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将棋小説「三と三」・第14話

阪田三吉と升田幸三。昭和の棋界の、鬼才と鬼才の物語。




 三月になった。梅の花は咲きこぼれ、幸三のもとへも嬉しい知らせが舞いこんだ。
 東京での対局通知状である。関西の気鋭の若手五段として、今や升田幸三の名は日本全国に広まり、その将棋を各新聞社は競って紙面に載せようとしていた。
 そういう中で臨時に企画されたのが、東西若鷲戦だ。幸三の相手は、塚田正夫六段。対局日は三月二十六、二十七日と二日制で、持ち時間は各九時間。対局場は、赤坂表町に移転した将棋大成会本部である。
 幸三よりも四つ年上の塚田は、坂口允彦七段、建部和歌夫六段とともに「昭和の三銃士」と称される、東京棋界の俊英棋士である。その師匠は、花田長太郎八段。何と、この二十二日から京都の天龍寺で、阪田が七日間にわたる対局を行なうことになっている、その相手である。互いに師と仰ぐ両雄が京都で戦う期間内に、幸三と塚田が東京で盤を挟むとは、何という因縁であろうか。
 南禅寺で木村に惨敗を喫した阪田は、もはや花田との対局を放棄するのではないかという憶測が飛び交っていた。ところが、老雄の気勢はそがれるどころか上がる一方で、
「右の端歩を突いてダメなんだら、こんどは左の端歩でも突いたろか。まあとにかく、世間がぶったまげるような阪田将棋を見せたるさかいに、楽しみにしとくなはれ」
 と、周囲に豪語しているほどだ。
 それは幸三にとって、たいへん喜ばしいことだった。自分自身の対局で上京し、およそ四か月ぶりに、あの若子に会えるのと同じくらいに。
 ああ、対局日が待ち遠しい。自分より一段上位の相手だが、必ず塚田を破ってみせる。そして、若子の店のカウンターテーブルに、二つ目の写真立てを並べてみせる。
 自分は、もうすぐ十九になる。若子は、幾つなのだろう。二十三くらいか、二十四くらいか、二十五くらいか……。
自分の好いた女性は、生まれてこのかた、若子しかいない。若子には、好きな男性がいるのだろうか。あれだけの容姿端麗だ、言い寄る男がいないはずはない。すでにもう、心に決めた相手がいるのではあるまいか。丸刈り頭の田舎者の出る幕など、ないのではあるまいか。
 いや、丸刈り頭の年少者とはいえ、自分は前途を嘱望されている将棋の五段だ。専門棋士になるのさえ難しいのに、その出世街道を驀進しているのだから、まんざら捨てたものではないだろう。現に活躍する自分の新聞記事を、若子はわざわざ写真立てに入れ、店に飾ってくれているではないか。 
将棋の強い男が好きなのではないだろうか、若子は。年下の男を好む女も、世の中にはいると聞いたことがある。将棋が強くて自分よりも年下の升田幸三を、もしかすると若子は好いてくれているのではないだろうか。
 もしも若子と口づけというものを交わしたら、いったいどんな味がするのだろう。もしかするとそれは、とても優しくて上品な、こぼれ梅のような甘さなのかもしれない……。
 浮いては沈み、沈んでは浮きを繰り返す初恋の想いは、梅の花びらをふわりと舞い上がらせる春風のように、幸三の体をふわふわと動かした。木見宅の自室に入ると、幸三は文机の前に座り、インクとペンと便箋と封筒を取り出した。

 若子様
 突然にこのような手紙を差し上げるご無礼をお許しください。もしも万が一、お気に障るようでしたら、読まずに破り捨てていただいても構いません。私も勝負師の端くれですので、己の負けは負けと、受けとめる覚悟は常にできております。
 さて、来たる三月二十六日と七日の二日間、私は東西若鷲戦という新聞棋戦の対局を、東京の将棋大成会本部にて泊まりこみで行なうこととなりました。
 相手は塚田正夫という名の六段で、昭和の三銃士の一人などと呼ばれておりますが、なあに、四銃士であろうが五銃士であろうが、この升田幸三が粉砕してご覧に入れます。そうして貴店の写真立てを、必ずやもう一つ増やしてみせます。
 私はこの二十一日で満十九歳になりますが、今の勢いで出世を続けていけば、二十五歳くらいまでには名人になれそうな気がしております。それゆえに、貴店の写真立ては、これからますます増えていくことでありましょう。
 対局が終わったら、久々に貴店へ参上し、ゆっくりと腰かけ銀をさせていただきたいと存じます。また素晴らしき名曲などお聴かせいただければ幸いに存じます。
 今度こそ、飲食料金を支払わせていただきますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
                                      升田幸三

