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小説「ノーベル賞を取りなさい」第35話(最終話)

あの大隈大の留美総長が、無理難題を吹っかけた。




エピローグ

 十か月が経った。柏田は研究室の椅子にもたれ、足を組み、じっと天井を見つめるいつもの姿勢で、なにやら考え事をしていた。
 あれから彼の身辺では、おもに二つのことが起きていた。一つ目は、「ストックホルムの星になれ」という彼の言いつけを由香が素直に守り、スタンフォード大学の大学院に留学したこと。そして二つ目は、彼自身がストックホルムの星になり損ねたことだ。
 受賞を逃したという事実には少なからず落胆したが、よくよく考えてみれば、最初のチャレンジで栄冠に輝くなんて虫の良すぎる話だ。総長の留美も思いは同じらしく、自分の任期中にまだチャンスは二回あるし、牛坂をクビにしたおかげで敵対勢力が弱体化したので、総長をもう一期やってチャンスを六回に増やしてあげようかしら、おほほ、などと頼もしいことを言ってくれた。
 あの襲撃事件のあと、新調したアライグマの毛皮の帽子を撫でさすりながら天井を見つめ続けていると
「先生宛てにお手紙です」
 新しい秘書が一通の封書を柏田のデスクの上に置いた。きちんと椅子に座り直し、手にとって見ると、それは由香からのエアメールだった。さっそくペーパーナイフで開封し、便箋をつまみ出すと、柏田は読みはじめた。

