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小説「ノーベル賞を取りなさい」第10話

あの大隈大の留美総長が、無理難題を吹っかけた。




 さいたま市の北東部に広がる田園地帯を、車は走っていた。後部座席から窓外の景色を眺めるのは、大隈大学政経学部・主任教授の清井亮一。その隣に座った晴道学園大学・事務長の鳥飼公義が声をかけた。
「サツマイモ畑ですよ。毎年五月の中旬に苗を植えつけ、十月になると収穫するのです。他にもさいたま市では、サトイモ、クワイ、コマツナなどの栽培が盛んに行われています。」
「のどかですねえ。学問を修めるには、最適な環境だと思います。いや、素晴らしい」
 そう応じた清井に
「中・高等部は隣区の市街地にあるのですが、大学だけがこちらにキャンパスを構えております。四つの学部、それに大学院を含めますと学生総数は約八千。最寄駅とスクールバスで結ばれておりますので、通学面での不便はありません」
 と鳥飼が説明した。
 車窓から見える畑の連なり。それが突如として途切れたかと思うと、いくつもの建物で構成された晴道学園大学のキャンパスが視界に入ってきた。そうして、正門の前で車は止まった。
「お疲れ様でした、到着です。それでは参りましょうか」
 鳥飼の声に促され、後について車を降りた清井は、正門のすぐそばに立つビルの上方に記された「晴道学園大学」の六文字を見上げ
「セイドウガクエンダイガク」と声に出してみた。その学長に任じられる好機が自らに訪れた喜びを噛みしめながら。
 鳥飼に続き、門を通って行くと、ゴールデンウィークの最中でもあり、キャンパスは閑散としていた。先ほどのビルを指さして
「こちらが一号館。大学全体の管理運営を司る、本部ビルです」
 と鳥飼が言った。それを聞き、学長室もここにあるのだろうかと清井は思った。キャンパス内をゆっくり歩きながら、鳥飼の説明は続く。次の建物には「富道学部」と記されてあった。
「こちらが二号館。『フドウガクブ』のビルです。他の大学で言えば経済学部ですが、本学ではすべての学部の名称に『道』の字がつくのです」
 その言葉の通り「師道学部」と記された三号館は「シドウガクブ」つまり教育学部のビル、「真道学部」の四号館は「シンドウガクブ」すなわち理学部のビル、「巧道学部」の五号館は「コウドウガクブ」ようするに工学部のビルなのだった。
 すべての学部ビルを案内された清井は、今度はキャンパスの奥に
ある二つの建物に連れてこられた。鳥飼が言った。
「左の施設が、武道館です。学生たちの部活動・サークル活動として、ここでは柔道、剣道、空手道、合気道、弓道などが行われてい
ます」
 どこまでも「道」なのだなと思いながら清井が聞いていると
「右の施設が、芸道館です。やはり学生たちの部活動・サークル活動として、ここでは華道、茶道、書道、香道、棋道、明道などが行われています」
 と鳥飼が話したので
「棋道は、囲碁・将棋のことですね。明道とは、なんですか?」
 と質問すると
「それについては今夜の宴席で、理事長から直接お話があると思いますよ」
 鳥飼はそう言って、笑みを浮かべた。

