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李白訳『金星捉月』と詩人choriのこと

李白という詩人は、酒に酔って舟に乗り、長江に浮かぶ月を捕まえようとして転覆し、溺死したという。

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2015年9月、仕事を辞めたらchoriさんと知り合った。すぐに意気投合して夜も朝もお酒に付き合うようになったけれど、ちょっと眠いから今日は帰ってくれない、気が向いたらまた明日おいで、みたいなことを平気で言うから、李白みたいな人だなとこっそり思っていた。だから当時訳した李白の詩には、choriさんの気配がある。

choriさんは満月の日に亡くなったらしい。大半の人はそうだと思うけど、ちゃんとお別れできたわけじゃないから、まだ鴨川のほとりにいそうな気がしてならない。鴨川ならちょっと泳いだくらいじゃ溺れることはないよね、たぶん。


ゴタンダクニオ李白訳『金星捉月』

あいすべき詩人
靑蓮居士へ

旅先のうた

蘭陵の美酒は鬱金の香り
玉椀盛り來る琥珀の光り
だんな、ぼくをもてなして醉わせてくれたら
もうここが故鄕みたいなものだ

 客中行
蘭陵美酒鬱金香
玉椀盛來琥珀光
但使主人能醉客
不知何處是佗鄕

山中にて幽人と對酌す

詩人、今日はふるなじみと飮んでいる。ふだんは山奥ふかくに住んでいるやつがひさしぶりに酒壺をもって玄關さきに現れたものだからついうれしく、その日の予定をすべて取りやめにした。酒飮みに晝も夜もないから、花も咲いているし、ふたりともものすごい勢いで杯がかさなり、かれこれずっと飮んでいる。七絃をつまびく手元はあやういが、それはまるでこの世のものとはおもわれない響きをもって耳元にとどく。そのここちよさにまぶたがおちかける。口の端から酒があふれそうになり、これはいけないとぼんやり眼をこすって詩人は言った。
「ごめん、眠くなってきちゃった。ちょっと寝たいから帰ってくれない。気がむいたらまたあしたおいで…琴ももってきてね…」

 山中與幽人對酌
兩人對酌山花開
一盃一盃復一盃
我醉欲眠卿且去
明朝有意抱琴來

酒をすすめるうた

見たまえ、黄河の水が天上から落ちて
海に流れ、二度は戻らぬのを
見たまえ、髙堂の鏡が我が白髪が憂い
朝には黒絲のようだったのが暮れには雪に変わるのを
人生、おもいのままのときにこそ、樂しみつくすべきだ
月を前にして酒樽のみと相對していてはならぬ
天がぼくに才能を與えたのは何かの役にたたせるためだ
千金を使い果たしてもまた懐に戻ってくるさ
だから羊を煮、牛を料理して樂しもうではないか
一晩三百杯は飮まなきゃね
岑夫子よ、丹丘生よ
飮もう、休むことなく飮もう
きみのために一曲うたうよ、どうか耳を傾けておくれ
宴席の音樂も立派なごちそうもいらないから
いつまでも醉って醒めなければいいね
元來、聖人賢者だって死んでしまえば寂しいもので
ただ酒飮みだけが後世に語り継がれるものだ
曹植もかつては平樂で一斗十万銭の美酒を樂しんでいた
銭が少なくなってもどうにかして酒を買い、きみに酌むよ
五花の名馬も千金の衣も質にいれて酒に換えさせて
きみたちと永遠のかなしみを忘れよう

 將進酒
君不見黄河之水天上來 奔流到海不復回
君不見髙堂明鏡悲白髮 朝如靑絲暮成雪
人生得意須盡歡 莫使金樽空對月
天生我材必有用 千金散盡還復來
烹羊宰牛且爲樂 會須一飮三百杯
岑夫子 丹丘生 將進酒杯莫停
與君歌一曲 請君爲我傾耳聽
鐘鼓饌玉不足貴 但願長醉不用醒
古來聖賢皆寂寞 惟有飮者留其名
陳王昔時宴平樂 斗酒十千恣歡謔
主人何爲言少錢 徑須沽取對君酌
五花馬 千金裘 呼兒將出換美酒
與爾同銷萬古愁

月の下にて獨り酌む

山間から月がのぼり、白皙の詩人と酒壺をしろく照らしだした。
盃に斜光がさし、おもしろいので、かかげると光ごとふるふるとふるえる。
夕暮れから花を相手にひとりでやっているので、なんだかうれしい。
月はさびしくはないのであろうか。問いかける相手はいない。
かすむ目を細めて仰いでも、満月と紛うほどあかるいが、すでに暦をおもいだせないとこぼすと、酒壺がのこりを数えてほらねと言う。その上持ちあげてみないとその根拠すらもあやふやであった。
盃のなかだけでなく、長江にも、軒先の甕にも降りているだろうことをおもうと、さびしがり髙じて気がおおいものである。だからなにも詩人のひとり酒を憂えただけで昇ったものではない。
月もまたさびしいのであろうか。
あまりに光がつよいので、詩人のたよりなげな影をくっきりと描きだしていく。
こうしてみると影もまた暇に飽いて出てきたようである。
なかなかかわいげがあるではないか…。感じ入ったので、いそいそと厨にいき、平らな皿や、髙坏などの食器のすきまをさぐって、もうふたつ盃をもってくる。月も影も口に運ぼうとしないが、ふしぎと杯はあいていく。
春は樂しむためにこそあるのだ。

