで食材をごちゃまぜにして何となくネット等で知った料理に近付けてみて食事の体を成しているが、実態は味付けが濃かったり薄かったり、丁度いい味、に中々辿り着けない。
 そしてそれを一人部屋で食べている時間。全く旨くない飯を一人静寂の中食べている。この時間が苦痛。男の部屋にはテレビは無いし、パソコンを付けてradikoやPodcastでラジオを聴くかYouTubeを付けて音を流している以外、何か賑やかにする方法は無い。それも段々やっていくと虚しくなっていた。それが去年。初回の緊急事態宣言で身に付けたライフスタイルの一つ。
 また去年もそうだが今も常に出張もある。ホテルの一室で食べるスーパーやコンビニの弁当。これ程虚しく味気のないものは無い。ビジネスホテルの一室は換気設備もその面積的な意味からも脆弱。その為弁当の臭いが必ず篭る。食品衛生上やむを得ない事ではあるが、容器に散布する消毒液の臭い、あれが特にキツい。電子レンジで温めた後に必ず湯気と共に込み上げて来るあの臭い。その臭いと共に一晩過ごさなければならず、出来るだけホテルの部屋で夕食はしたくはない。そう毎日思い外食を、と考えるが飲食店の営業時間制限で中々食事にありつけない。何故たかだか夕食ごときでこんな苦虫を潰すような思いをしなければならないのか、何故彷徨わなければならないのか、色々と悲しくなってくる。こうした状況は、まるで難民みたい。だから夕食難民と男は自分の状況を名付けてみた。

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