見出し画像

地伝#20 ◾️1998年 熱い気持ち

マンスリーテープ「GOSSY'S CHOICE」は好調で毎月1500本ほど出荷していた。ハーレムで同名のイベントも開催していた。

画像1


制作でいくつかこだわったポイントがある。

まずDJをしている人に対して。テープを聴いて気に入った曲があれば、そのレコードを買えるようにしたかった。そのためテープの製造業者にも協力してもらいマスター完成から店頭に置かれるまでのリードタイムを5日間に設定した。

週に3〜4日はレコ屋を周り新譜のレコードを買い漁っていた。シスコやマンハッタンの店頭に入荷されている新譜のレコードはバイヤーが厳選して仕入れたタイトルなので、安心してほとんど買っていた。悩むポイントは2枚買うかどうかだけだった。月に150枚くらい新譜を買って使うのは半分くらい。


DJをやっている人以外も楽しんで欲しかった。テープのどの部分から再生しても良い感じになるようにしたかった。ラジオを流すように気軽に聴ける感じをイメージしていた。出来るだけ波がないように一定のテンションでループするような選曲をしていた。ここがクラブでDJする時との大きな違いだと思う。上げたら落とすというのを意識していた。そうすることで落とした時の地味目な曲が派手に聴こえるようにも狙っていた。

そうでもしなければ毎月30曲〜40曲以上を収録することはできない。人気の曲以外もうまく使わなければ尺が埋まらないので選曲はめちゃくちゃ考えて作っていた。常に次のテープに収録するレコード箱を用意していてその中にも2〜3のグループに分けて、新しいレコードが手に入ったらどこに入れていくか考えていた。

ミックステープの価格相場は1500円だったけど気軽に聴いてもらいたいので900円にした。これで次のテープを作るためのレコード代+αは稼げる計算だ。


ヒップホップを広めたい、新譜の面白さを知ってもらいたい、隠れた名曲に出会ってほしい、色んな場所で聴いて曲に景色や匂いを刻んでほしい、そんな風に思って頑張っていた。当時のラジオ番組、ナイトフライトを聴くとわかるように、俺たちが日本にヒップホップを広めていこうぜ!というムードだった。


音楽雑誌のFront(Blast)に新譜の紹介コーナーがあって何かの曲がイマイチだとか書かれていた。だったら載せなくて良いし、邪魔をしないでほしい、と思ったので自分の活動内容と共に怒りを書き綴りFAXを送ったこともある。熱い奴だったのだ。何かしらの返信があったと記憶しているが、覚えていない程度の内容だったのだろう。


この頃のヒップホップが楽しかったのは、ガキがガキを相手にあらゆるビジネスで金を回していたところだ。
金儲けだけのズルくて頭の良い大人が混じっていない
ピュアな世界だった。

GOSSY'S CHOICEを何本かセレクトしてアップしていきます。↓↓↓
https://www.mixcloud.com/gossy1975/







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?