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ドサクサ日記 12/19-12/25 2022

19日。
配信サービスで自分たちに課金しながら、サーフブンガクカマクラのコード譜を書く。録音したときにメモしておけば良かったのだけど、自分が作ったものなのだから書き留めなくても覚えておけるだろうと若い頃は考えていた。作曲も同じで、忘れてしまうようなものは名曲なわけがないと思っていた。それは実際に正解であり、不正解でもあると思う。夜中の寝がけに思いついたコード進行や夢の中で口ずさんだメロディを書き留めなければ、完成しなかった曲がいくつかある。若い頃は一切合切が自分のなかから湧き出て、自分に留まるのだと信じていた。今は違う。私たちは容れ物であり、そのなかを音楽やイメージが通過していく。それを捕まえる方法はいくらでもあるが、まあいいかと思えばいくらでも流せてしまう。コード譜というのは便利だ。再現性にバッファがあって、潔癖でないところがいい。

20日。
取材を受けているとき、ふと、別の媒体で俺が話したことをそっくり模倣して話すメンバーの口ぶりが気になることがある。みんなで作っているのだから、共通認識だと思えばいいのだけれど、俺は「それ、さっきのインタビューで俺が言ったやつじゃん!」と内心で呟いている。悲しいくらいに狭量な人間だと思う。メンバーが良いこと風の軽口を叩くと別の角度で切り返したくなる自分の癖が悲しい。

21日。
静岡へ。久しぶりに両親と食事をした。昔から母親も父親もそれなりに変わっていて、特に母親の過激な変人ぶりに振り回されながら、しかし楽しく、俺と弟は少年期を過ごした。父親はまともな人間である様に見えて、趣味の領域で静かに変人であった。誰しもが、そうした変な部分を抱えている。それが人間の味だと思う。静岡に帰るとそうした味にまみれる。そんな場所から、ひょっこり芽を出して。

22日。
引き続き静岡。桁違いの借金の構想の話をしながら、どんどん暗い気持ちになる。右から左に秒速で数億円を動かしている人や、月に数千万を稼ぐのだと豪語する人たちのことを考える。残念ながら音楽はそんなに儲かったりしない。しかし、夢がないとは思わない。友達とこの歳になるまで楽しくバンドをやってるなんて夢みたいなものだ。仲間だってたくさん見つかった。大金を持っていないだけの話。

23日。
夕方からタクシーが捕まらなかった。コロナ禍だけど少しの差で、クリスマスのムードが自粛ムードに勝っている。悪くない。自宅まで歩く。ものすごく寒い。寒すぎると変なテンションになってしまうのはなぜだろう。全く楽しくないが笑けてきてしまって、風が過ぎる度にヒャー!といかヒョー!とか奇声が出てしまった。これではまずいので、適当にアジカンの曲を口ずさみながら早歩きで帰った。

24日。
奥田知志さんの『いつか笑える日が来る』という本を少しずつ読んで感動している。奥田さんは「出会ってしまった責任」という言葉を使う。この言葉の重みや覚悟もすごいが、その距離感に感じ入る。見知らぬ人に表層のみで誤解されることや、あるいは出会っても起こってもいないことに思い悩むのではなく、身の丈の、自分の生活や人生のまわりにあることに目を凝らすこと。身ひとつのアクトローカルが人生の芯だけれど、情報技術の発達した現在では、それがときどき捕まえられなくなる。大切なことは何か。私に「できること」とは何か。これまでのことを思い起こしながら省みる。一方で、情報技術が発達したからこそ、孤立しないための選択肢がいくらか増えた。繋がりを失った人間の心もとなさ。私たちは関係性でできている。カルロ・ロヴェッリが量子力学の方向から書いていたことでもある。

25日。
ナンチャンのオープンカーで送ってもらう夢を見た。どこまで送ってもらったかは忘れてしまったが、ウッチャンとの不仲説を一蹴するように楽しいエピソードを語ってくれるナンチャン。オープンカーはグングンとスピードを上げる。もちろん、顔に風が当たって息がしづらくなる。ナンチャンの軽妙なトークが続く。もう息ができないと息が苦しくなったところで目が覚めた。猛烈に鼻が詰まっていた。