 書いては破り捨て、破り捨てては書き、五時間をかけてようやく仕上がった、生まれて初めての恋文だ。宛先である腰かけ銀の住所は、もらったマッチ箱の裏側に書いてある。幸三はインクで真っ黒に汚れた手をきれいに洗い、手紙を投函しにいった。

 若子から手紙が届いたのは、三月二十一日だった。返信をもらえたという純粋な喜び、それが自分の誕生日に届いたという不思議な喜び。二重の歓喜に加え、いったいどのような内容の手紙だろうかという不安も重なって、幸三の胸の高鳴りは激しくなった。
 震える手で、幸三は手紙を開封した。

 升田幸三様
 このたびはご丁寧なお手紙を頂戴し、誠にありがとうございました。読まずに破り捨てるどころか、繰り返し拝読いたしましたことをご報告させていただきますね。
 また、十九歳のお誕生日をお迎えになられたこと、誠におめでたく、心からのご祝福を申し上げます。
 来たる東西若鷲戦、お相手は六段の方ですのね。ぜひご健闘をされ、良い結果が出ますようお祈り申し上げます。
 それにしても昭和の三銃士とは、お勇ましいこと。昨今は国防婦人会などの女性の団体も国中に広がって、銃後の守りということが賛美されておりますが、そういう戦争の気配が、私は不安です。
 新聞などを読みますと、欧州では昨秋にドイツとイタリアが枢軸という提携に入り、日本もまたドイツとの協定を結んだとのこと。そのような事柄が、大きな災いを招かなければ良いのですが。
 中国でも、新たな事変が起きるのではないかと心配です。戦禍を被る人たちのことを思うと、私は悲しくなります。
 だいじな対局を前に、このような心細いことを書いて、ごめんなさいね。     でも将棋盤の上での戦であれば、私は大歓迎ですのよ。
 ぜひとも勝利をされ、躍進を続けられ、当店の写真立てをどんどん増やしていってくださいましね。
 腰かけ銀へのお越しを、心よりお待ちいたしております。
                                    若子

 自分の書いた手紙を若子が繰り返して読んでくれたのと同様に、幸三もまた、若子の書き綴ってくれた返事の手紙を、何度も何度も読み返した。
 そして読むたびに、陶然とした思いに包まれるのだった。若子は何という心の優しい女性なのだろう。日本が戦争に向かって突き進んでいることは、もちろん幸三にも分かっている。二十歳を迎える来年は、自分も徴兵検査を受けなくてはならない。甲種合格は男の名誉とされるが、戦地へ駆り出されるのは真っ平御免だ。  
 自分の戦地は盤上にしかないと思うし、職業や立場は違っても、この国の男子のほとんどが同じ思いであるに違いない。それに加えて、敵とされる国々の人々をも不幸にするのが戦争だ。「不安です」「心配です」「悲しくなります」と若子が綴っているのは、それらを
 すべて汲みとった上で、命の尊さを思いやっているのだろう。何という心の温かい人なのだろう、若子という女性は。
 惚れ惚れとするのは、そういう心情の表れた文面だけではない。この季節に合わせた、スミレの花の図案入りの、お揃いの便箋と封筒。それに、美しい容姿に勝るとも劣らぬ端麗なペン文字からも、洗練された銀座人の気風が伝わってくる。自分の送った、何の興趣もない事務用の便箋と封筒、それに金釘流の文字と比べると、穴があったら入りたい幸三なのだった。
 その夜は、谷ヶ崎が道頓堀の料理屋で御馳走をしてくれた。阪田は明日からの対・花田戦に備えてすでに天龍寺入りしているので、二人きりの誕生日祝いとなったのだ。
「先生は、明日も端歩を突くやろか、升田君」
「はあ。そうですねえ」
「そしたら花田は、それを咎めにくるやろな」
「はあ。そうですねえ」
「木村が指した5六歩やろか。それとも他の手やろか」
「はあ。そうですねえ」
「なんや、升田君。せっかくこうして君の誕生日祝いをしてあげてるのに、心ここに有らずといった様子やな。誰ぞ、好きな女子でもでけたんちゃうか」
「はあ。い、いえ、違います、違います。そ、そんなことはありません」
「さよか。まあ、色気づいてもおかしない年頃ではあるけどな。さあ、飲も、飲も」
 酒豪の谷ヶ崎にビール、日本酒、ウイスキーと、次から次へと勧められ、いけるクチでもある幸三は、次から次へと飲みほした。若子からの手紙に有頂天になっていたことも手伝って、底無しに飲み、夜遅くに帰宅はできたものの、布団も敷かずに畳の上で寝入ってしまった。
「フエーックショイ!」
 翌朝、目覚めると、風邪を引いていた。


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