風俗 やめました!
2024年6月14日、風俗営業の許可証を有馬警察署に返納してきました。“風俗営業”今まで、どのようなHなサービスが展開されてきたのか!?
有馬温泉におけるHなサービスとは?
小学校に通い出したころ・・・60年ぐらい前かな
我家のまわりには、芸妓の置屋(芸妓さんが所属している所)が何軒かあり、検番(置屋が集まった組合)があった。
さらにストリップ劇場も4~5軒あった。
夕方、お肉屋にコロッケを買いに行くときに、トリスバーの扉が開いていてる。
ちらっと見るとピンク色の明かりの中で、カラフルな酒瓶が並んでいて、化粧の濃いお姉ちゃんが開店準備をやっていた。
“水中ヌード”という言葉に心が引かれた。
昼間見ると舞台に大きな水槽が設けられていた。
きっと裸で水に入るのだろうと思うが、どのようなサービスが行われていたか未だに定かではない。
今でもその話しをする時に「水中やったら垂れたオッパイも浮力できれいに見えるからだ!」と言っている。
中学校に通う頃になると、テスト期間中は午前中で終わる。
母親は昼食の準備をするのが大変だから、家の近くに「竹の家」という、うどん屋があって、そこに行っていた。
「竹の家」は入口に8人ほどが座れる大きなテーブルがあって、真ん中に茹で玉子が置かれていた。
「玉子は丸い方からむくんやで! こんなこと学校で習わんやろ!」と口の悪いおかんが言う。亭主はおとなしくて、もっぱら出前の配達専門。
うどんを食べていると、浴衣がけの芸妓さんが入ってくる。
練習が終わった後で来るのだろう。
若い芸妓が「どこのボン?」と年配のお姉さん聞く。
「御所坊のボンや・・・」
僕はひたすら、湯上りの芸妓さんの香りを嗅ぎながら、うどんをすすっていた。
高校になって、友達たちはオートバイに乗り出した。
1970年大阪万博の頃だ。
悪友が「有馬に行くから浴衣を貸せ!」という。
彼らは御所坊の浴衣を着て、観光客のふりして、ストリップ劇場に行くのだ。
「お前も行くか?」と誘われたが、顔が割れているので辞退した。だから有馬のストリップ事情は全く知らない。
枕芸者
団体客がやってくると芸妓さんも旅館にやってくる、多い時で有馬に100人ぐらい芸妓さんがいた。
酔客が芸妓さんを口説いている光景を目にする。
すると芸妓さんが帰り際に「別のお姉さんが来るからね」と言って客を置いて帰る。
しばらくして・・・ようこんなおばあちゃんを思うような芸妓さんがやってくる。
後になって夜を共にするらしいという事が分かった。
いつも酔いが覚めたらびっくりするやろうなあ、と思っていた。
売春防止法
東京オリンピックを誘致する為に、時の政府は売春防止法を昭和30年に制定した。僕が生まれた年だ。
売春もありの芸妓のいる温泉地は岐路に立たされた。今までの女性に頼った運営を続けていくのか、それとも国際化という名のもとに近代化を進めるのか!?
有馬は近代化を選択した。「国際化というと銀行はいくらでも金を貸してくれた。」と有馬の大手旅館の経営者が言ったように、有馬の温泉街の中心地や周辺に大きな鉄筋の旅館が建ちだした。
その動きは1970年の大阪万博まで進んでいく。
団体客が多いとストリップ劇場には酔客が集まるが、有馬は山口組のおひざ元、踊り子がちょっとサービスで見せてしまうと、すぐに警察に捕まったそうだ。兵庫県警の取り締まりが厳しかったという。
だから有馬のストリップ劇場は他の温泉地よりも早く衰退していった。
風俗営業の許可書
旅館の宴席では芸妓さんを呼んで、踊りを楽しみ酌をしてもらう。
有馬の色々な集まりの宴席には、必ず芸妓さんが来るので、僕にとっては日常だった。
2024年6月14日、風俗営業許可書を返納した。その際に気が付いたが,
うちが許可書を取得したのが昭和60年。1985年だ。
その頃からコンパニオンと呼ばれる女性たちが宴席に加わるようになってきた。
ピチピチの女子大生がピチピチの短いスカートで酌をしてくれる・・・
その一方で芸妓さんの数は減っていくようになった。
そりゃそうだ多くの人は若い子の方が良いのだろう。
旅館が芸妓さんやコンパニオンを呼ぶには風俗営業の許可が必要だ。
許可書の更新の為には、毎年更新講習会を受けなければいけない。
午後半日潰れるのも嫌だが、内容がピンサロを経営するみたいな話で屈辱的に感じていた。
風俗営業の許可を得ると、入口に許可証を掲示しなければいけない。料金表もいる。今、話題のホストクラブやガールズバーも同様の許可書が必要で、料金を明示する必要があるのだろうけど、今や旅館やホテルの宿泊料金は変動するし、「風俗営業」という言葉が記載された紙を、宿泊客のすぐに目に付く所に掲示しなければいけないのはどうかと思っていた。
そんな所に、警察の抜き打ち調査があり、それがきっかけで、許可書を返納しようと決めた。
SDGs的観点
有馬温泉は国際的なリゾート温泉地を目指すべきだし、我社もそうありたいと考えている。
つまり国際的視野で見られるし、見るようにしなければいけないと思う。
御所坊の前で猿回しが行われていた。動物虐待と言われるの避ける為か“日本の伝統芸能”という看板を立てていた。しかしその場所が駐車場になる事になり、猿回しは居場所がなくなった。
惜しむ声もあり、外国人観光客にヒアリングを行った。アジア人観光客は好意的だったが、欧米系の観光客はNO! だった。
サルものは追わず! の結論を出した。
その観点で、我社はSDGsに取り組んでいる。
その観点で言えば・・・
目標5.ジェンダー平等を達成し、すべての女性及び女児のエンパワーメントを行う あらゆる場所におけるすべての女性及び女児に対するあらゆる形態の差別を撤廃する。
という観点からは“風俗営業”を続けるつもりはないので許可証を返納した。
もう一つ、宴会場も無くしてきたし、顧客の芸妓やコンパニオンの要望もほとんど無くなった。
しかし有馬温泉にとって伝統文化の伝承の意味でも有馬の芸妓は必要だと考えている。だから知り合いが集まる時は芸妓をよんでいる。
その時どうするか!?
お茶屋
京都には「お茶屋」と呼ばれるシステムがある。お茶屋では芸者をよんで、料理屋から仕出しを取ってもてなす。
有馬温泉には一糸(いと)がある。芸妓の置屋の一階にあり、芸子の踊りや歌を楽しめる飲食店だ。
20人ほどは利用できる。
今後、相談しなければいけないが、芸妓宴会希望の顧客には、「食事場所は一糸で」と紹介しようと思う。その時はうちから料理を持っていけばよい。
同じように返納する旅館が増えれば、一糸で夕食プランをつくってもらって、それを旅館の宿泊プランとして売ったら良いし、外国人旅行者のツアープランで売ったら良いと考えている。
その方が今後につながる・・・・