 天がもし酒を愛さなければ
 酒星という名の星はあるまい
 地がもし酒を愛さなければ
 酒泉という名の町もあるまい
 天地が酒を愛すのだから
 恥じることなく飮めばよい
 古く淸酒は聖人にたとえられ
 また濁酒は賢人と呼ばれた
 聖賢を飮むということは
 神仙になるとおなじこと
 三杯飮めば老荘の教えに通じ
 一斗飮めば森羅万象と爲る
 ぼくはただそれを樂しみたいだけだ
 下戸には教えてやらないよ

即興のうたを吟じながら花咲く垣根にたおれ伏す。盃とせっぷんしているのかうたっているのかさえもわからなくなればなるほど月は揺れてわらい、影はどんなに予期できないうごきをしてみせても詩人のまねっこをしてからかった。人のものではないたくさんの笑い声が、あかるくつきぬける夜空に響く。天からも地からもこの春の宵への祝福のようだ。それはとても愉快で、平和で、たいへんうれしい。
 まだ醉いがまわりきらないころはおたがいに樂しんでいることをわかりあっていたが、壺のなかみが尽きるころには月はいとまを告げ、影もぼんやりうすれてくる。
 また遊ぼうね。つぎは天の河のほとりあたりで。

 月下獨酌 四首
  其一
花間一壺酒 獨酌無相親
擧杯邀明月 對影成三人
月既不解飮 影徒随我身
暫伴月將影 行樂須及春
我歌月徘徊 我舞影凌乱
醒時同交歡 醉后各分散
永結無情遊 相期?雲漢
  其二
天若不愛酒 酒星不在天
地若不愛酒 地應無酒泉
天地既愛酒 愛酒不愧天
已聞淸比聖 復道濁如賢
賢聖既已飮 何必求神仙
三杯通大道 一斗合自然
但得酒中趣 勿爲醒者傳

湖州の迦葉司馬より白は是れ何人なりやと問はれしに答ふ

佛の目をした靑蓮居士ともいえるし、罪を犯した流刑の仙人でもある。前者はじぶんでつけた名前で、後者は詩壇の長老から賜った名前です。
酒屋へ通って三十年、界隈でぼくの名を知らない者はいない。
釈迦のお弟子と同じ名をもつ湖州の司馬どの、前世ではお世話にもなり、よくよくご存じかとおもいますが、酒の慧眼たる金粟如來の生まれ変わりの維摩居士とはぼくのことですよ!

 答湖州迦葉司馬問白是何人
靑蓮居士謫仙人
酒肆藏名三十春
湖州司馬何須問
金粟如來是後身

酒を手にとり月に問う

夜空に月が昇ってどのくらい經つものか
すこし盃を置いて尋ねてみたい
人は月にさわれないのに
月はいつもついてくる
夕燒雲の中に白く輝き
夕靄が去ればなお淸く輝く
宵の口に海から昇ってくるのは見えるが
朝方に雲間へ消えるのは見たことがない
月兎は春と秋を繰り返しながらずっと藥を搗いている
嫦娥は孤獨に棲み暮らし鄰には長らく誰もいない

今、ぼくたちは昔の月を見ることはできないが
今の月は昔のぼくたちを照らしていたのだ 不思議だ
昔から、人は去っては二度と戻らぬのに
月を見上げるのはみんな同じだ 不思議だ
ただ、ぼくらがうたを聽きながら酒を飮むとき
月がいつも酒壺の中を照らしていてくれたら、とおもう

 把酒問月
靑天有月來幾時 我今停杯一問之
人攀明月不可得 月行却與人相隨
皎如飛鏡臨丹闕 綠煙滅盡淸輝發
但見宵從海上來 寧知曉向雲間沒
白兔搗藥秋復春 ?娥孤棲與誰鄰
今人不見古時月 今月曾經照古人
古人今人若流水 共看明月皆如此
唯願當歌對酒時 月光長照金樽裏

『金星捉月』ゴタンダクニオ
2015年刊行/A6判/20ページ

新卒で勤めていた会社を3年で辞めてフラフラしていたころ、李白を訳そうと思って、choriさんと知り合ったのは、ちょうどその頃のことだったと思う。
当時バンドのサポートでマンドリンを弾いていた繋がりで「ゴタンダくん詩人とか好きそうだから」と紹介された。当時choriさんはlivehouse nanoでブッカーをしていた。すぐに意気投合して、その日の弾き語りのメンバーの打ち上げに連れていかれて「歩」で飲んだ。そのあとDDに連れていかれ、ピーナッツの殻でふわふわのあの床を久しぶりに踏むことになった。村上春樹的な夜だとちらりと思った。DDには当時村島洋一さんがいて、どこからかギターを取り出して爪弾けば、choriさんが即興のポエトリーリーディングを披露した。……神様みたいな夜だった。
朝まで飲んだか、小雨降る朝の川端通、傘持ってないのと訊くとchoriさんはしかつめらしく「詩人は傘を差さない」と言った。
なぜか深いところで納得してしまったせいで、腕を痺れさせることになったのは言うまでもない。そういう人だった。詩を詠めば詩人というわけではない。詩人は生き様なのだと知った日。
転職してから、その川端を横切って通勤しているのが、今ではちょっとつらい。

