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2024啓蟄日記

最終出勤週だった。書類を整理し、ファイルをまとめ、自分の荷物を少しずつ引き上げていった。
最終日にはほとんどやることがなかったけれど、時間をもてあますのが嫌だったので、上司からの「最終日くらいゆっくりしたら」の言葉をかわしながら率先して作業を買って出た。三営業日先の出荷分まで完成させた。もうすっかり慣れた発送作業だった。

デスクとパソコン周りを綺麗にしてそろそろ帰るかと思っていると、会社の人たちが集まってきて大きな花束をくれた。びっくりした。5年弱いて8人の退職者を見送ってきたけれど、花束なんてもらっていた人いたかなあ。この間ベテランさんたち3人の最終日には有休を取っていたからわからないけれど、もしかしたら自分も長くいたほうだったのかもしれない。

ここで会社のイカれたメンバーをちょっと紹介しておきたい。
社長:いろいろ文句はあるが、最後にいままでのお礼と挨拶をしたとき、深々と頭を下げられたのが印象的だった。残った従業員を大切に、離職率が是正できるといいねと思う。

編集長:記憶容量がすさまじく、編集部員全員の担当書籍を把握していて、いつ相談しても的確な答えが返ってきたから、少なくともいち編集者としてかなり優秀な人だったことは確かだ。この社長でなければ、とても良い上司だったと思う(しかしこの社長だったから、直属かつ唯一の上司としてはかなり心許なかった…)。

編集部の先輩①:わりとめちゃくちゃな会社だったが、純粋に仕事が面白くて残っているタイプの変わり者だった。よく言えば人懐こく後輩の面倒見もよかった(距離感が苦手な人もいるかもしれないが)。夜遅くまで残った日なんかに、仕事の話や会社の込み入った話もしたことがある。ベテランたちがいなくなってからは貴重な肉体労働要因同士だった。「俺だって30の頃は元気だったよ」と何かにつけてよく言われた。「編集やりたくて入ってきたのに、最後の思い出は発送作業になったなあ」と言われ、「流通の末端も経験できたということで」と冗談で返したら「物は言いようやな」と感心された。

編集部の先輩②:先輩①が純粋に仕事が楽しいタイプなのに比べ、責任感が服を着て歩いているような人。有能で、編集長をして大谷翔平と言わしめた。ベテランが退職後、司令塔の役を買って出てくれたほどの頼りになる先輩。昼食を摂らないタイプらしく、昼休みも返上してデスクに向かっていた姿が印象的。10分以上の会話をしたことがなかったが、唯一ちいかわの話だけできた。推しは「ハチワレ君」と、ハチワレを君付けしているような可愛らしい一面があった。うさぎが一番推しですと言ったのを覚えてくれていて、退職の記念にうさぎのマスコットのブローチを贈ってくれた。嬉しかった。

編集部の後輩:年齢的にも年下の、唯一の後輩。先輩①とわたしと後輩がちょうど10歳差くらいずつの間隔だったと思う。ほぼ新卒で入社して、一番年齢が近いはずのわたしもかなり年上に感じていただろうと思う。あまり打ち解けることもなかった。自分が彼女と同じ歳の頃、職場には厳しい先輩がいたことを思い出す。当時は煩わしく感じていたものの、社会人としてのあらゆるノウハウを叩き込んでもらえたおかげで今の自分があるのだろうなと今になってわかったりする。しかし彼女は入社直後から気弱な編集長の教育下に入り、新人教育をすっ飛ばして実務に入った。そもそも新卒を迎えること自体が会社的に十年以上ぶりという中で、マニュアルもなく、編集長を差し置いて口を出せるわけもなく、どうにもしてあげられなかったのが唯一の心残り(それも、電話や来客に慣れるためにも率先して対応すること、とかそういうレベルのことです)。いい歳して次の会社に転職したときに、「前の職場で何を教わっていたの?どうして電話を無視するの?先輩たちが肉体労働している中でなぜ自席に座っていられるの?」と言われないかどうかがちょっと心配。

制作部の女の子:部署も違うし、互いに会社の人と必要以上に交流しないタイプだったが、ここへきて発送作業をほとんどペアを組んでやることになった。三日も一緒に取り組んでいると、今相手が何をしているか、どう動こうとしているかが手に取るようにわかってきて、たとえひとことも発さなくても、最初から最後までこなすことができるようになったほど。一人で作業するよりも格段にやりやすい相手だったし、たぶん彼女もそういう風に思ってくれていたと思う。最終日、「来週から誰とペアになったらええんやろ・・・」と親密なひとりごとを漏らしていて、ちょっぴりしんみりした。こんな緊急時でもなければ、彼女のそういう部分を見ることもなかったのかと思うと不思議な気持ちになる。

新しい経理部さん:先月入社したばかりで、退職が決まっていたベテランから一週間ほどしか引き継ぎ期間もなく取り残されてしまったことで、大変な目に遭っている人。その大変さがわからない社長からさまざまなオーダーが来るし、たびたび涙声が聞こえてくるのに耐えかね、気遣いのメールを送ったら後日手書きのお返事をもらった。短い間だったにもかかわらず、たびたび愚痴を言い合うことで心を通わせられた気がする。最終日はあたたかい言葉をかけてもらって嬉しかった。

