見出し画像

将棋小説「三と三」・第6話

阪田三吉と升田幸三。昭和の棋界の、鬼才と鬼才の物語。




 また一人、子供が泣き出した。椅子に座り、ひっくひっくとしゃくり上げている。
 目の前には長卓に乗った将棋の板盤があり、その盤上の自分の駒は、ほとんど相手に奪い取られてしまっている。あまりにも無残な負け方に、情けなくなり、悔しくなり、恥ずかしくなって、涙が溢れ出してきたのである。
 負かされた相手は、自分よりもうんと年上の大人で、盤の向こう側に羽織袴を着て立ったまま、こちらを見下ろしている。丸い金縁の眼鏡の奥から、冷たい視線を注ぎ下ろしながら、冷ややかな声を大人はかけてきた。
「将棋に負けたら、何と挨拶するのかね?」
 有無を言わせぬ口調で返事を強いられ、小さな涙声を子供は絞り出した。
「……ま、参りました……」
 大人は続けて言った。
「それから、何と挨拶するのかね?」
「……ど、どうも、ありがとうございました……」
 声をかすれさせ、泣の伝う顔をうつむけた子供に、大人はなおも言った。
「今日の指導対局に備えて、私の書いた将棋大観は、ちゃんと読んできたのかね?」
「…………」
「読んできたのかね?」
「……いいえ……読んできませんでした……ごめんなさい……うう、うう、うわーん」
 とうとう大泣きになった。
 その様子を、やや離れた場所から見つめながら、席主の牛田昌平は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
 東京、深川区牡丹町。富岡八幡宮のすぐ近くという恵まれた場所に、昭和十年九月二十九日、快晴の日曜日である本日、念願の将棋会所をめでたく開くことができた。
 その開所を記念して、木村義雄八段と子供たちの無料指導対局会という催事を企画準備し、チラシを刷って配って大々的に前宣伝も行なった。そして予想通りに、開所時刻の午前九時には長い行列ができるという絶好調な滑り出しとなったのだ。
 ところが、予想通りではないことが起きてしまった。この六月に始まった第一期実力制将棋名人決定大棋戦において、快調に白星を増やし続けている棋界の主役、木村義雄。その実力はすでに当代随一の呼び声も高く、将棋会所の披露目に、これほどふさわしい専門棋士もいないはずだった。
しかし、いくら将棋が随一でも、人柄がこんなにも冷酷非情だとは思わなかった。憧れの専門棋士との対局に胸をふくらませ、抽選に当って長卓の席に着いた、十人の子供たち。それらのあどけない笑顔を、次から次へと泣き顔に変えていき、今また五人目の犠牲者が出たのだ。
 まだ三十の若さとは言え、天下の関根十三世名人門下の大物棋士。それに対して、ちったあ手加減してあげてもよろしいのではありませんかね、相手は年端も行かない子供たちじゃないですか、などとは、とても口にできないのが辛いところだ。席主の自分は、ただ手をこまねいて傍観しているほかはない。居並ぶ父兄たちも、オロオロしているばかりだ。
 抑揚のない木村の声が、また聞こえてきた。
「どうして端から攻めてこないのかね?」
「…………」
「こちらの守り駒は金と銀が二枚ずつだけの六枚落ではないのかね? 六枚落における下手方の定跡手筋として、端から戦いを挑む6六角左翼攻撃法を将棋大観に書いてあるはずだが、ちゃんと読んできたのかね?」
「…………」
「読んできたのかね?」
「……あのう……そのう……読んで……ません……」
「駄目だね。見込みがないね。将棋はやめてオハジキでもやってはどうかね?」
 ああ、六人目の犠牲者が出るぞ。心の中で、牛田は頭を抱えた。
本所の牡丹園で働く職人の家に生まれ、父の跡を継いで若い頃から園芸職人として修業し、仕事に励んできたが、その傍ら将棋を趣味として覚え、浅草などの将棋会所へも足しげく通うようになった。そうすると、だんだん将棋好きが高じていき、いずれは自分も会所を持ちたいと願うようになった。
 そこでますます仕事に精を出し、金を貯めていき、二十年も経つと会所を開くのに充分なほどの資金ができた。そして、四十八歳になったこの秋、ついに悲願のときが訪れたのである。
晴れの開所に当って子供たちに無料で稽古の機会を設けたのも、明るく和やかな将棋会所にしたいからだった。子供たちがたくさん通うようになると、会所の雰囲気が賑やかになる。大人たちも年寄りたちも、子供の元気をもらって表情がにこやかになる。会所の名前を「深川棋友会」としたのも、将棋を指すことを通じてみんなが友達になれる場所にしたい、将棋という楽しい遊戯を通じて老若男女を問わない心の交流のできる場所にしたいという思いがあるからだった。ああ、それなのに。これじゃあ、稽古じゃなくて折檻だ、拷問だ。
