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小説「ノーベル賞を取りなさい」第23話

あの大隈大の留美総長が、無理難題を吹っかけた。




 十月四日、火曜日。主要紙の朝刊のすべてに掲載されたその広告は、たちまち世間の注目を集めた。それが書籍の広告としては異例の全面カラー広告だったことに加え、その内容が読者の興味を強く引いたからである。
 紙面中央に大きくレイアウトされた書籍の写真。そのタイトルは
「富者たちは笑う 無重力の揺りかごで」。
 その表紙デザインは、宇宙空間に浮かぶ真っ赤なリンゴの絵柄。著者名は
「晴道学園大学教授 加賀縄静也」。 
 そしてこの商品写真の右側には
「格差の秘箱を、ニュートン力学で引っぱり落とせ。気鋭の経済学者がいま、現代資本主義の難題に挑む」
 というキャッチコピーが添えられ、商品写真の左下には大きな赤文字で
「本日発売」と記されてあった。
 総ページ数は四一五。定価は一九〇〇円+税。出版社はプライムミニスター社。
 おそらく、この広告に最も衝撃を受けたのは、大隈大学ノーベル経済学賞獲得チームの面々だったろう。同日午前、総長室に集まった五人は、すでにこの単行本を通勤途上の書店で購入し、困惑の態でソファーに座っていた。
 誰も一言も発しない。長く重苦しい沈黙が続いたのち、口を開いたのは留美だった。
「とにかく、この本を通読すること。そこから対処の方法を考えるしかないわね。今夜七時頃に、また集合しましょう」

 夜の会議で真っ先に発言したのは、柏田だった。
「この本に述べてあることは、私が書いた日本語原稿の内容と非常によく似ています。そして、あちこちに翻訳文的な用語や言い回しが見受けられるのは、この本が私の英語の論文をそっくり日本語訳したものであるからに違いありません」
 彼がそう話すと、出版準備の進んでいる日本語版および英語版書籍のゲラ刷りの束を、由香がテーブルの上に置いた。
「実は私もそう思ったの。本の内容は柏田さんの書いた原稿とほぼ同じ。でも文章がぎこちないというか、日本語として練られていないのよね。きっと、スピード重視で作業が進められたんだわ。我々よりも早く上梓するために」
 留美がそう言うと
「柏田先生の英語の論文データを渡してほしいと、私が清井先生に頼まれたのも、由香ちゃんが同じことを中川先生にそそのかされたのも、すべてはこの本を出版するためだったんだわ」
 と、亜理紗が応じた。
「つまり盗作なのね、この本。だったら著者の加賀縄静也って人に著作権侵害で差止請求とか損害賠償請求とかできないんですか?」
 怒りをこめて由香が訊くと
「こっちが先に出版したのならともかく、すでに上梓された相手の本に対して、盗作だ、著作権侵害だと騒ぎ立てるのは筋が通らないでしょう。柏田さんの英語の論文データはすでにアメリカン・エコノミック・レビューに投稿済みですから証拠になりうるかもしれませんが、一連の捜査が国家権力によって中止に追いこまれたことを考えれば、民事ではなく刑事告訴をと意気ごんでも、同じ轍を踏んでしまうのではないでしょうかね」
 と、牛坂が答えた。
「この晴道学園大学って、偏差値が三十五未満。いわゆるFラン大学でしょう。そんな大学に、どうして国家権力との繋がりがあると言うの?」
 留美の問いに
「権力というのは思わぬところで手を結びあっているものだと聞いたことがあります。そしてある日突然、牙をむいて襲いかかってくるものだとも。総長、これは大隈大の名誉を守るためにご進言申し上げるのですが、いま準備中の日本語版、英語版の単行本の出版、それにスウェーデン語版の論文の投稿、および単行本の出版。これらをすべて取りやめにすべきではないでしょうか。それと申しますのも、もしも上梓した場合、先行販売している晴道学園大から、逆に著作権侵害で大隈大が差止請求や損害賠償請求、不当利得の返還請求、あるいは刑事告訴をされはしないかと危惧するからです」
 と、牛坂。
「そんなバカな!」
 留美が立ちあがった。
「それじゃあノーベル経済学賞の獲得はどうなるの? 投稿した論文の成功を後押しするための施策として出版を企画進行してきたのに、取りやめですって?」
 牛坂が両手をテーブルについて平伏した。
「すべては大隈大を守るためです」
「なんのためにこれまで頑張ってきたの? みんなの努力は台無し、私の面目も丸つぶれだわ! なにが国家権力よ!」
 留美の悲痛な叫びに、柏田、由香、亜理紗の三人は、悔しそうにうつむいた。
 
      

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