選択的夫婦別姓について基本的な考え方


もともと、国の氏制度(戸籍制度)は、「個人の不利益」などのような、人権問題で議論されるべきではないはず。

夫婦同性でも別姓でも、その国の慣習や歴史、文化などの背景を積み重ねた国の独自性を重視した議論展開が必要であって、男女同権や人権問題、また別姓制度が多いとか?少ないとか?数だけで語るべきではないとも考えます。

日本の特徴、国柄、国家の歴史や品格を考えると、家族が一丸となって、家庭の生活を守り、地域や国の平和のために、ひたすら他人の立場に立って、みんなで話し合って、知恵を絞って、安心した生活を送ってきたわけで、脈々と積み重ねてきた道徳的伝統を考えると、一時の権利主張によって軽々に今の氏制度を変えることに慎重なる必要があると思います。

別姓に変更した場合に、子供はいつから別姓にするのか?自分で決めるのか?親が決めるのか?離婚した場合はどうするのか?相続や贈与に対する民法上ではどうするのか?これらの多様性の問題により不安が増殖する危険性は、かなり大きい。

そんなことが日本の国柄🇯🇵、品格に沿うものなのか?疑問です。

それよりも、現行の氏制度のなかで、通称使用の拡大を促し、多様性を認める寛容性を社会啓蒙していく方が現実的だと考えます。

逆に、今の日本の社会はすでにその道を選択して進んでいると考えます。

かえって性を判別させることの方が日本の特徴を壊すことになると考えます。

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