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1984年決勝戦(PL学園ー取手二高)

今年の高校野球も、あとは決勝戦を残すのみとなりました。
決勝戦で覚えている試合の中で、一番過去の思い出は
1984年のPL学園ー取手二高。
高校野球で以前に桑田選手、清原選手が1年生の時のPL学園のことを書きました。今回は、2年生の時の決勝戦です。

取手二高

小学生低学年の私の中では、茨城県のポッと出てきた高校というイメージでした。しかし、あらためて過去の成績を見てみると、この頃は茨城の強豪校だったんですね。前年の関東大会で優勝し、選抜にも出場(ベスト8)していました。
常総学院を強くした木内監督が率いていました。
OBには西武で活躍した松沼兄弟もいたんですね。

PL学園

前年の夏で1年生エース(桑田選手)、1年生の4番(清原選手)で優勝。
選抜も決勝で負けはしたものの、準優勝。
各高校が打倒PLで向かってくるようになったと桑田選手も振り返っていました。

決勝戦(私の記憶)

・延長戦になった
・延長10回に取手二高が桑田選手からホームラン(3ラン)で勝ち越して、さらに追加点を挙げた
・桑田選手は、3ランを打たれてマウンドを降りた(3ランではなく追加点の後かも)

この試合について、木内マジック、KKが夏の甲子園で負けた唯一の試合ということで、いろいろなところで取り上げられています。

木内マジック

この年の春、PL学園と取手二高は練習試合をやっています。
結果は13-0、桑田選手に1安打完封されています。
その時、取手二高にはいろいろあったようです。(Numberより)
決勝戦でも9回に同点にされた後、エースの石田投手をいったんライトに回して、ワンポイントリリーフ、その後再び石田投手にスイッチ。
覚えていませんが、すごいですね。
木内監督は、桑田選手のことを「日本の桑田」と言っています。
(これもNumberより)
そのPL学園に対して、1回でいいから勝てればいい、1本でいいからヒットが打てればいいと選手のモチベーションを引き出していたんですね。
やはり名将といわれる人は選手の気持ちをうまく持っていきますね。

試合の感想

小学生低学年の時の私の感想です。
1年で優勝したんだから、2年3年は無敵だろうと思っていました。
PL学園でも無敵ではないんだなというのが一番感じたことですね。
選抜でも準優勝、夏も準優勝ということで、勝負に絶対はないということをよくわかった試合でした。十分すごいことなんですけどね。

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