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小説「けむりの対局」・第4話

勝つのは、どっちだ? 升田幸三 vs 人工知能




 決戦の朝。深川秀夫名仙は、定刻の九時よりもすこし早めに対局場に入った。
 座布団に正座をし、羽織袴の居住まいを整える。厚さ六寸五分の将棋盤をはさんで、アーム型ロボットの白い姿が、目前にある。
その三メートルほど後方には、やはり和服の正装を身にまとった早見俊介が、パソコンの前に座り、開始のときを待っている。
 右手に配置された長いテーブル側には、三人の男性と二人の女性が、いずれも着物姿で座っている。中央には、本対局の正立会人を務める日本将棋協会会長朝比奈九段、向かって右側には副立会人の専務理事磯野八段、常務理事谷崎七段。向かって左側には記録係の菊地亜里沙女流二段、棋譜読み上げ係の松下春菜女流初段。
 対局場は、沈黙している。テーブル側の五人から伝わってくる、重くるしい空気。そのわずかな部分には、自分に向けられた期待もあるのだろう。しかし、重い空気のほとんどを、自分の力に対する不信が占めているのに違いない。深川秀夫は、そう思った。
 二十二の若さで初の名仙位に就き、棋界の新星と謳われて以来、勝利の飛跡を伸ばしつづけてきた自分だが、もはや五十の齢に近づいて全盛期の力を失ったいま、最強の将棋ソフトを相手にいったいどれだけの戦いができることか。せめて、みじめな負け方だけは、すまい。それが、彼の本音だった。
「駒を並べてください」
 朝比奈の声に促されて、深川は駒箱の蓋を開け、駒袋を取り出した。声と同時に、インターネット動画サイト「わくわく生放送」の中継用カメラも作動を開始した。まもなくスタートする電脳の代表と人脳の代表の対決が、数十万の視聴者たちをパソコンやスマホの画面に釘づけにするのだ。
 駒袋から盤上に注ぎ出された、二十枚の駒。それらのなかから、王をつまんだ深川の指が、それを自陣最下部の中央の桝目にピシリと置いた。それから左右の金、銀、桂、香の順にゆっくりと並べていく。角、飛、さらに九枚の歩を並べ終え、深川の陣容は整った。
 続いてロボットの駒並べが始まった。二十枚の駒は、あらかじめ右側の駒台の上に置かれてある。折りたたんでいたアームを静かな動作音とともに開きながら駒台へ伸ばし、その先端に取りつけられたサーチライトとカメラによって玉の駒を探し出すと、それをシリコンゴム製の吸盤で吸い上げて盤上へ移動させ、自陣最下部の中央の桝目のなかへきれいに置いた。
 機械がこんな芸当をやってのけるなんて、まるでSF映画だな。厳しい勝負がこれから始まるというのに、思わず感心をしてしまう深川の目の前で、ロボットのアームは同じ動作を二十回繰りかえし、二十枚の駒をすべて正しく並べ終えた。
「事前の振り駒により深川名仙の先手番、戦友の後手番と決まっております。持ち時間は各五時間、それを使いきると一手六十秒未満で指していただきます。それでは対局を開始してください」
 朝比奈の発声に応じて、深川が
「よろしくお願いします」
と、お辞儀すると、ロボットもまたアームを折り曲げるしぐさで深々と一礼した。
 背筋を伸ばし、瞑目し、気息を整える、深川。
 数分間ののち、初手を指そうと腕を伸ばしたそのときであった、会場の上方からまばゆい光の筋が射しこんできたのは。
 天井を突きぬけ超速で降り注いでくる光線は、深川の背後で輝きを増し、線から面へ、面から立体へ、煌めきの大きさをみるみると膨らませていく。
やがて光の造形は、ついに一体の、人間の姿を描き出した。
 それは、奇跡の現れにほかならなかった。
 それは、天界からの訪れにほかならなかった。
 実力制第四代名人、升田幸三、降臨。
 
 
                            
 
 
 
 
 

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