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将棋小説「三と三」・第22話

阪田三吉と升田幸三。昭和の棋界の、鬼才と鬼才の物語。




 昭和十七年十二月。
 兵役を解かれた幸三は、大阪の木見宅に戻ってきた。
 三年ぶりの、自由の身。だが、その喜びに浸っている場合ではなかった。すぐにでも棋戦に復帰し、失われた歳月を取り戻さなくてはならない。年が明けると、もう二十五歳になるのだ。
 一年前に日本が太平洋戦争に突入し、戦局が次第に劣勢になっていくのにつれて、将棋界も大きな痛手を被っていた。召集と徴用が相次ぎ、棋士たちは戦線や銃後の守りに駆り出されていった。
 残された者たちも、もはや羽織袴で安閑と将棋を指すことを許されなかった。将棋大成会は、戦時態勢を敷き、軍の病院や工場での慰問活動など、職域奉公を行なわざるを得なくなったのだ。
 昨十六年には、木村名人自らが陣頭に立って、満州へ若手の棋士たちを帯同し、軍の慰問をして回った。また来年には、中国北部・中部の前線将兵のための慰問活動も予定されている。
 そういう厳しい戦時下にあっても、三十七歳の木村名人は指し盛りの強さを保ち、棋界の第一人者として君臨していた。第二期名人挑戦者決定リーグでは土居八段が、続く第三期リーグでは神田八段が勝ち抜いて七番勝負に挑みはしたが、それぞれ一勝四敗、〇勝四敗と木村名人に一蹴されていた。
 若子からの手紙にあった「升田とやるまでは名人位は誰にも渡さん」という文言が、現実のものであることを幸三は喜んで、一日も早くこの自分が、と対局の日がくるのを待ち焦がれた。

 そうして訪れた、復帰第一戦。花房三段を相手にした香落戦に、幸三は負けた。
 続いて第二戦。山中四段との香落戦にも、幸三は敗れた。
 第三戦の相手は、大山五段。こんどは平手で指した将棋を、幸三は落とした。
 第四戦の相手もまた、大山五段。続けての平手戦に、幸三は敗北を喫した。
 何と、四連敗である。
 軍隊に取られる前は、あんなに勝ちまくっていたのに、除隊後の対局では一つの白星も上げることができなかった。とくに大山五段は、彼の入門時から飛車角落ちで教えてきた弟弟子であるだけに、平手で負けたのが信じられなかった。
 しかし、幸三は現実を受け入れるほかはなかった。自分は将棋が弱くなっている、という事実を。

「その、負けた四番、今すぐ並べて見せてんか」
 お乳の家へ行き、復帰後の成績を伝えたところ、師と仰ぐ阪田は即座にそう言った。第二期名人挑戦者決定リーグに六十九歳という高齢で参戦し、七勝八敗とほぼ五分の戦績を収めた老雄は、七十三歳になる今もなお、勝負師の鋭い眼光を発している。
 分厚い将棋盤の上に、駒を置き、幸三は敗局の初手から最終手までを四局続けて並べていった。対花房戦、対山中戦、対大山戦、同じく対大山戦……。
「大山に連敗するとは意外やな。弟弟子やいうて、手加減したんとちゃうか、升田君」
 傍から谷ヶ崎が声をかけたが、幸三は首を横に振った。その辛そうな顔を見て、白髪頭の広告取次業者は口をつぐんだ。七十を過ぎてもまだ現役で、この戦時下、国威発揚型の文句や絵柄の広告を取り扱っている。
 幸三が並べ終えた四局を、無言で見つめていた阪田が、しばらくして口を開いた。
「将棋が荒れとる。ボロボロや」
 それから言葉を継いだ。
「マスやん、いったい軍隊で何をしてたのや。体ばっかり鍛えて、頭を鍛えるんを忘れてたんとちゃうか」
 阪田の言葉が、的を射ていることに気づき、幸三は返答した。
「はい。上からの命令を聞き、その通りに行動するばかりの日々でした。自分の頭で判断したり、自分の意見を述べたりすることは、いっさい許されない。それが軍隊というところなのです」
 すると、阪田はこう言った。
「寝る時間はあったのやろ」
「え? ええ……。夜の九時から、朝の五時まで……」
 幸三の返事に、阪田の声が大きくなった。
「頭の中の将棋盤は、どないしてたんや。夜九時になり、消灯されたら真っ暗や。せやけど、頭の中の将棋盤を取り出して、駒を並べて動かすのんは、容易にでけたんちゃうか。自分がこれまで指してきた将棋、頭の中の将棋盤に並べ直して、あのときはこう指したけど、実はこないな手もあったんやないか、いやいやもっとええ手があったんちゃうやろかと、いろいろ考える。あれこれ考える。納得いくまで考える。そういうことは、なんぼでもでけたはずや。マスやん、わてら将棋指しの仕事は、考えることだっせ。考えることを忘れてもうたら、それはもう将棋指しやない、ただの木偶の坊や。考えることをしてない将棋は、それはもう将棋やない。ただのボロや。とことん考え抜いて指した将棋は、立派なものになる。せやけど、考えもせず駒を動かしただけの将棋は、ボロにしかなれへん。いま見た四番みたいに、荒れ放題のボロボロにしかなれへんのや。ええか、マスやん。考えることだっせ。一手一手、脳味噌がぐにゃぐにゃになるまで、考え抜いて指すことだっせ。それが、あんさんの将棋を甦らせる、ただひとつの手立てなんやさかいに」
 阪田の言葉が、幸三の胸に深く沁みた。命令に従って行動するだけの三年間。その空白の歳月は、思えば確かに自分の不明が招いたものだった。自分の頭で考えるという習慣を失ったのは、軍隊ではなく、自分自身のせいだった。
 そうだ。弱くなったのは、自分自身の心がけが悪かったからだ。入隊してからというもの、頭の中にあったのは、一日も早く除隊して将棋を指せるようになりたいということばかりだった。
 けれども、実際に対局ができなくても、新聞や雑誌で棋譜を見ることはできたし、老師の言う通り、頭の中の将棋盤で手を考えることは、いくらでもできたのだ。なのに、自分はそれを怠った。自分の頭で考えるということを、三年間も怠ってきた。これでは、弱くなるのも当然だ。
 よし、出直しだ。じっくり手を考えることから始めよう。
 そう肝に銘じると、幸三は座布団に正座をし直し、阪田に向かって言った。
「さんきい先生、一番、お願いします!」
 その言葉を待っていたかのように、阪田もまた座布団に座り直すと、盤上に駒を並べながら応じた。
「十番でも百番でも、なんぼでも指したる。ここはお乳の家やよってにな」
 その昔、この家の縁側にどっしりと座り、阪田少年を相手に将棋を指していた巨体の力士。こぼれ梅という将棋のお乳を阪田少年に与えていた小松山という相撲取りが、いま、将棋盤を挟んで対座する老師の背後に立ち上がったかのように、幸三には思われた。
 そして阪田が一手を指すごとに、その後ろで小松山が大きく足を上げ、ゆっくりと四股を踏んでいるかのように感じられた。
 お乳の家。それは将棋を育てる家。
 初めてこの家に招かれた丸刈り頭の十六歳の自分に戻って、幸三は稽古に没頭した。


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