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ゴトーの危機一髪シリーズ・1〜パリ編

スリルとサスペンスを期待させるシリーズ、第1回。

ベルギーに住んでいたのは、某オーディオメーカーの社員として現地法人に出向していたからだ。僕の当時の仕事に、日本の本社から試作機を携えてやって来るエンジニアを連れてヨーロッパのオーディオ評論家を訪ね、聴いてもらってチューニングをすると言うのがあった。

当時、欧州にはまだデカいサイズのコンポの市場が豊富にあったが、現地メーカーの製品が人気で日本ブランドのオーディオはイマイチだった。しかし、パワーがあるとか歪みが少ないとか、単に製品のスペックだけを競うのではなく、ミュージカリティと言って、聞こえてくる音楽の説得力とかリアル感こそが大事なんだと言うことに気付き、現場の耳を借りて音を仕上げていったと言う訳だ。

90年代初頭と言えばCDが売れ始めた頃でアナログからデジタルへの転換期だった。CDはノイズがないとか音がいいんだ、と言うことだったけど、実は20キロヘルツ以上はカットされている。犬に聴かせる訳じゃなし、人間の耳に聴こえないんだからいらないだろうと言うことでバッサリ切られている。

ところが実際にはその聴こえない20キロヘルツ以上がミュージカリティに於いては大事で、なぜならアナログはそこでカットされてない、と言う発想から人工的に20キロヘルツ以上を再生時に付加したらどうだと言うことでそう言う仕組みを持ったCDプレーヤーが開発された。実際、聴いてみるとまろやかなと言うかアナログの持つ一種壮大な音像を伴ってCD音源が再生されたのだ。

そのCDプレーヤーの試作機をヨーロッパのオーディオ評論家に聴いてもらおうと言うことになり、エンジニアに同行してドイツ、イタリア、英国を廻り、ラストがフランスだった。

この仕組みは言ってみればCDのルールを破ってるみたいなもんだから測定してみると、普通の製品とはかなり違う結果をみせた。

パリの試聴室に通され、製品の説明をしようとしたら、ひとりが測定結果のグラフを持って来て、この製品は出鱈目だとか言い出した。これを見ろよ、ぜんぜんなってない。

僕は測定結果が重要なんじゃなくて、出てくる音楽が重要なんだ。それを理解して欲しいと力説した。

そしたら”Bon、わかったよ。じゃぁ今からふたつのプレーヤーで同じCDを掛けるからどっちがオタクのか当ててみるかい。と言われた。

実際、その試作機の音がすごく違うかと言うとそうではない。音楽の持つ表現力の問題なのだ。しかし、もうあとには引けない。出鱈目だ、インチキだと言われ、ここでミスったらアウトだ。

数人に囲まれてスタジオで最初の音が響いた。勿論、そのCDは初聴きだ。そしてもう一回、同じ曲が流れた。

さぁ、どっちだい、オタクのは?僕は頭の中で今聴いたふたつのテイクの印象を急いで反芻し、あとの方だ、と断言した。ほんとうはほんとうに些細な違いだったが、あとの方が音楽として心に届いたのだ。

しばしの沈黙のあと「正解だ」と声がした。まさに危機一髪、一気に緊張が溶けた。嬉しさがこみ上げ、僕を囲んでいた連中と握手を交わした。連中も、よかったね、と言う感じで、いい感じのヴィイブレーションが満ちていた。

各国でのチューニングの甲斐があって、そのCDプレーヤーは大ヒットになった。僕も一台買って随分愛用したものだ。

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