別支店のお姉さん①:発送さん①と同じくらいの古株でかなり仕事ができるが、正社員ではなくパート。週3勤務で、それ以外の時間は「自分のやりたいこと」に費やしているそうだが、古株たち以外にはその姿は知られていない。人柄も良く、ゴタンダの退職を残念がってくれた。

別支店のお姉さん②:組版できるということで採用されたが、作業が追い付かず組版は制作任せになってしまっている。仕事ができないわけではなく、何事に対しても丁寧すぎて編集長もたびたび苦言を呈していた。人柄は良く、ゴタンダの退職も惜しんでくれた。

それから、ひと足先に辞めていったベテランたちも。

以前の発送さん①:一番の古株。ほとんど新卒から勤続している稀有な存在。昔はバイクを乗り回し映画を月に100本近く見るようなイケイケのオタクだったようだが、今では三児のパパ。最近見た映画でよかったのは「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」とのこと。
勤務中はあまり話さなかったが、ベテランさんたちが辞める前に一度飲みに行ったときはかなり饒舌に昔の恋バナを聞かせてくれた。細マッチョのイケメン。年齢的に年上の発送さん②には若い頃から慕い、唯一連絡先を交換している。失恋した翌日は仕事中によく話を聞いてもらっていたらしい。

以前の発送さん②:かなりの古株のおっちゃん。発送さん①が辞めると知って「一人残されるのは無理」と判断したそう。制作を兼務していて、組版できない編集部員の組版を制作の女の子と共に担っていた。InDesignでわからないことがあればいつでも教えてくれた。お酒と煙草が好きなオタク。
会社の歴史を共に見守ってきた発送さん①とは一蓮托生で、今編集部がヒーヒー言いながらやっている発送業務を、20年タッグを組んだ経験でそつなくこなしてこられた。しかし重いものを持って階段を登り降りするのもそろそろ年齢的にきつかったとのこと。

以前の経理さん:業務に関しては仏のようなお姉さんだけど、プライベートでは結構サバサバと気持ちのよい人らしい。経理部は二人体制のはずだが、半年前に一人辞められて社長が人員補充しなかったことから限界を迎え、繁忙期直前に退職することを決意(同時期にゴタンダも別件で退職を決意)。経理さんが辞めることも、発送さん①が退職を決意する原因のひとつになったらしい。結果、芋づる式に退職者が出た形になる。

その日は花束を抱えて家に帰り、水切りして花瓶に飾ったあと、街に買い物に出かけた(推しグッズの販売日だったので、次の会社用に定期券とマグボトルを買った。気が早すぎるかもしれない)。首尾よく買い終わり、自分のお祝いをしたくて飲みに行くか迷い、それよりも酒屋さんでちょっといいビールを買って家で飲むことを選択。目当ての店に閉店ギリギリに到着できる目論見が、バスが遅れてしまったのでほぼ諦めていたが、ダメ元で走っていくとまだ明かりがついており、ギリギリで滑り込めた。大好きなうちゅうビールがめずらしくかなりの種類そろっていて、悩みながら3本と奮発。いただきもののローストビーフを解凍しておいたので、それで晩酌した。

翌日は朝から通院で、絶食で採血だったのだが、針を抜いたらなみなみと血が溢れてきて、看護師さんには「しっかり目に押さえておいて!これはちょっと元気すぎる!」と言われるなどした。その後は友人たちとファミレスで昼を食べながら旅行の打ち合わせをして、旅に必要な品々を買い足した。夕方までイオンモールで過ごすなんてなんだか中高生みたいな休日だねと言い合い、しかしわたしが中高生の時代には地元にイオンモール(ジャスコ)なんてなかったのだが、と思う。

夜は梅田で雨市のライブがあり、ちょうど阪急沿線にいたこともあってそのまま電車に乗った。朝から行動しているので、これから満員電車で移動しさらにライブを楽しむ体力が残っているのか、慎重に検討した。しかしせっかく人生の春休みなのに、ここで行かないのもナンセンスな気がする。しかも、1月に出たばかりの新譜がまだ入手できていない。旅行までに入手しておきたいと思い、思い切って電車に乗ったのだった。行けば行ったでやはりライブは素晴らしかった。もちろん新譜も買った。

久しぶりのライブハウス

急いで帰って、シャワーを浴びる間にパソコンに取り込んで、大事にとっておいたうちゅうビールをちびちび飲み、歌詞カードを読みながら聴いた。今回、6年半待った大好きな曲が音源化されたのだけれど、歌詞をちゃんと読みながら聴くと、メロディの雰囲気やキャッチーなサビで好きになった曲なのに、その詩の凄みが改めてわかる。

