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地伝 特別編 ◾️ 十三夜

文 : CALMAN (CLIP13)

2021年6月18日 新潟六日町

中目黒から新潟の六日町に車で向かっている。
商業車のバンで内装をDIYでキャンピングカー仕様にしているので、どこでも快適に旅が出来る。

リアの自作ベットに座っているのはDJのダイゴ
助手席に座ってるのはユウ事、YOU THE ROCK★

11年ぶりにアルバムを発表し明日が発売後の初ライブ。
その会場となる六日町のBARMへの男3人旅がはじまった。

1992年9月 CLIP13オープン

渋谷の電力館前にあるムロも御用達の中華料理店「天宝」の6階にセレクトショップCLIP13はオープンした。

渋谷でNYからのインポート物アパレルセレクトショップはディギンに続いて2番手(DJ's Choiceもあったが基本はレコード屋)その後マンハッタンやグロープインザダークがオープンし、渋谷は世界でも有数のHIP HOP密集エリアとなる。

オープン当時の話しはまた別の機会にする事にして、
ゴッシーから頼まれたのはCLIP13のイベント「十三夜」の話し。

1996年 日本でもアレがやりたい。

店も軌道に乗り始め、ここいらで今まで誰もやっていない、最高のイベントを渋谷でやろうと当時のスタッフ達と話し始める。

それまでのHIP HOPのイベントと言えば、小さなクラブの真っ暗なフロアで数人のB-BOYが首を振っているイメージ。

NYのクラブで観てきたイベントはでっかいフロアに
ステージでは次から次へとレコードで聴いてきたRAPPERが出てきてはライブをかまして帰って行く。

日本でもアレがやりたい。

そこで初めに考えたのが場所。
渋谷には既に何軒かクラブがあり、HIP HOPのイベントもやっていたが、CLIP13がやりたいイベントは場所も含め、今までとは違うスタイルだった。

そこで、候補にあがったのがclub asia
今asiaと聞いて「違うスタイル?」と誰もが思うだろう。

ウチはHIP HOPのお客さん来ないよ

1996年にオープンしたばかりの当時のasiaはテクノやハウス系のどちらかと言うとエレクトロ寄りのクラブのイメージでHIP HOPのイベントで使う場所では無かった。

オープニングのレセプションか何かで一度内装を見た時に海外から見た間違った日本のイメージぽい内装が良いなぁと思った記憶があった。

イベントはclub asiaでやろう。

その日の夜に早速asiaへ行き、イベントをやりたいと話しをしに行った。すると店のマネージャーは開口一番
「ウチはHIP HOPのお客さん来ないよ」だった
「知ってます、客は僕らで呼びます」
「どれ位呼べるの?」
「100人位は多分…」
こんなやり取りだった記憶がある。

客が100人位「asiaで初のHIP HOPのイベント」って事でドリンク代は全てasiaの利益。
チャージ(入場料)はCLIP13の利益、で他に場所代で数万円だったと思う。

次ライブに主演者
CLIP13のオープンより10年ほど前から知り合いのユウはオープン時から良く遊びに来てくれていて、この頃からグッと仲が深まっていった。

メインのライブアクトはYOU THE ROCK

初期のCLIP13はレゲーの老舗VIPクルーとも縁があり、レゲーはケンちゃん事BOY KENにマイクを任せた。

他にもMuroから紹介してもらったトラ事GORE-TEXにも頼んだ。
現ニトロのメンバーとThink TankのK-bongもトラと一緒に参加する事になった。

とにかく主演者の知り合いはゲストで入れちゃって

イベント当日、asiaのスタッフからは「お客さん来るの?」「HIP HOPはお客さん呼べるの?」など多少の嫌味を言われつつ、オープン時間を迎えた。

会場のセッティングやVIPルームの確保、楽屋や演者への挨拶などバタバタしてたらキャッシャー担当のスタッフから誰をゲストで入れていいかわからない!「誰々の連れだからゲストで」みたいな人が何人かいて、どうしていいかわからない!とクレームが入る。

しかたがないので入口に行ってみると外には長蛇の列!軽く100人は超える人が入れずに順番待ちをしている。

「とにかく主演者の知り合いはゲストで入れちゃって」とキャッシャーに伝える。

asiaのフロアは人であふれかえり、DJもそれに合わせフロアは徐々に温まって来た。

ドアが人の圧迫で壊れた

エントランスも落ち着いたころに入場者数を聞いたら300人は超えていた。
asiaの中はパンパンで、フロアに入りきれない人でそこら中溢れていた。
VIPルームにはムロやVIPクルーのメンバー、
他にも大勢の関係者達がステージを見ていた。

asiaのマネージャーが俺を探していると聞いたので行ってみるとVIPルームのソファーの上にスニーカーを履いたまま立って、ステージ観てるやつらがいる、そんな使い方はさせるなと怒られる。

しばらくして、また呼び出されたの行ってみるとミキシングルームのドアが人の圧迫で壊れたからと言われた。

見てみるとドアの透明のアクリル部分が外れかかっている。急遽ドアの前に椅子を置いて圧迫されないようにする。

ステージでは次から次にラッパーが出てきてフロアは凄い熱気になりバーにはドリンクを求めて長蛇の列になっている。

そしてBOY KENのステージが終わり、いよいよYou The Rockのステージ。
フロアは最高潮に達し、俺を含めCLIP13のスタッフもステージにあがりユウが一人ひとり紹介をしていく。

そしてすべてのライブとDJが終わった。

片付けをしているとasiaのマネージャーに呼ばれ、
ドアの修理代とソファーのクリーニング代を請求される…

このイベント以降asiaでもHIP HOPのイベントが増え始め、その後は皆が知っているclub asiaになっていく。

そして、この年の夏には日比谷で伝説のイベントさんぴんキャンプが行われた。

ある日asiaに遊びに行ったらドアがアクリルでは無い
綺麗なドアになっていた、あのドアはCLIP13が付けた。

セルアウトじゃなくてセルイン

ユウたちを乗せた車は関越を走り六日町インターを降りた。
外から見れば古い商業車のバンだが、中には大人が2人余裕で寝れるベットと洗面台、テレビもついていてカウンターで料理も出来る。木材で内装はカスタマイズされ、居心地の良い空間になっている。

一時期はユウも商業システムの内側からカスタムしようとしていた
「セルアウトじゃなくてセルインだ」と当時からユウは言っていた。

まわりから見れば商業システムだが、中身をカスタムしようと試みていた事を考えれば、
この古い商業車をカスタムする事と似ているなぁなどと思い助手席のユウを見ると、途中のインターで買った小梅を「これウマいんだよ!」と言いながら嬉しそうに食べていた。

3人を乗せた車は六日町インターを降りて、六日町のBARMに着いた。


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