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遊動生活とSNS

今「暇と退屈の倫理学」という本を読んでいる。そこでは、人類には四百万年の歴史があるが、定住生活を始めたのはたった一万年前であるということが書かれていた。つまり人間は本来、遊動生活を好む動物であるということだ。

そして今日話したいのは、その遊動生活は再び現代で起き始めているのではないかということだ。遊動生活の本質は縛られないことにある。縛られていないというのは身軽であるということだ。人が定住生活をする理由としてモノの存在がある。モノは実態を伴うため、場所を必要とする。服はクローゼットに、車は車庫に、食料飲料は冷蔵庫にといった感じで、それらのモノが収納されている家に人は定住する。モノの存在が人の遊動生活の妨げになっているわけだ。

これを踏まえた上で、現代の生活を見てみよう。人々はモノへ執着しなくなっていってる。これの1番の要因としてスマートフォンの登場があるだろう。これによって様々なモノがスマートフォン一つの中に収納されるようになっている。例えば財布なんかはキャッシュレス化が進んだことによりケータイ一つで決済することが可能になっている。また、学校や会社なんかもオンライン授業やオンライン会議のように特定の場所へ行かずとも勉強できたり、仕事ができたりするようになっている。

このように人々は場所やモノから解放され始めている。

では、人間関係はどうだろうか。

これもまた遊動化が進んでいる。現代においては人々はSNSの発達によりオンライン上でいつでもどこでもコミュニケーションを取ることができる。地球の裏側にいるブラジル人とだって交流できる。遊動生活の本質は縛られないことにあると述べたが、これは人間関係においてもそうである。特定のグループや人に執着していると不満が出てくるのは当たり前である。しかし、SNSを介して様々な界隈の人と繋がることは執着がない分、不満も溜まりづらく、また溜まったとしても抜け出して、他の人間関係に潜っていくことができる。

人間は本来、責任や一貫性といったものからかけ離れた存在なのである。刺激を追い求め移動を繰り返してた生き物なのだ。

今後さらなるテクノロジーの発達によって人々はさらに身軽になるだろう。特定の場所に縛られることなく、好きなところに好きなときに行くようになるだろう。

一万年以上の定住生活を終え、遊動生活へ再び戻る日はそう遠くないかもしれない。

読んでいただきありがとうございました。