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みかんの色の野球チーム・連載第26回

第3部 「事件の冬」 その9
 
 
 担任の先生が、変わった。
 次の日の朝。佳代子が復帰して39人が着席した6年3組の教室に、校長先生に伴われてやって来たのは、平林幸江という名前の、女の先生だった。
 もう50は越えた年齢と思われる平林先生は、鼻の右側に大きなホクロがある以外は、とくにこれといった特徴のない人だったが、物静かで穏やかな雰囲気は私たちを安心させるのに充分だった。
 ところで、担任の職務を解かれたヒゲタワシだが、今日から職員室の自席だけが、彼の居場所になったらしい。
 万事に計算高い人間のくせに、山本佳代子の父親が教育委員会の教育長と大の仲よしだということを知らなかったのは、あまりにもウカツだった。
 昨日、学校を休んだ娘にその理由を訊いた山本源一郎氏は、たちまち怒り心頭に発し、20年来の釣り友だちである宇都宮公太郎教育長にさっそく電話連絡。続いて宇都宮教育長から連絡を受けた校長先生が、6年3組で起こった生徒たちの反乱劇を目撃したばかりだったというのは、実にグッドタイミングだった。
 顔の下半分を覆うご自慢のヒゲを撫でさすりながら、哀れなタワシ先生は、4月からの転任先が決まるのを、じっと待ち侘びるハメになったという次第。
 とにもかくにも、卒業式まであと2か月と少し。私たちは小学校時代の最後の日々を、新しい先生のもとで送ることになったのである。
 
 私たちにもたらされたのが新しい先生なら、フォクヤンにもたらされたのは新しい人生だった。
 大分テレビジョンのニュースで紹介された彼自身のコメントの通り、深大寺和宏氏は、娘の命を救ってくれた恩人に対する感謝の気持ちを、現実の形にしたのだ。
「恐怖の人さらい」から一転、「心優しき英雄」の名声を獲得したフォクヤンは、警察署から釈放されたその夜、久々に八幡神社の防空壕跡に帰り、掻き集めた枯葉を布団にして眠りに就いた。
 翌朝、老雄のもとを訪れたのは、矢倉セメントからの使者。
 工場長宅の庭の掃除役として、あなたを雇いたい。
 実は前任者が3か月前に腰を痛めて退職し、代わりの勤務者を探していたのだが、ちょうどそこへ、あなたが現れた。
 ついては前任者に優る給与に加え、住み込み・食事付きという好条件であなたをお迎えしたいのだが、いかがだろうか。
 広大な敷地は、あなたと愛車のリヤカーが活躍するのに打ってつけの舞台だと、われわれは信じて疑わない。ぜひ、ご承諾をいただきたい。
 彼は、そういう内容の話を伝えに来たのだ。
 この雇用交渉は、通訳を必要としなかった。
矢倉セメントから送られてきた使者は、NHKの人気テレビ番組「ジェスチャー」(※注)の大ファンらしく、全身をくまなく使った巧みな動作で交渉相手との意思の疎通を図り、フォクヤンもまた、身振り手振りの熱演でこれに応じた。
 かくて、交渉はスムーズに運び、やがて契約の成立に至ったのだ。
 少年時代から山野を巡って炭を焼き、荷車に鉄屑を積み重ねながら齢を重ねてきた老人は、体を酷使し続けるライフスタイルを、そろそろ変えたいと思っていたのかもしれない。
 だが、フォクヤンが一般社会のメンバーになるためには、やらなければならないことがあった。それは、積年の汚れを洗い落とすこと。つまり、入浴だ。
 1月15日の日曜日、午後。
 フォクヤン、ついに風呂へ! その噂を聞きつけた市民たちは、私たち5人組も含めて、宮本町の銭湯「えびす湯」の前に集合し、主役の登場を今や遅しと待ち侘びていた。
「矢倉がのう、えびす湯を1日、借り切ったち。30万円払うて、男湯も女湯も借り切ったち」
 どうだ俺は情報通だろうと、得意げな顔をして、ペッタンが言った。
「ひえーっ、30万円も! 大人の入浴料金が、30円じゃあけん、えーと……、おう! その1万倍かーっ!」 
 お金の計算に強いカネゴンが、驚き呆れた声を上げた。
「まず最初に、男湯の湯船に石鹸を100個ほうりこんで、ぶくぶくの泡だらけにして、その中にフォクヤンを浸けこんで、下洗いをするっち。その次に、女湯に移動して、さら湯の中で、すすぎ洗いをして、仕上げるっち。新聞の販売店の大将が、今朝言いよった」
 まるで洗濯物を洗うかのように、ブッチンが解説をした。
「湯船の中が、真っ黒けっけになってしまうじゃろうのう。明日からもう、えびす湯には、客が来んようになってしまわんかのう」
 ときどき、父親といっしょにこの銭湯を利用しているというヨッちゃんが、心配そうに呟いた。
「なあに、フォクヤンはもう、津久見の英雄じゃあ。銭湯に、汚れは付いても、箔が付く」
 とっさに閃いたシャレを私が飛ばしたが、誰も笑ってくれなかった。
 そのとき、おおーっという観衆のどよめきの中を、3人の人物が一列になって登場してきた。
 先頭は、紺色のスーツの上にステンカラーのコートをはおった中年の男性。背筋をピンと伸ばしたその姿は、彼がこの入浴プロジェクトのリーダーであることを思わせた。
 2番目を歩くのは、えんじ色のオーバーを着た、中年の女性。その顔を見て、彼女が、ユカリの誕生日会のときに、料亭へと案内してくれた深大寺家の使用人であることを私は思い出した。これからはフォクヤンの同僚となる彼女が持っている大きな風呂敷包みの中には、入浴後の新しい衣類が入っているのだろうか。
 そして、列の最後尾には、本日の主役のフォクヤン。これで見納めとなる真っ黒な顔と体に向かって、
「ピカピカになって来いよーっ!」
 誰かが大声を投げかけると、老人はそちらの方を振り向き、
「ふおおおおおおおおーっ!」
 返事の雄叫びを上げた。
 1か月半前に私を失禁させた独特の叫び声には、今はもう、恫喝と入れ替わって歓喜がこもっていた。
 3人が男湯の前に到着すると、ガラガラッと戸が開き、えびす湯の主人が、えびす顔をして現れた。
「いらっしゃいませ! お待ちしておりました! さっ! どうぞっ! どうぞっ!」
 主人の挨拶に迎えられた3人は、風呂屋の中へ姿を消した。
 
