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ドサクサ日記 1/15-21 2023

15日。
人間というのは多面的な存在で、俺に優しく笑いかけた人が誰かの前では心を曝け出して泣き崩れたり、ひどい憎悪の交換をしたりする。そういうのは関係性のなかで現れる。自分のキャラクターは関係性がいつだって決めているのだ。そういうふうにして人を常に見ている。本性なんてものはない。偉大な先輩にだって、日々の生活の軋轢や様々な欲望を前にして、人間らしい醜さを発揮する瞬間があり得る。

16日。
伊丹空港からバスで福知山に行き、そこから乗用車で豊岡へ。長旅。座席で少し目を瞑り、ウムと呟いて目蓋を持ち上げたら福知山インターのあたりだった。遠くに福知山城が見えた。豊岡まで車で移動して、まずは定食屋にて久しぶりにラーメンを食べた。深くも浅くもないが確かに旨味の詰まった不思議なスープで、サッポロ一番を最上位互換したような味で美味しかった。麺が好きな感じだったので大盛りにすればよかった。そして、コウノトリが生息・飛来する冬季灌水の田圃や湿地を見学。汽水湖の水が引いてできた豊岡という町の自然や風景を堪能。巣塔と呼ばれる台座のような建物の上で休んでいたり、採餌のためにどこかへ飛翔していたりするコウノトリを数羽見ることができた。産業の面ではカバンの町として知られているらしく、カバンストリートなるところで素敵なバッグのウインドウショッピングをさせてもらった。能登地震のこともあって、なんとなく高額な買い物に対する忌避感がある。今は買ったつもりで寄付がいいのかもと思う。ゆえに、エイヤ!と即座に購入することができなくて申し訳なかったが、機材の持ち運びに適したバックを見つけたので、購入の是非をしばらく考え込むことに決めた。夜は居酒屋からのBARで痛飲。いろいろな人がわらわらと訪れては帰っていって面白かった。

17日。
朝イチからベジーデプラスさんの農園に行き、農園のコンセプトなどを伺ったあとで葱の収穫。パッセンジャーとして参加する農業は楽しい。しかし、これを毎日8時間やれとなったらどうにかなってしまうかもしれない。農家の皆さんの苦労を思うと、野菜はとても安いように感じる。その後は、出石に移動して永楽館の見学。なんとも素敵な劇場だった。どこの地域に行っても、あるいは東京でも、古いものは経済的な理由によって壊されてしまう。そして無味無臭とは言わないまでも、あまり特色のないハコモノが建ったり、駐車場などになって、地域の特色が薄れてしまう。オーナーの心意気で守られたこの劇場のあるのとないのとでは、出石の味わいが随分と違うのではないかと想像する。壊すのはとても簡単だが、同じものは2度と作れない。再建には、途方もない費用が必要になるのだ。皿そばを食べてから、玄武洞のあたりでフィールドレコーディングをさせてもらって、城崎温泉に移動。温泉を堪能。平日の午後ということもあって、地元の爺さんたちがたくさん湯に浸かっていた。うっかりすると、浸かっているのではなく、爺さんたちが茹でられているのではないかと錯覚してしまう。柳湯や熱くて、本当に茹ってしまうかと思った。夜はふれあい公設市場のあたりで食事。お酒はほどほどにした。

18日。
芸術文化観光専門職大学を見学。大きな劇場とモダンな図書館のある素敵な大学だった。劇場の裏には舞台芸術の裏方たちの働き方を学ぶ部屋もあり、演劇の舞台美術を作るひとたちがあった。なんと『四畳半神話大系』を上演するとのことで、しばし談笑。なんという偶然。ホワイエではゲネプロに向けて稽古が行われていた。大学が就職のための選抜装置だとしたら悲しい。企業が使いやすい人材を選別して、4年間のモラトリアムを認める、みたいな受験システムのなかにどっぷり浸かっても仕方がない。自発的な学びのある場所は素敵だと思う。俺は大学で何を学んだのか、どうして行ったのかも、アジカンを組めたこと以外はまるっと謎だけれども、やっぱり大学でもっと専門的な勉強をしたかったなという気持ちが今でもある。しかし、それが実現したとすると、俺は何らかの研究者か実践者になって、音楽とは別のことをしていたように思う。その後、何かを真剣に学びたいと思ったのは音楽を作るようになってからで、そこから読書が趣味になったり、いろいろな町をフィールドワークしたり、音楽とは関係ないよいでいて実は繋がっている様々な事象について考えるようになった。年齢は関係なく、学びたい、知りたいという気持ちはとても大事なのだと思う。俺は未だ何もしらない。もっと勉強したい。

Photo by Daisuke Kitayama

19日。
横浜に戻って録音。ポップミュージックの現場ではいろいろな葛藤がある。タイアップの仕事にはクライアントがいる。アートというよりはデザインしなければならない局面がある。そういうときに、いくらか、何かを売り渡したような気分になることがある。そういうわだかまりや、自分がやりたいことはこうなのにどこかで加減したり、無理強いさせられたような感覚を持ったり、そういうものを払拭するまでが辛い。どんな仕事でもやらされたくはない。頼まれたことでも、自発的に、これが今の俺のやりたいことだと思えるまで、何もかもを摺り合わせたり、突き合わせたり、打つけて壊して組み立てたりする。そうやっていると、ザッピングしているうちにラジオ局が見つかるようにして、チューニングが合う。鳥肌が立って、表現や楽曲が腑に落ちる。体感が伴う。それが良いのか悪いのかはわからない。

20日。
ブッチャーズの吉村さんの生誕イベントに出演。本当に素晴らしい夜だった。平松さんが支えるボトムの上で様々な音階を行き来する射守矢さんのベース、FOEの複雑なビートとグルーヴの支柱のような小松さんのドラミングを聞きながら、改めてブッチャーズの独特な魅力を感じた。バンドはひとりではできない。吉村さんのギターは唯一無二だったけれど、バンドはもっと特別だった。そういう奇跡はもう生では見られない。とても残念だ。ただ、その残響とは言わせないふたりの活動がそれぞれ続いていて、そこに過去の偉大なバンドの血液はどうしようもなく流れていて、それに触れられて幸せだった。ブッチャーズの曲を演奏すると、吉村さんのフィールだけではなくて、射守矢さんや小松さんの音楽や人生が体内を通過していくように思う。それが俺の音楽や精神の血肉になる。そうやって続けていきたい。

21日。
辻君の店で飲んだ最後のビールが直撃して、これぞ痛飲、宿酔と呼ぶべき朝だった。ライブハウスで飲んだ後、もう一杯と思うのは絶対に錯覚で、確実に飲まなければよかったという気持ちになる。けれども、その当時はそれを錯覚と気づかず、というかむしろ気がつかないから錯覚なのであって、こうした後悔は不可避なのだと思う。昼くらいには復活。豊岡でいただいた野菜などをたっぷり食べた。