「どうしてよそ見をするのかね? どうして欠伸をするのかね? どうして駒をきちんと桝目の中に並べないのかね? どうして将棋に思考を集中しようとしないのかね? せっかくこの木村八段に教わろうというのに、どうして格好の教科書である将棋大観を読んでこないのかね?」
 また「将棋大観」の話が出た。昭和三年の発売以来、十万部以上も売れ、専門棋士も必ずお手本にするという高名な棋書だが、あんなに難しい漢字だらけの本を、子供たちが好んで読むはずないじゃないか。指導対局に勝った子たちへの景品には、読みづらい棋書ではなく、美味しいチョコレートなどの菓子類をちゃんと用意してあるのだ。しかし、このぶんだと景品は不要になりそうだが……。
 せっかく苦労をして開所にこぎつけたばかりの棋友会が、このままでは鬼有会になってしまわないだろうかと心配するのは杞憂だろうか。いや、杞憂で終わるはずはない。何事も最初が肝心、と言うではないか。酷い会所だと客たちに悪い印象を植えつけてしまっては、元も子もない。
 そこで牛田は、一計を案じた。
 まず指導対局の行われている長卓の脇を通り抜けると、木村に向かって深く一礼をした。そうして近寄ると、何事か耳打ちをした。木村が黙って頷くのを確認すると、再び一礼をし、卓の脇を通って戻ってきた。それから開所の手伝いにきている女房のカナを呼び、懐から札入れを取り出すと、中から五円札を一枚抜き出し、要件を伝えながら手渡した。カナが急いで出かけるのを見届けると、会所の中央に立ち、客たちに向かって牛田は大声を発した。
「皆さま、本日は深川棋友会へたくさんのお運びをいただき、誠にありがとうございます。開所記念の特別催事である木村八段とお子さま方の無料稽古会におきましては、木村先生より厳しくも愛情溢れるご指導を頂戴しておりますが、これも棋道発展のため、明日の棋界を担う人材を育成しようとお考えの先生のご熱意の表れであることに相違はございません。言うなれば、愛の鞭。天下の木村八段からの叱咤激励に他ならないのでございます。しかしながら惜しくも負けてしまったお坊っちゃま、お嬢ちゃま方も、ただいま善戦中のお子さま方も、何も敗れたからといって意気消沈され、そのままお帰りになることはございません。何となれば、めでたき深川棋友会の開所の本日、熱心にお稽古をされたそのご褒美に、不朽の名著と呼ばれる木村先生のご著書・将棋大観を、十名のちびっ子棋士の皆さま方全員に、しかも木村先生直々のご署名を入れてご進呈差し上げるという趣向を、前もってご用意しておりましたからでございます。ご贈呈のお楽しみまで、今しばらくお待ちいただければ幸いに存じます」
長々と喋りまくった牛田は、休む間もなく硯と筆を隅の卓の上に用意し、使いに出したカナが日本橋の丸善から本を買って戻ってくるのを待ち焦がれた。
 そうして数十分後、女房が両手に紙袋を下げて現れると、本を取り出し、卓の上に積み重ねた。それから、指導対局の卓に最後まで残って粘り強く指している年長の子供の姿を見守った。頑張れ、その高慢ちきな野郎に一泡吹かせてやれ、と念じながら。
 やがて、
「長考を続けるくせに、どうしてわざわざ悪い手ばかりを選んで指すのかね? そういう行ないを下手の考え休むに似たりと言って、時間を浪費するだけでまるで効果の上がらないことを意味するのを知らないのかね?」
 そう決めつけると、うなだれたままの子供を席に放置し、木村は対局用の長卓から本の積んである卓へと移動した。
 非難の眼差しを向ける客たちをよそに、木村は椅子を引いて座ると、筆を取り墨を含ませた。そして一冊一冊、将棋大観の表紙を開いては揮毫をし、本を墨で汚さないように半紙を挟んでいった。
 十冊すべての扉ページに筆を走らせ、半紙を挟み終えると、彼は椅子から立ち上がり、牛田のほうへ歩いてきた。
帰り際の木村に、署名代のぶんだけ厚くなった謝礼入りの封筒を牛田は手渡した。初日早々たいへんな出費となったが、これも人気会所にするための先行投資と考えれば安いもの、などと自分に言い聞かせながら。
呼んであったタクシーが到着し、木村が乗りこんでドアを閉めると、車が走り去っていく間、牛田はじっと礼をしたままでいた。そして車が角を曲ったところでようやく牛田は頭を上げ、思いっきりアッカンベーをした。
それから会所の中に戻り、揮毫させた本の積んである卓に向かった。一冊、一冊、半紙を取り除きながら筆跡を点検していく牛田の手が、はたと止まった。
 想像を絶する事態が、そこには生じていた。
 墨痕鮮やかに、十冊すべての将棋大観の扉ページには、まったく同じ言葉が記されてあったのだ。
「猫に小判」
 牛田は頭がくらくらとなって、その場に倒れこんだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?