見出し画像

過程を楽しむ

ディズニーのファストパスが携帯で取れるようになった。確かに券売機に並ぶ必要がなくなってラクになったけど、少し寂しくも感じる。ファストパスを何人かで急いで取りに行くのは好きだったから。

過程を楽しむ能力が失われている、と思う。

それは例えば、毎日の勉強、カップ麺ができるまでの3分間。

便利な世の中はいろんな工程を省略してくれる。豆を挽き、ドリップすることでしか飲めなかったコーヒーも、今や水を入れてボタンを押せばあっという間だ。いろんなプロセスをはしょってくれる利器が登場してくると、どうしても結果に目がいくようになってしまう。

何をするにも、かかる手間を省くことはできないかと考えてしまう。便利なものが最初からそこにあるならば、使わない手はないと思ってしまう。

結果を早く求めるひとが増えれば「飲むだけで痩せるサプリ」に騙されるひともそりゃあ増える。

過程にしかないもの、過程を踏まえることでしか得られないこと、があると思う。

過程を楽しめ

誰にだって楽しいと思える時間がある。旅行の道中の会話だったり、絵を書いている時間だったり。過程自体が楽しいと感じるものがひとつやふたつはあるはずだ。

それをやるときはわざわざ手間をかけてしまうし、結果はおまけくらいの感覚だ。

陶磁器を作るときだって、無心で作業ができるのが心地いいと感じてやっている人もいると思う。

ぼくも旅行とかは、行く場所より計画してる時だったり、車中の会話だったりの方が好きだ。

結果を求めてしまうと過程が苦痛になることがある。受験勉強なんかそうだ。でも過程がそもそも楽しいとき、それは等速直線運動するように勝手に進んでいく。そこに摩擦は存在しない。


過程を工夫しろ

特に工夫をしなくても楽しいと感じる時間もあるだろうが、あまり楽しいと感じていない時間でも、工夫次第で面白くできたりする。

例えば資格の勉強なんかも、取ることを目的とするよりその資格を生かしてできることを考えた方が、勉強がはかどるかもしれない。

筋トレだって一年後のムキムキの姿を想像して毎日やるより、一日の中で体を動かす習慣をつけることで健康的な体を維持できるからと考えた方が継続しやすいかもしれない。

考え方次第、やり方次第で面白くできるものはあると思う。これつまんないけどどうにかして面白くできないかな、と一考してみる。


レトロブーム

写ルンですやレコードのような、過程に時間がかかるものが流行しはじめている。

ちょっと複雑で面倒な工程がより大きな充実感や達成感を生む。

麓から登って山頂で見る朝日と、ヘリコプターで山頂まで行って見る朝日は同じ景色ではあるが、かかった苦労の分、かいた汗の分、その景色は綺麗に映るだろう。

写ルンですを使うひともそういう感覚に近いと思う。どのように取れたかがその時点ではわからないからこそ、一枚一枚は心がこもったものになるだろうし、現像が楽しみになる。

便利では得られない過程だけの楽しさがそこにはある。

手作りの料理はいっそう美味しく感じるし、豆から挽いたコーヒーは最高なのだ。

__

生きていく上でめんどくさくて大変なことはなくならない。

それを全部便利なテクノロジーとかで解決しようとするよりも、ちょっとの工夫でそのダルい作業を面白くできないかと考える癖がつけられたらいいよね。


_____________________________________

読んでいただきありがとうございました。

合わせて読んでほしい記事↓↓↓




読んでいただきありがとうございました。