地伝#28 ◼️2001年から2002年 物本
マグマのアルバム発売に向けて準備が始まった。発売されたのは約2年の時を経て2003年である。
僕は東京、彼らは京都で別々に活動していたがアルバムに収録する10数曲のうち5曲を僕に作ってほしいと声をかけてくれた。良いトラックを作る人とのコネや予算も沢山あったのに、わざわざ僕を選んだのが彼ららしい熱さだと思う。
リリースは新しくできたレーベルMONOHON【物本】からで第一弾にリノさん、第二弾にマグマ、第三弾で妄走族の発売が予定されていた。
僕はMPC3000でビートを作っていたとはいえ、本業はミックステープなのでビートのストックもたいしてないし5曲も仕上げなければいけないのは正直なところ気が重かった。
ラフに作ったビートの中から数曲をノブとリュウゾウに選んでもらって本格的に制作に入ることになった。
東京から京都までMPCとレコード数枚を持って、マグマの2人を中心として結成されたABSOLUTE CREWの事務所に行き1週間ほど軟禁された。
見張りを付けられてビートを仕上げるための部屋に入れられて完成するまで部屋を出られなかった。体調が悪い時は屈強そうな男がお粥を作ってくれたりもした。クルーの1人であるラッパーのスナイプに、パチスロに行きたいのでこっそり連れ出してくれと頼み少し外出できた時もあった。
レコーディングはFU-TENの藤谷君が京都で運営するスタジオMASSIVEと、物本が用意した東京都港区ノアビル地下のスタジオで行われた。
京都のレコーディングは地元なので顔馴染みばかりで和気あいあいとしていて楽しかった。藤谷君はサンプリングの奥深さを教えてくれたり純粋に音楽の話をするのが楽しかったが、翌年に事故で亡くなってしまった。マスタリングにも立ち会ってほしかった。
東京のレコーディングの時は少し雰囲気が違った。レコード会社の方が自宅まで高級車で迎えに来てくれた。スタジオの雰囲気も緊張感があり、立ち会う人たちも所謂「物本」の方々もいた。
別々で活動する数年の間に取り巻く環境はお互いに大きく変わっていた。
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