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ドサクサ日記 7/8-14 2024

8日。
小淵沢で目覚める。午前中から作業できるようにと前乗りしたのだけれど、日曜の晩はバイブス調整というか、メンバーの意識のチューニングを合わせるための会合(飲酒)に充てたので、朝食のあとからマイクや楽器のセッティング。予定は大幅に押しているけれど、食事の手を一切抜かない古里君がたっぷりと夕飯を食べたので、歌の録音を翌日に延期して、日本酒などを開栓して引き続き会合を深夜まで。

小淵沢「八ヶ岳星と虹レコーディングスタジオ」のウッドデッキ。朝でも昼でも夜でも、空気がずっと気持ちいい。高温多湿の日本だけれど、1000mくらいの標高なので、湿度もいくらか低い気がする。

9日。
レコーディング2日目。古里君が持って来てくれた常備菜はとても健康的で美味しい。野菜の風味、茸や昆布の出汁、少しの塩気、お酢の酸味など、味に対して敏感になっていくのがわかる。いつもは旨味を迎えにいかなくても、先方から味蕾にたっぷりと飛び込んできてくれるような食生活をしている。薄味の料理、特にアミノ酸を追加しない素材本来の味はこちら側から感じに行かないと、ともすれば「味がしない」という感想になってしまう。それは音楽も同じで、何を聴こうとするかで聞いている音楽の立体感が変わる。それは技術だ。食べ物を美味しいと感じるのは、食べ物や料理そのものが美味しいのもあるけれど、それを感じる自分にも責任があるように思う。僧侶の雄文君が作ってくれたけんちん汁は、これまで食べたけんちん汁のなかでも、もっとも優しい味だった。これを美味しいと感じる幸せ。

2日目の夕食。
古里君が持ってきてくれた梅干しがとても酸っぱくて、毎食、目が覚めるような刺激を口いっぱいに感じながら、なるべく早く飲み下すようにしていた。この日は最後、けんちん汁に溶いて飲んだ。

10日。
朝早く起きると、古里君がクワガタを捕まえていた。触ると死んだフリをするそのクワガタの前でアジカンの新曲を練習。古里君は朝のほうが元気なので、皆が起きてくる前にリビング/ダイニングルームで歌の録音を始めた。広々としたリビングは音の反射が少なく、歌い手にとっては程良いと感じる残響だった。録音ブースよりもむしろ少なくて遅い。それが良い。試してみるものだなと思った。1日で4曲の歌の録音という、なかなかハードなスケジュールだったけれど、居心地の良い場所を見つけたことが功を奏して、どの歌も良い感じに録れた。夕方の歌の録音時には町のチャイムで「故郷」が流れるという奇跡。「故郷だね」と古里君。なんだか面白くて笑ってしまった。空いた時間で取りこぼしたギターを重ねて、夕食までひたすらハーモニーの録音。21時前になんとか完パケ。機材を片付けて、東京戻り。

スタジオのコンソールルーム。モニタースピーカーとケーブルやマイクスタンド以外の機材はほとんど持ち込み。初見の人がいきなり訪れて録音を始めるのは大変かもしれないけれど、須藤さんのお陰でスムースな作業だった。カフカ先生とは毎晩、いろいろな話をした。

11日。
ボイストレーニング、某所で作業。帰りになんだかお腹が痛くなって、コンビニのトイレに立ち寄る。またお腹でも壊したのだろうと、自分の内臓の弱さを嘆くような、諦めの気持ちで括約筋を緩めたところ、これまでの人生で見たこともないようなサイズの一本糞が放出されて、唖然としてしまった。根菜を中心に三日間ほぼ野菜を食べ続けていたからだろう。ありがとう、古里おさむと風呂敷という気持ち。

12日。
GONGON君の訃報を知る。出鱈目のような歌詞で歌い切ることは、ある意味で告発のような表現だったと思う。歌っていることよりも、フィジカルに気持ち良い発語感、これこそが当時の、多くの英語詞のロックのど真ん中のフィールだと思う。意味ありげな歌詞なんて本当は要らないし、なくても最高に気持ちがいい音楽が作れることを証明していた。若い俺はいつだってジャカジャーン!!とかボキーン!の延長線を駆け抜けて、意味とかうるせえよ!ねえよ!と思っていた。GONGON君の革新をさらに進めたのが亮君で、亮君の場合は発語の気持ち良さから一歩も引かずに、本人にとって意味のある作詞法を発明した。かつての自分もそうだったけれど、英語の歌詞で歌い、それらしい意訳をつける。意訳は文字通りの意味よりもいくらか美化されていて、読み返すと恥ずかしい。いつだって音楽は言葉なんかよりもスピードが速くて、歌いたい言葉よりも先に、鳴らしたい音楽と感情があった。そんな周りくどいものではなかったかもしれないけれど、あっけらかんとB-DASHの音楽は発明だったと思う。あんなに気持ちいい発音/発語に全振りしたような音楽と、特に歌いたいこともないまま戦えるはずがないと俺は思った。そのまま鳴らしてシーンを突き抜けた彼は、本当にすごいと思う。どうか安らかに。

13日。
スタジオに篭って、黙々と新曲のデモを作る。孤独かと問われれば、はっきり孤独だけれど、創作はそういうものだと思う。ひとりぼっちだからこそ発見したり、解放できる感情もあって、俺はデモソングを歌いながらよく泣いてしまう。仲間が認めてくれる瞬間はとっても大事で、それがあるから、作った歌を誰かに聞かせるみたいな、場合によっては恥ずかしい行為を尊い作品へと昇華することができる。

14日。
植木鉢に適当に埋めておいたオクラがすべて発芽して大きくなってきたので、新しいプランターに植え替えた。ヨーロッパではサッカーやテニスの大きな大会が行われている。アメリカでは元大統領が銃撃された。日本では、今後の都政ではなく都知事選で落選した候補者を弄り倒している。すべては別の場所で起きているが、そのどれもが並列に目に飛び込んできて、なんだか途方に暮れる。生活は続く。