前にも日記で書いた気がするけれど、ここで雨市との思い出を記しておく。
2017年に雨市に出会ったのは偶然だった。しんきろうのボスが、友人のバンド(Bagus!のことだ)が出るから今夜はネガポジで読書会をしようと提案したのだ。いうまでもなく、ライブハウスで読書会なんてできるはずがない。しかもボスは着くなりカパカパと飲んで早々に寝入ってしまっていた(本当にとんでもない奴だな)。おかげでわたしはその対バンをじっくり聴くことができた。言っちゃなんだが、たまたまそこに3人居合わせました、といった風情の、各々の雰囲気がちぐはぐなスリーピースバンドだった。ぬっと上背があるがパッとしない風貌のギターボーカル、それよりはだいぶ若そうでちょっと洒落た帽子なんか被っているベース、小柄な女性ドラム。しかしスピーカーの前で聴いていたこともあり、その音圧の心地よさに驚いた。「うそつきのステージ」の勢いとメロディに惹かれた。ボーカルの金丸さんがこの日のセットリストをTwitterで残してくれている。「だめな二人」「SOS」で締めていて、かなり刺さるセットリストだったことは確かだ。自分にはかなり珍しいことに、その場でアルバム「君の街じゃない」を買う。一か月後にまたネガポジでドブロクと2マン、しかもその翌日に扇町パラダイスで、つまり2デイズにわたって2マンをやるということだった。一ヶ月後、またネガポジに来た。そしてそのライブ後、普通に明日も聴きたいと思ってしまい、翌日もパラダイスまで行った。同じメンツで2デイズ2マンをやるほうもすごいが、1か月前に初めて雨市を知った人間が2日ともに足を運ぶのもだいぶ狂っていると思う。それからはライブのたびに会場で1枚ずつアルバムを買い求め、ずぶずぶにハマっていったが、最初に2マンみたいな長丁場の楽しみを知ってしまうと、普通のブッキングライブでは満足できなくなってしまった。曲数が多すぎて、セトリに聴きたい曲がないと消化不良を起こしてしまうようなのだ。以来、長丁場で聴けるワンマンには欠かさず行くようにした。
ライブハウスに出入りするようなミュージシャンの友人は多いが、雨市はちょっと世代が上なのか、知り合いに遭うことはまずない。シャイな者どうし、自分からメンバーに絡むこともない。ライブを楽しみ、「今日も楽しかったです、応援してます、音源楽しみにしてます」と金丸さんにひとこと伝えるような関係性でいつのまにか6年半経っていた。もし雨市が50年後も続いているなら、50年後もライブハウスに来て聴きたいと真剣に思う。

↓配信でも聴けます。ぜひ!

翌日はコンサートホールでARTEマンドリンオーケストラの演奏会。質のいい音楽を二日同時に聞きに行けるなんて本当に幸せだなあ、と、北山では必ず立ち寄るようにしている喫茶店で、世界一美味しいカレーを噛みしめる(長らくの臨時休業が明けたばかりだそうで、かなりラッキーだった)。本当は丸本大悟さんの新作「虹彩2」が聴けるようだったのだけれど、間に合わなかったよう。体調を崩されているので心配だが、当日は会場にいらっしゃったようで少し安心する。
他にも、かつて10年以上前に定期演奏会で弾いた「瑞木の詩」が末廣健児さんご本人の指揮で聴けたのはとてもよかった。
アンコールは「愛は勝つ」で、弾きながらの多重コーラスはすごかった(ARTEに入るには歌もできないといけないのか…)。

無職1日目、所用を片付けたあと、入ってみた初めての喫茶店がとても良かった。町家をリノベした空間で、秘密基地を見つけたと思った。好みのレモンスイーツがメニューにあって嬉しい。数日分の日記をまとめて書いた。

翌日からは地元へ帰省。時間がとれるうちにと、実家の自室の片付けが目的。不用品の仕分けをせっせと行う。以前からことあるごとに調べても謎だった、美術の本に乗っていたとある作品についてTwitterで投げかけてみると、フォロワーの優秀な特定班複数から情報が寄せられた。

それから、ちょうど去年出産した友人に会いに行き、子に誕生日プレゼントを渡した。学区はどこになる、などと話をする。介護施設にいる祖母にも会いに行ったが、眠っていて目を開けてくれなかった。台湾に行ってくるよ、と伝えて辞した。

帰省するとかならず福井の海辺で過ごす時間を作るのだけれど、今回は城山公園に行ってみた。海水浴には来たことがあるけれど、山に登ってみたのは初めて。今転んで捻挫すると台湾旅行は中止だな、などと思いながら東の天王山に登り、帰りの電車を1本遅らせて西の高浜城址にも登っておく。興味深い立地の神社にお参りし、ここに城が建っていた時代に思いを馳せながら遠く鳶の声を聴く。

自室の片付けもひと段落して、帰洛。結局出発の前日までかかって台湾旅行の準備をしていた。直前になって一切のやる気を失ったときは参ったが、巷ではトラベルブルーなどと言われているみたい。出発前日にはどうにか持ち直し、パッキングを完成させた。出発前の気持ちを記しておきたかったのに、何一つ浮かばなかった。地元に帰って老いから幼きにまで会い、親と酒を飲み、部屋の片づけをし、海と山を補充した。もし台湾でなにかあっても後悔しないだろうな、それでも行けるタイミングで行きたいのだ、という確信を除いては。


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