 1時間が経ち、2時間が過ぎた。
 フォクヤンは依然として銭湯の中にいたが、大勢の観衆の中に、待ちくたびれて帰ってしまう者は一人としていなかった。
 生まれ変わったフォクヤンの姿を、その目に焼き付けようと、寒風に吹かれながら、市民たちは期待に胸をふくらませていたのだ。
 そんな彼らに、強力な助っ人が現れた。
 今日の入浴イベントを、大きな商機にしようと、どこからともなく集まってきたのは、屋台、屋台、屋台の群れだ。
 ホッカホカに焼けた、回転饅頭。ジュジュッと音を立てる、タコ焼き。鉄板の上に舞う、焼きソバ。豚骨の匂いを漂わせる、ラーメン。もうもうと湯気を立ち昇らせる、おでんと熱燗のトックリ。
 それぞれの屋台にたちまち観客たちが群がり、食べ、啜り、噛み、頬張り、飲みこみ、呷り、酔い、騒ぎまくって、もはや突然の冬祭り状態だ。
 ブッチンとカネゴンは、回転饅頭を1個ずつ。ペッタンとヨッちゃんと私は、タコ焼きを1串ずつ。お金を出し合って買い、分け合って食べていると、
「出て来たぞーっ!」
 誰かの大声とともに、大観衆の視線が、いっせいに銭湯に注がれた。
「あああーっ!」
「なんじゃあ、ありゃあーっ!」
「ほんとに、フォクヤンかのうーっ!」
 立て続けに驚きの声が飛んだのも、無理はない。
 私たちの視線の先に立っている人物は、上から下まで、真っ白だったのだから。
 純白の帽子、純白のジャンバーとセーターとシャツ、純白の手袋、純白のズボン、純白のソックスと靴。
 そして、汚れの堆積をすっかり取り除いたフォクヤンの顔は、ビックリするほど、色白だった。今までの数十年間、市民の誰一人として知らなかったフォクヤンの素顔が、そこにあった。
 知られざる歳月の、空白の白。明かされた無実の、潔白の白。新しき出発の、無垢なる白。そして、連想を誘うのは、セメントの白。
 それはまさに、彼が余生を託した雇い主による、見事なまでの演出に他ならなかった。
 呆気に取られたままの観衆たちの前に、颯爽と滑りこんできた、白い乗用車。
 その後部ドアが開き、乗りこもうとしたフォクヤンは、ふと顔を上げ、自分の門出のために集まってくれた大勢の市民たちの顔をしばらく眺め回した後、最後の雄叫びを上げた。
「ふおおおおおおおおーっ!」
 喜びのようにも哀しみのようにも聞こえるその声は、車が走り去った後も、ずっと私の心の中に響き渡っていた。
 
 
 
(※注)1953年から1968年まで、NHKで放送されたクイズ番組。テレビの草創期において、そのメディア特性を活かした代表的な番組であり、日本のテレビ史上初めてのクイズ番組でもある。柳家金語楼率いる白組(男性陣)と、水の江滝子率いる紅組(女性陣)に分かれ、視聴者から募集した問題を、解答者がジェスチャーのみで表現し、それを制限時間内に当てていくゲームによって30分番組が進行していった。司会を務めたのは、小川宏アナウンサー。筆者は、この番組が大好きだった。


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