 その夜。大宮の料亭で清井が初めて顔を合わせた晴道学園大学・理事長の石ヶ崎勝男は、たいへんな大男だった。身長は一九〇センチ、体重は一二〇キロくらいありそうに見えた。
「プロレスラーではありませんぞ。高校、大学とラグビーをやっておりましてな。ポジションは、フォワードの最前列の左プロップ。ほら、右の耳がひしゃげたように変形しとるでしょう。これは幾多の猛練習と試合のたびにスクラムを組みつづけ、相手の右プロップの横顔との間で何千何万回と摩擦を繰りかえしてきたからなんですよ。わっはっはっ」
 野太い声を弾けさせ、客の猪口に酒を注ぐ石ヶ崎。それを受ける清井の背丈は三〇センチ、目方は六〇キロほど相手に満たなさそうだった。
 注がれた酒を飲みほし
「さすがは晴道学園大学、および中・高等部のトップに君臨されるお方は大物でいらっしゃる」
 そう言いながら清井が返杯しようとすると、石ヶ崎は
「いやいや、ワシは手酌でやらせてもらいますわ」
 と制した。すかさず鳥飼が部屋の電話を使うと、やがて襖が開き仲居が日本酒の一升瓶を運びこんだ。それを右手でひょいとつかみ開栓すると、石ヶ崎は先ほどまでビールを飲んでいた大ジョッキの中にドボドボドボッと注ぎこみ、グビグビグビッと一気に半分ほど飲んだ。そして
「うんめえっ」
 と満足そうな声を発した。
 その様子をじっと見つめていた浅井が
「な、なんと豪快な」
 と驚嘆の声を上げると
「そこなんですわ、ワシが今日あるのは」
 石ヶ崎が応じ、さらに言葉を継いだ。
「大学を卒業後、地場の不動産会社に就職したワシは、先代の理事長すなわち晴道学園の創設者である石ヶ崎金次郎に目をかけられたんですな。いまの大学のキャンパスがある敷地の売買契約が完了した際、お祝いに一献やろうということになり、まだ若手社員のワシも料亭の末席を汚しておったんですわ。すると、酒が進み上機嫌の金次郎理事長は『おい、そこの若くてデカいの、なんか芸でもやれ』とワシに声をかけてきた。そこでワシは『お見せできる芸など持たない無粋者ですが、酒ならいくらでも飲んで見せます』と言いつつ立ちあがり、左右の手に一升瓶を一本ずつ握ると、交互に瓶からラッパ飲み。あっという間に二升の酒瓶を空けてしまった。それを見ていた理事長は『気に入った!』と声を上げ、さらに『うちの娘婿になれ! 晴道学園の将来はおまえに任せた!』とワシに近より、抱きつき、背中をバンバン叩きながら言ったんですわい」
 石ヶ崎勝男の成功物語の始まりについて聞かされた清井は、こんな型破りの人間が経営する大学の教育理念とはどのようなものであるのか、訊いてみることにした。
「本日、鳥飼事務長にキャンパスをご案内いただいた際、私は深い感銘を受けました。それは富道学部、師道学部、真道学部、巧道学部という四つの学部のみならず、多くの部活動についても『道』の文字が際立っていたからです。これは『正道』すなわち人としての正しい道理にかなった正しい生き方や正しい行ないを教えることにより、『晴道』つまり人生の晴れやかな道を歩んでいく人材を育てていく。それが晴道学園大学の教育理念なのではないかと拝察いたした次第ですが、いかがでしょうか」
「ほう」
 鯛の刺身を一度に数切れ、口いっぱいに頬張って、むしゃむしゃ咀嚼していた石ヶ崎は
「なかなか上手いことをおっしゃる」
 と、清井に言い
「いまの言葉、メモしておけ。そういや、ちゃんとした教育理念がうちにはなかったのう」
 と、鳥飼に命じた。それから、ばふばふっと大きな放屁を二つしたのち、再び清井に向かって口を開いた。
「そろそろ本題に入りましょうや。うちの大学は偏差値が低すぎて富道学部が三十五、残りの三学部は三十くらい。学生たちは就活で苦戦しておるし、そもそも優秀な生徒が入学してこんのですわい。
 そこで、清井さん。私学の雄たる大隈大学、その看板学部たる政経学部の主任教授を務めるあなたに、いま空席の、うちの学長にぜひなっていただき、偏差値をぐいっと五十くらいにまで引き上げてほしい。給料はいまの倍額出しましょう。あとは鳥飼が説明します」
 石ヶ崎の話を受けて、こんどは鳥飼が口を開いた。
「清井さん、貴学で秘密裏に行われているノーベル経済学賞のプロジェクトですが、その話を私に洩らしたのは中川先生なんです」
「え? 中川さんが」
「はい。実は彼と私は高校の同級生でしてね。そこで私は彼に持ちかけたんです。そのプロジェクトの成果を手に、うちへ来ないか、最高待遇でと。けれど断られました。そもそもプロジェクトを担当しているのは柏田という新入りの教授で、自分の入りこむ余地はないからと」
「そうだったのですか」
「ええ。ところが中川くんは、私に貴重なアドバイスをしてくれたのです。自分の代わりに、主任教授の清井さんにお願いしてみてはどうかと。清井さんは大隈大学一筋に歩んできた人物で、教授仲間の信望も厚く、学内政治にも長けている知恵者。学長のポストを用意しているからと伝えれば、期待に応えてくれるのではないかと。さあ、いかがです、清井さん。あなたは私どもの期待に応えてくださいますか?」
 清井は答えた。
「もちろんですとも」
「極秘のプロジェクトを、どうやって?」
 鳥飼の問いに
「簡単なことですよ。盗みだすだけ。私の持っている学内人脈を利用して、プロジェクトの成果を横どりすればいいのです。そしてその成果物を上手く活用すれば、貴学の偏差値はどこまでも上昇していくことでしょう」
 清井が返答すると、それまで黙って聞いていた石ヶ崎が
「よっしゃ、よっしゃーっ」
 と大声を上げ、両手をポンポンと打ちあわせた。その音を合図に襖がするすると開き、現れたのは芸者、ではなく大勢のメイドたちだった。清井は実際に行ったことはないが、テレビなどで目にしたことはあった。その秋葉原のメイド喫茶で可愛らしいコスチュームで接客をする女の子たちが、いきなり大宮の料亭の自分の席を取りかこみ
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
「ご主人様のお刺身、もっとおいしくなあれ、萌え萌えきゅん!」
 などと奉仕の言葉をかけてきて、どぎまぎするばかりだ。すると
石ヶ崎の野太い声が響いた。
「メイド喫茶はもう古い、オワコンだ、などと言ってはいけませんぞ。コロナ渦で失職した彼女たちを、特別入学生として学費免除で迎えいれ、経済的に援助したのは、なにを隠そう晴道学園大学なのですからな。学業に励むかたわら部活動で、来たるべき社会復帰に向け、彼女たちは明るい奉仕の道に磨きをかけているのですわい」
 それを聞き、清井は合点がいった。あのキャンパスの奥にあった「芸道館」。そこで行われる部活動の一つが「明道」つまり「メイドウ」だったのだ。
 そのとき、石ヶ崎の巨体が座布団からゆっくりと立ちあがったかと思うと、メイドたちが彼を中心に横並びになった。そして
「晴道学園大学、校歌斉唱!」
という声とともに、元気な合唱が始まった。

 青い花の咲いたまは
 青い春の輝くところ
 学べ集えよ若人たちよ
 ああ我らが晴道学園大学

 赤い花の咲いたまは
 赤い血潮の闘志がたぎる
 跳べよ走れよ若人たちよ
 ああ我らが晴道学園大学

 黄色い花の咲いたまは
 黄色い声援こだまする
 歌え踊れよ乙女たちよ
 ああ我らが晴道学園大学

 白い花の咲いたまは
 白い心ぞ清々しけれ
 育て伸びろよ若人たちよ
 ああ我らが晴道学園大学

 緑の花の咲いたまは
 緑の豊かな学び舎がある
 鍛え磨けよ若人たちよ
 ああ我らが晴道学園大学

 学生たちの歌う、さいたまの学園賛歌は、夜の大宮の空気を震わせ、どこまでも広がり伝わっていくかのように思われた。

  

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