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小説「ころがる彼女」・第6話

 四月の海を、邦春は眺めていた。
 横浜、山下公園。ゆるやかな風が、潮の匂いを運んでくる。時おり響き渡る汽笛の音にも、海の香りが満ちあふれている。それを吸いこむたびに、邦春の心は、喜びで満ちていく。
 引退して三十年も経つが、やはり船乗りなのだ自分は、と思う。体の隅々にまで、海の記憶が染みついている。だから嬉しいのだ、こうして海と向き合うことが。しかも、横浜港は、船員時代を通じて、いちばん多く出入港をしてきた、いわば自分の母港である。
 月に一度は、海や港や船たちに会いに、こうして埼玉からやってくる。これも、毎朝のウォーキングと同様に、邦春の欠かせない習慣になっているのだ。川越線の最寄駅から、大宮へ。大宮から湘南新宿ラインの快速に乗り換え、一時間ちょっとで横浜へ。海なし県から、こんなに気軽に来られるようになったのは、とてもありがたいことだ。
 船の行き来を見やりながら、邦春はふと思った。弓子はどうしているだろうか。彼女と最後に会ってから、一か月が経つ。
 向かい同士だから顔を合わせることだってあるだろうに、それがまったくない。ずっと、家のなかに引きこもっているのだろうか。土曜や日曜日の午後に、夫が車で出かけるのを、ときどき見かけることがある。あれは、妻に代わって、一週間分の食料品や日用品を買いこんでいるのだろうか。
 妻の病気について、西原から打ち明けられたあの夜。邦春は強い衝撃を受けた。弓子のことを、とても可哀想だと思った。夫のことが、気の毒に思えてならなかった。
 双極性障害という病気について詳しく知ろうと、本を買って読んだのも、この自分が少しでも西原夫婦の力になれたら、という気持ちからだ。
 ところが、そこに書かれてある内容は、邦春の想像を絶するほど凄まじいものだった。
 病人自身はもちろん、家族の人生をも台無しにしかねないほど激烈な、躁状態。言葉では言い表せない鬱陶しさに襲われ続ける、うつ状態。それらが繰り返される病気が、双極性障害、いわゆる躁うつ病と呼ばれるものだ。この障害には、Ⅰ型とⅡ型があり、前者のほうが症状が重い。そして弓子は、そのⅠ型だと聞いた。
 邦春には、躁状態の激しさも、うつ状態の苦しさも、実感としては分からない。だが、精神的に危うくなった男のことは、今でも覚えている。しかも、船の上で。
 あれは、インド洋へ、マグロはえ縄漁に向かったときのことだった。マラッカ海峡を通過し、漁場まであと数日という段になって、ある甲板員の様子がおかしくなったのだ。乗船したのが初めてという、新米の甲板員だった。
 明るい性格で、冗談もよく言う青年だったのに、ある日突然、黙りこんでしまった。同僚たちが話しかけても、反応がなくなった。食事を残すようになり、夜中に船内をうろつくのが見られた。そして、ついに、船べりに足をかけ、海へ身を投げようとした。誰かが気づき抱きついて止めたから良かったものの、青年は「死にたい!死にたい!」と、わめき続けた。船長の判断で船室に拘禁されることになったのだが、漁を終え、船が南アフリカのケープタウンに寄港し、船員たちといっしょに陸に上がったとたん、青年は正気を取り戻した。それまでが嘘のように、快活な男に戻ったのだ。
 つまりは、海上生活に不向きな人間であることが判明したという次第なのだが、それにしても、あの寛解ぶりは見事だった。
 海風に銀髪を撫でられながら、邦春は思った。あのときの青年のように、弓子の病気も、今すぐ治れば良いのに、と。
 リチウムを主体とした投薬による治療が有効であると、本に書いてあったが、弓子は、ちゃんと心療内科に通っているのだろうか。ちゃんと薬を飲んでいるのだろうか。ちゃんと快方に向かっているのだろうか……。

