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日記 12/27-31 2021, 1/1-2 2022

27日。
渾身の歌唱。脳だけでなく、すべての感覚を開くように集中して、音楽の制作に打ち込む。手伝ってくれる技術者はいるけれど、いつだって創作は孤独だ。会心の出来だとひとりでブチ上がっても、「お疲れ様」で終わってしまうこともある。作業の労力を評価してもらいたいわけではなくて、そこで鳴っている音やフィーリングを感じてほしいから、「なんかいいね」でも、それだけでよみがえる魂。

28日。
録音。仕事納め。WAVとAIFFの問題で機材トラブル。MacとWindowsから吐き出される音声ファイルに互換性がなかった時代を思い出す。様々な分野のあらゆるツールが便利になったと思う。ある種の便利さが、俺が一人前になるための、本当だったら他人が待ってくれない時間を短縮してくれた。現在では、過去の職人の技術がたった数秒に短縮される。それは民主化でもあるが、人間的な喪失でもある。

29日。
大掃除をする暇がない。机の上は本で埋まってしまった。脇には封を開けてないレコードが大量に立てかけてあって、ひとつずつ聴き込む時間を今年は持てそうもない。新年はそこまで来ている。しかし、人間の都合で2021年が2022年とカウントされるだけであって、そこに何の意味があるのか。新年とやらに部屋が片付いていないといけない理由なんてあるのか。そうやって逃避しながら、ウダウダする。

30日。
自分が無謬で無敵だなんて思える瞬間が一番恐ろしい。どこかで、誰かを踏んづけたり、間違っていたり、取り返しがつかなかったりすることへの恐怖。あるいは後ろめたさ。それすら持たずに、自分の矮小さだけを武器に、進んで行くわけにはいかない。あなたの前で、グズグズしたり、ためらったりするのは、俺があなたのことなんてこれっぽっちも知らないからだ。どんなに言葉を交えようとも。

31日。
掃除もそこそこに、ワイン屋に新年用のワインを買いに行った。予算を聞かれて返答に困った。ケチくさく考えるのは、栓を抜く来年の自分に対して申し訳ないような気持ちになる。少しの見栄もあった。さすがにワイン屋に来て「酔えれば何でもいいんです」とは言えない。自分の金銭感覚を逸脱しない程度のワインを3本くらい買って帰った。そして、すぐに一本の栓を抜いてしまった。美味しい。

1日。
元旦。朝からお酒を飲んでお節料理を食べ、お酒を飲み、雑煮を食べ、寝て、散歩をして、本を読みながら寝落ちして、起きて、お酒を飲み、お節料理と雑煮を食べ、お酒を飲み、雑煮を再度食べ、餅を焼いて食べ、映画を見て眠くなり、風呂にも入らずに寝た。このような暮らしを続けると、終いには焼いた餅のように怠惰が膨れ上がり、自分と餅との区別がつかなくなって、妖怪餅人間と化すのだろう。

2日。
連日、朝からお酒を飲むのは良くない。しかし、大晦日に空けたワインのボトルに、ちょうどグラス一杯分のワインが残っていた。そういう場合には、朝でも飲んであげないといけない。そう思うのは人間のエゴである。なぜなら、ワインは生物ではないので意思がない。しかし、そう考えるのも人間のエゴかもしれない。ワインに意志がないと思うこともまた、人間界からのアングルでしかないからだ。ワインのみならず、ビール、日本酒、餅、昆布締めの刺身、焼いたチキン、チーズ、かぶら寿司、くぎ煮、ソーセージ、など、万物に何らかの意思のようなものが宿っていて、「早く飲み食いしてもらいたいな」みたいな感情を抱いているかもしれない。そう書くと、いよいよ頭がおかしくなったのかと思われるだろう。しかし、そんなことはない。俺はおかしくなってなどいない。酔っ払っているだけだ。