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干渉しないって難しいよね
アドバイスというのはかなりリスキーな行為だ。
なぜなら「アドバイスしたい人」と「アドバイスを欲しがっている人」がマッチングしたときにしか効果を発揮しないからだ。
「アドバイスを欲していない人」がアドバイスを受けたところで良い気分にはならないし、悩みが解決するわけでもない。
アドバイスした本人の自己満足で終わることがほとんどだ。恋愛相談でも、「アドバイスをして欲しいのではなくて話を聞いて欲しいだけ。だから下手に干渉しようとしてはダメだ」という不文律があるが、恋愛相談に限らずどんな相談に対しても言えることだと思う。
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でも、これを実際に行うのは僕はとても難しいと感じていて、どうしても口を挟みたくなる時がある。以前は行動に移せていなかったのだなと自責の念にかられる。
またそれと同じくして、相談する側に立ったときに、「無意識の前提」というのがやはり個人の中にはあって、それは抑え込もうとして抑え込めるものじゃないなと感じた。
休日にカフェへ友達と行ったときのこと。僕が「先週末、一人旅行してたんだよね」と話し始めると、友達に「一緒に行ってくれる友達いなかったの?」と少し「かわいそうに」というニュアンスの含んだ質問をされたのだ。
僕はその当時、一人旅行というのに興味があって、それは決して消極的な理由ではなかったのだが、相手からしたら「旅行は友達とかと複数人で行くもの」という前提が価値観として刷り込まれていたように思う。
なぜなら、その質問自体はとても自然なトーンでされて、僕はそこに「干渉された」という感覚をおぼえなかったからだ。「一人旅行=寂しいもの」みたいな公式が相手の頭の中では成り立っていた。そして相手はそれが当然であるとも思っていたのだ。
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そのような「無意識の前提」が表面化するのはやはり会話をしているときだと思っていて、それが意識下に現れたときに逃がさずにしっかり捕まえていくことでしかそれを認識するのは困難なのではと感じた。
それくらい無意識に存在するものは捕まえるのが難しいが、自分の前提を知ることは自己理解において大事だと思うので、会話を通じて明らかにしていきたいなと思った。
読んでいただきありがとうございました。