 その日の夕刻。帰りの電車を降りた邦春は、駅の改札口を出て、家に向かって歩き始めた。交差点で信号待ちをしていると、向かいの歩道の先にある、調剤薬局から出てくる人影が見えた。
 遠目には誰だか分からなかったが、その服装でピンときた。明るいピンクのシャツと、焦げ茶色のパンツ。それらは、初めて会ったときに、彼女が着ていたもの。回文教室の文字プレートと同じ配色をしたものだったことを、邦春は思い出したのだ。
 青信号に変わると、彼は駆け出した。追いついた。背後から声をかけた。
「お久しぶりです、西原先生。お具合は、いかがですか」
 振り向いた弓子は、邦春を見るなり、顔をこわばらせた。そして、逃げるように歩調を速めた。
 去っていく背中へ、邦春は再び声をかけた。
「お具合が良くなったら、お知らせください。そしてまた、回文を教えてください。いつまでも、お待ちしています」
 すると、先を行く弓子の足が、止まった。しばらくして、また、振り返った。二人の目が、見つめ合った。
 やがて、バッグを肩から外した彼女は、なかから一冊のノートを取り出した。そして邦春に手渡した。
 受け取って、見ると、A5サイズのノートの表紙には、

 Bに戻るための回文トレーニング

と、太いサインペンで書いてある。
 さらにページを繰っていくと、それぞれの紙にはたくさんの漢字や平仮名が並んでおり、最新のページにはこう記されてあった。

 四月十四日は、タイタニック号の日。

 行き、水しぶき。
 動く津に、タイタニック号、基部沈み、
 消ゆ。

 [ゆき みずしぶき うごくつに たいたにっくごう きぶしず   
 み きゆ]

 邦春は驚いた。それは、回文の出来が見事だったから、だけではない。今日は横浜に行き、海や港や船を見てきた。その船が、なんと回文の題材になっているのだ。しかも、タイタニック号の沈没事故として。
 その悲劇は、この自分が長年務めてきた、船舶通信士という仕事に深く関係するものだ。
 一九一二年、北大西洋を航海中に氷山に衝突し多くの犠牲者を出した事故は、無線通信の拙さもその一因とされている。タイタニック号の通信士は船客たちの電報の送受信に忙殺され、氷山に関する他船からの情報をキャッチして航海部門に正しく伝えることができなかったのだ。この事故をきっかけに、航海の安全のための国際協力が行われるようになった。さらに、船舶通信士の国際的な能力標準も定められた。日本でも、一定以上の船舶に対して無線の装備が義務づけられるようになり、民間からの船舶通信士の起用も増えていった。その一人が、この自分だ。
 船。タイタニック号。我が職業。彼女の作品。これらが、わずか半日のうちに、一本の線でつながった。なんという符合だろう。この出来事が、とても運命的なもののように邦春には感じられた。
 そして、ノートの表紙に記された「Bに戻るための」という言葉。
双極性障害に関する本を読んだ邦春には、その意味するところがすぐに分かった。
 うつ状態が「A」。平常の状態が「B」。躁状態が「C」。一か月前にCからAに落ちていった弓子は、何とか自分の気分の状態をBに戻そうと努力している。服薬による治療のほかに、回文作りによる脳のトレーニングも、日々、続けているのだろう。
 ノートを弓子に返し、邦春は言った。
「さすがは西原先生、素晴らしい回文ですね」
 その言葉に、彼女は少しだけ笑みを見せた。
「ところで、弓子さん。今のあなたの体調は、ABCで言うと、どのあたりですか?」
 そう邦春が問うと、彼女は驚いた顔をした。しばらく、うつむいた。じっと、うつむいた。
 しかし、やがて顔を上げた弓子は、小さいけれど、確かな声で、答えた。
「AとBの、中間です。すこしずつ、Bに近づいています。元号が新しくなるころには、Bに戻れるのではないかと思っています」
 その返事に、邦春は安堵の笑みを浮かべた。


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