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ゴミがアートになる瞬間
芸術ってなに?とよく思う。哲学的な問いに見えてしまうが、あくまで素朴な疑問として思うのである。
初めて思ったのは美術館に行った時のことだ。他の人たちはゆっくりじっくり作品を鑑賞しているのに、僕はまったく作品を魅力的だな、芸術的だなと感じれなかったのである。
きっと感受性が弱いんだろうな、と半ば強制的に結論づけた記憶がある。
でも時は経って旅行でグランドキャニオンを訪れたとき、その壮大な自然を目の前に僕は確かに芸術だ、、と思った。もしかしたらそれは俗にいう畏敬の念ってやつだったのかもしれないが、あながち芸術的というのも間違った表現ではなかったように感じる。
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思うに芸術とは「見惚れてしまうもの」だ。
言葉にするには陳腐で、その時の感情をどうにか保存しようとする。そう考えるとなにに芸術性を見出すかは人によって異なってしまうのは当たり前で、それでも一般的に多くの人はその感情を絵画だったり歴史的建造物だったりに見出せるのだと思う。
京都に住んでいる人からしたら京都の街並みは日常的なものでしかないけれど観光客からしたら日本の文化を象徴するような「芸術」になりうるのだ。
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19世紀イギリスの社会主義者ウィリアムモリスは
人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラももとめよう。生きることはバラで飾られねばならない。
と言っている。
芸術だな、アートだなと思うものは生きるうえで非常に大事だ。たとえ共感されづらくとも自信を持っていい。それらは「バラ」であって、生活に彩りと豊かさをもたらしてくれる。
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「マツコの知らない世界」を見たことがある方は分かると思うが、あそこにはいわゆる「マニア」が集まる。彼ら一人一人が自分なりの芸術を見つけている。例えば、黄色が大好きで、黄色のものをコレクションする人だったり、招き猫が大好きでありとあらゆる招き猫を持っている人がいたりする。
そして全員に共通しているのが、それについて話しているときに目が輝いていて、子どものような純粋な笑顔で話すことだ。ほんとに好きなのが伝わるし、それらは彼らの生活に豊かさをもたらしているのがわかる。
アートはそこらへんに転がっている。それらがバラであることを認識し、いくつになっても寄り添っていきたいな、と思う。
読んでいただきありがとうございました。