家も近かったから、無職だったわたしはいい飲み相手だったと思う。朝昼晩もおかまいなしに電話がかかってきたり呼び出されたりした。DDに通う口実にもなった。村島さんがペンでひたすら丸を描き続ける横で、choriさんはいろんな人の似顔絵を描いていた。choriさんが木屋町で歯を折った事件のときのことはよく覚えている。いろいろあってわたしはなぜか知らない人に財布をすられ、バイト代を全部なくした。財布は戻ってきたけど、翌日新幹線をとっていた博多旅行はほとんど無一文で行った。あのころはわたしもむちゃくちゃな生活をしていたなと思う。

2016.9
2016.9
2016.10
2016.10
2016.10 誕生日の二日後 ゴタンダの似顔らしい。 精一杯イケメンに書いてくれたchoriさんの気遣いのようなものを感じる

あれだけの酒を飲みながら、何を話していたかはほとんど覚えていない。いつかchoriと村島の話を書いてよと言われたけど、書くとも書かないとも言わなかった気がする。だって普通に98とかまで生きると思ってたんだぜ。

音楽の話が合うわけでもない、将棋にひとつも興味のないわたしだったけれど、互いの興味の重なるところに漢詩があった。

眠くなれば追い返されたから「山中與幽人對酌」みたいなことも実際にあった。李白の号は青蓮居士といったが、choriさんの足の甲には蓮が咲いていた。
だから完成したときにchoriさんに渡そうと思って鴨川のほとりに立ち寄った夜、献本ですと言うとchoriさんは「タダじゃあなんだから」と言って代わりにCDを一枚くれた。それが「鈴木さん/ぼくたちはなんだかすべて忘れてしまうね」で、部屋で一人酔狂になったような夜に今でもよく歌う。

初めて人前で詩を朗読したのもchoriさんのイベント、ポエトリーナイトフライトだった。まだ三条にあったVOXhallで、わたしは詩集『食べられる花』から「jam」と、連作「客中行」から「夜行バス」を朗読したと思う。あんまりちゃんとした講評をもらえなかったことをだけはちゃんと覚えている。わたしはchoriさんの詩は好きだったけど、自分の作風を大事にしていたから、それからはあまりオープンマイクに行ったりはしなかった。それでもchoriさんのライブには何度も行ったし、鴨鍋をやると言われたら喜んでお相伴にあずかりに行った。

以降3枚しきちゃんの撮影
choriさんとみっしゃん(トリミング)
京鴨かどこかから取り寄せてくれた鴨鍋セット

そのあと他の場所でも一度朗読して、それを覚えていてくれた人と6年後再会し、以降交流を深める縁になったこともある()。あれからしばらく書かなかった詩だけれど、最近になってまた書き始めた()。choriさんのいないところでも詩関係で得た繋がりもあるから、それらは誰に対してももっと詩を書けと常々言っていたchoriさんのおかげだと思っている。choriさんに最後に会ったのがいつなのか、ちゃんと覚えていないけれど、「最近また詩書いてるんですよ」って言えなかったのを、わたしはたぶん少しだけ悔やんでいるのだと思う。

choriさんを撮ったなかで一番気に入っている写真を最後にあげておく。常駐していたTwitterのヘッダー画像にしてくれているくらいだから、たぶん本人も気に入ってくれたんじゃないかな。この写真を今はリリース情報周りの告知で代理人の人が使ってるみたいだけど、これ、実はゴタンダが撮ったんですよ。

これが出回ってるほうの写真(トリミングされていない元データ)

忘れもしない2016年9月3日、最年少棋士が誕生した!と興奮気味に電話がかかってきて、かなりご機嫌なようすだったので、翌日ツバクラメのPVを撮るからデルタにおいでよと声をかけたのだ。本当に久しぶりに人前に姿を現した先輩の姿に、かわはらださんからは「あのchoriさんが来てくれるなんて。いったいどうやって誘い出したん?」とそれはそれは嬉しそうに驚かれた。だからこの写真は藤井聡太さんのおかげなんです。

同じ日、ツバクラメのメンバーと↓

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今日、chori奏に行った。入場スタンプにみんなchoriさんとお揃いの蓮の花を手の甲に捺してもらってた。
いろんな人がchoriさんのことを話し、もう何年連絡取ってなかったとか、こういう約束をしてたとか、こっちからもっと連絡してやればよかったとか言いながら、思い出話とともに演奏や詩を披露していた。こんなに愛された夜に本人だけが、もう会えない遠い場所にいる。

誕生日おめでとう。


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ゴタンダクニオ
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