大好きな地元だけど・・・
僕は、お盆の時期と年末に九州に里帰りする
その途中で、小学校5年生(10歳)まで住んでた福岡で友達と遊ぶのが定番だ
僕は小学生までしかいない。中学〜社会人の今でも関東にいる。
なのに地元に帰ったら、10人弱の友達と会うんだ。
今回も1泊2日で8人と会って飲んで語った
小学生からの繋がりっていうと驚かれるし、途中で転校したっていうともっと驚かれる
にも関わらず本当に気さくに話せて楽で楽しいんだよ
だから少しだけ自慢させて
「小学校しか一緒じゃないのに20年友達だよ。凄くない?」
離れてる時間のほうが長いのにすごいよね
この関係を僕は本当に誇りに思ってる
少し余談だけどさ
自分は今やりたいことがあって、お金に余裕はないんだよね
それをみんな知ってくれてるからか、4軒居酒屋梯子したのに僕は一銭も支払ってない。
申し訳ないし払うよと言っても、「せっかく帰省したんやけん、今ぐらいタダ飯しとき」って出したお金を戻してくる
社会人といえどみんな余裕がある訳じゃないし、仕事も忙しい中で稼いだお金だ
1軒目だけとかならまだしも全部だ
ここまではもしかしたら、珍しい話じゃないかもしれない
僕には姉がいて、姉も僕の友達を知っている
だから「これでご飯食べな」と2万円くれた
僕は友達に「姉がお金くれたけんこれで食べよ」と言った
4軒目のBarで、お酒とおつまみを頼んで1時間半ぐらい語った
お会計を頼んだら3人で約1万円だった
僕はPayPayの貰ったお金で払おうとすると、スマホを取られた
「バカやね、そういうのはポケットマネーにしとくとよ。」と言って、2人が5千円ずつお金を出した
2人ともが当たり前の様に出したんだよ。
どっちかが「姉の金なら出して貰えば良い」って思ってもおかしくないのに、そんな素振り一切なかった
「姉にはごちそうさまでしたって伝えとって。奢って貰ったことにしとくけん、それはお前が必要な時使い。」と友達は続けた。
僕は涙が出そうになった
こんなに暖かいカッコいい友達が自分にはいるんだ。
友達ながらに僕はこういう人になりたいと思った
この受けた思いやりを、僕は何倍にも増やして返すよ
ここに誓うよ。必ず返す。
福岡を帰る前に、小学校の通学路と校区を1人で散歩した
凄く懐かしくて思い出が溢れ出す
僕がここで過ごした、10歳までの出来事が昨日の様に思い出すんだ
…でもね
やっぱり少し違うんだよね
あれだけ長く感じた通学路も、今ではあっという間に着いてしまう
あれだけ広く感じたグラウンドも、少し狭く感じる
あの頃あった商店街の店舗は、今では無くなって新しいアパートが立っている
あの頃住んでた友達は、今は違う街に住んでいる
あの頃と同じに感じても、時間は進んでいるんだ
僕が懐かしむ街でもあり、違う街にもなったと感じる
僕の地元でもあり、僕の知らない地元だ
嬉しさもあるけど、寂しくて切ない気持ちに襲われる
「もう僕の知っている地元じゃないんだね」
…僕の居場所は無くなったのかな
友達にしてもそうなんだよね
本当に大好きだし、誇りに思ってるよ
でも、中学校できた僕の知らない友達は僕には分からない
そこには僕が入り込めない深い大切な関係がある
今更そこに踏み入ることはできないし届かない
時間を取り戻すことなんて出来ない
僕が10歳までの記憶は、約30年住んでいる友達からしたら本当に一部で忘れていることもある。僕しか覚えてない。
その色々に負い目と嫉妬と悲しさがどうしても拭えない
自分の友達といる空間なのに
「自分の居場所じゃないな」
なんて思ったりしてしまう
20年地元で頻繁に会って仲良いんだもん
それに勝る訳はないし、勝ち負けでもないんだけどね
わかってるよ
1人で散歩し終えて、1泊2日で遊んだのを振り返って思うよ
僕は本当にこの街が大好きだ
名古屋も埼玉も千葉も東京も経験した
都会で便利なとこはたくさんあるけど、僕にとってここ以上はないんだ
自然もあるけど凄い田舎でもないし、少しいけば天神博多とか都会に出れる
こんなにバランス良くて温かい街を僕は他に知らない
本当に本当に大好きだ
だから福岡から出る時思ったんだ
「僕はまたいつかこの街に住みたい。帰ってきたい。」
本当に思ってる
でも、もしかしたら僕は過去を美化しているだけなのかもしれない
ここで過ごした記憶に引っ張られている気もするんだ
過去に目をやりすぎて、今を見失ってないかな
もしここに20年振りに戻ってきても
自分が1番違うと感じて孤独に感じるような気もするんだ
僕は地元が大好きで帰ってくると本当にワクワクして楽しい
でも、それと同時に寂しさや孤独感を感じてしまう
神様、一つお願いが叶うなら
僕の転校を中学校以降までにしてくれませんか?
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