柏田照夫さま
 お元気ですか、先生。なーんて、ノーベル経済学賞をとれなくて元気があるはずのない先生に対して失礼な書き出しをしちゃったけど、この手紙を読んでくれたら少しは元気になれると思うので、途中で破り捨てたりしないで、最後まで読み通してくださいね。(スマホでピッのメールもいいけど、せっかく八千キロ以上も離れているのだから、情趣あふれるエアメールにしたんだよ)。
 先生の言いつけを守り、いつの日かストックホルムの輝く星になるために、私はこの九月にスタンフォード大学大学院修士課程に入学をしました。  最難関校を選んだのは、スタンフォードが先生の母校ということで憧れがあったから。そのため英語をはじめ猛勉強をしてなんとか合格したのに、入学後に待ち受けていたのはさらに猛猛猛勉強の毎日でした。
 日本と違い、こちらの修士課程は授業が中心で、研究はほとんど行われません。ほとんどの修士課程の学生は、研究室に所属さえしていないのです。スタンフォードの授業は四学期制になっていて、一学期が三か月で終わります。だいたい一学期に三授業(九~十単位)を取り、一年から二年の間に修士号を取れるようになっています(修了に必要なのは四十五単位)。
 講義そのものはとても活発で、学生たちからどんどん質問が出ます。最初の頃はかなり戸惑っていた私も、いまでは慣れて、質問を気軽にできるようになりました。
 約一~二時間のTAセッションでは、TA(ティーチング・アシスタント)が講義を復習したあと、宿題に似た例題を解説します。学生たちはこの例題を参考にして宿題を解くので、みんな真剣そのものです。その宿題の内容が、すっごくヘビー。これをすべて自力で解くことは困難で、必ずどこかでつまずくように作られているのです。これに対抗するために、学生たちは少人数の勉強グループを結成し、みんなで議論しながら宿題を解いたりしています(私も)。
 このように、講義、TAセッション、宿題をこなすために、一科目につき週に十時間以上は勉強に費やされ、三科目だとそれが三十時間以上になっちゃいます。さらに、いい成績を目指したり、深く勉強しようとすると、もちろんそれ以上の時間がかかります。日本と比べてアメリカの学生は、成績への執着心が強く、それによって博士課程に進む可能性が広がるので、修士の学生たちは、ほんと、勉強漬けの毎日です。
 せっかくヴェブレンの著作をすべて原書で読もうと思っていたのに、どうやらそれは博士課程に進んでからのことになりそうです。
ところが! こんな不憫な私に、とうとう神様が微笑んでくださったの! 日曜日のきょう!
 巨大なスタジアムやゴルフコースなどのスポーツ施設、スーパーやレストラン、ブックストア、銀行も郵便局もなんでも揃っているスタンフォード大学の広大なキャンパスの中で、私は学生寮と教室を行き来するだけのちっぽけな存在に過ぎませんでした。そんな私が、ちょっとだけキャンパスの外に出てみようと一人きりの散歩を試みたのが、きょう十月二十二日。
 キャンパスの森の小道をずっと歩いていくと、木々の茂みの中に山小屋のような古びた家が立っていました。その庭には、白、黄、ピンク、青、紫などの色をした、名前は知らないけど、とても美しい草花が植えられていて、私が見とれていると「どうだい、きれいだろう?」という声がしました。
 振り向くと、お爺さんが一人、笑顔で立っていました。「ええ、とてもきれいです」と返事をすると、「学生さんかね?」と訊いてきました。私は答えました。「はい。日本から来た、由香と申します」。お爺さんは「ほう、そんなに遠くから。私はアーサー。良かったらコーヒーでも飲んでいきなさい」と言い、私を家の中へ招き入れてくれました。
 古い木で作られたテーブルと椅子に向かいあわせに座り、温かいコーヒーを飲みながら、私たちは会話を続けました。「ユカは大学でなにを勉強しているのかな?」、「経済学です」。するとアーサーさんはこう言ったんです!「私の祖父も経済学者だった。名前は、ソースタイン・ヴェブレン」。
 それを聞き、驚きのあまり、私は言葉に詰まってしまいました。アーサーさんは続いてこう言いました。「でも祖父に会ったことはないんだ。私が生まれるずっと前に亡くなったからね」。コーヒーを、ひとくちふたくち飲んで、私はようやくしゃべれるようになり、日本にいる自分の先生がソースタイン・ヴェブレンの熱烈な信奉者であること、自分もまたソースタイン・ヴェブレンの始めた経済学の研究をしにスタンフォード大学へ来たことなどを話しました。そしてこの偉大な経済学者について聞き知っていることがあれば、ぜひ教えてほしいとお願いしました。
 するとアーサーさんは、遠くを見つめるような目つきになり、しばらくしてから口を開きました。「祖父の人柄を知るうえで、私がいちばん好きなのは、このエピソードだな。私の母と伯母、もちろん二人とも故人だが、ある日、姉妹ゲンカの真っ最中で二人は泣き叫んでいた。そこへ祖父がやってきて『ああ、ちょうど涙がほしいと思っていたんだよ。ほら、ここに小さな壺があるだろ。この中に君たちの涙の粒を落としてくれないかい』と言った。そうしたら二人ともすぐに泣き止んだそうだよ。ちょっと、いい話だろ」。
 私は再訪を約束して、アーサーさんの家を辞去しました。そして学生寮に戻ると、さっそくこの感激を先生に伝えたくて手紙を書きはじめたというわけなのです。
 先生の敬愛するソースタイン・ヴェブレンは、優れた頭脳だけでなく、とても優しい心の持ち主でした。一九二九年にこの世を去った制度経済学の創始者の魂は、間違いなく、ここにあります。そしてこの手紙に乗って、先生の元へもたどり着いたことでしょう。
 先生、ノーベル経済学賞、こんどこそとれるよ。ストックホルムの輝く星に、こんどこそなれるよ。私も、一日でも早く先生に近づけるように、これから宿題を頑張ります。
カリフォルニアより💛をこめて  花崎由香

 手紙を繰り返し読んだ柏田は、便箋を封筒に戻すと、それを引き出しの中に仕舞った。それから立ち上がり、後ろのデスクの秘書に向かって言った。
「悪いんだけどさ、買い物をお願いしてもいいかな。便箋と封筒のセット。どっちも横書きのやつ。若い娘が好みそうなのがいいな」
 秘書が出かけると、柏田はまたも研究室の椅子にもたれ、足を組み、じっと天井を見つめた。毛皮の帽子を撫でながら。  


(了)       


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