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地伝#30 ◼️2003年 インデモラル②

ミックステープはたまに作る程度でインデモラルの活動が中心になっていった。池袋BEDで毎月「プレイグラウンド」というイベントをやりながらライブで各地を訪問した。青森でダイキのイベントにキラービーン&インデモラルで呼んでもらったこともあった。

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岡山のセラオ君とKHACT BOMB CHOSS(カクトボンチョス)のイベントに呼んでほしいと頼んでインデモラルの3人で行った時もあった。まだまだ岡山にはインデモラルの名前も浸透していなかったので客の入りはイマイチだった。なぜか前日から当日にかけてやたらとお金が足元に落ちていて3回も拾った。2万円くらいになっていたのでイベントで僕のギャラは要らないと断った。何だったんだろうなあれは。不思議体験だった。

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プレイグラウンドは1年以上やっていたので色々と話はあるが僕の体感では爽やかで健全なイベントだった。ハードでもナードでもない感じで和気あいあいとしていた。この頃から酒もよく飲むようになった。気取ることなく素な感じで遊んでいたので今まで気を張っていた時の毒が抜けていくような感じだった。抜けすぎて翌年にドンクサイ事をして警察のお世話になり、イベント当日に無断欠席してしまう。インデモラルの2人やQ達が助けてくれて感謝の気持ちと共に自分は走馬党の一員で仲間がいるんだと実感した時だった。


そういえばスキップはなぜ僕をインデモラルのDJに誘ったのか?覚えてなかったので聞いてみた。

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文 : SKIPP(INDEMORAL)

老化と闘う放課後なワタス。なので記憶が曖昧な部分もあるかもしれませんが...

たしか90年代後半あたりだっただろうか。INDEMORALの前身、NOROYの時代に新宿のOTOでNAKED ARTZ (略・ネイキッド)やRADICAL FREAKSなどが出演するイベントが行われていた。回しまわったマイクが湿っぽかった記憶が蘇る。

あの現場にラッパ我リヤ(略・我リヤ) BACKGAMMON (略・ギャモン)らと訪れた事がキッカケで足を運ぶようになる当時の渋谷を賑わしていたヒップホップセレクトショップ。ネイキッドを軸に周辺の人々が集う"GROPE IN THE DARK"(略・グロープ)はヒップホップ偏差値の高いアイテムの品揃えはもとより、ヘッズ達の交流の場でもあった。

・GROPE IN THE DARK
https://gropeinthedark.com

その後ネイキッドとSHOT SHELL CLICK、走馬党で仙台と盛岡を巡るプチ東北ツアーをしたりもした。そのツアーに纏わるとっても濃いエピソードが存在しますが、それはまたいつか知り合いのみ個別で口頭にて。笑。

暫くして自分がUNDAPROP WRECKORDZから性癖を詰め込んだミックステープをリリースさせていただいたり、STYLUS(現STILLAS)から衣装提供をしていただいたりとグロープのお店や事務所にお邪魔する機会が増えていった。(この場をお借りして改めて感謝を)

時を同じくして渋谷のCAVEで催されていたレギュラーイベントSMILE HEARTで知り合い、暫くバックDJを勤めてくれていたナンバくん。その彼と突然連絡が取れなくなってしまい、バックDJが不在の状況に陥る。

ライブの際は同じクルー走馬党内のトシくん(DJ TOSHI)やタナケン(DJ TANAKEN)に助っ人バックDJとして援護射撃をしていただいていた。両者はご存知の通り我リヤ・ギャモンのメンバーでINDEMORALに割ける時間も当然限られていた。

各地でのライブや我リヤのアルバムリリース全国ツアーに帯同するなどをしていたら既に2000年を迎え、インディーズ(走馬党ENTERTAINMENT)からのEPをリリースする為の準備に追われ更に時は過ぎていった。丁度この頃NOROYからINDEMORALに改名。

EPリリース以降、グループの体制が不安定で思うようなライブも出来ずにいた。相方PAULEYと頭を悩ます状況が続く最中、ひょんな事からNESCAFE主催のNという缶コーヒーのプロモーションライブツアーのブッキングの話が舞い込んだ。その話と平行してメジャーレーベルCUTTING EDGEとのディールも決まっていた為、喉から手が出るほど正式なDJを欲していた時期でもあった。

・N (2001, CD)
https://youtu.be/srk7teIx5xQ
https://www.discogs.com/ja/Various-N/release/15610430

・ネスレジャパングループ、3万人にCDやライブ、ネスカフェ「N」を訴求
https://news.nissyoku.co.jp/news/nss-8930-0049

グロープで働いていたGOSSYと初めてお店で顔を合わせたのが丁度この頃。既に様々な実績を積んでいるにも関わらずアタリが柔らかい彼は話易く尚かつ距離感が程よく保てる心地の良い人間だった。ステレオタイプなコテコテの関西人のイメージとは違い、淡々としていて落ち着きのあるところにギャップを感じ興味を抱いた。まさにウマの合いそうな男との出会いはこの様な印象だった。しかしその時点で互いに交わした言葉はそう多くはなかった。

グロープにひとり訪れたある日、上記にあるINDEMORALが置かれた現状を自分が語る中でオファーの話を切り出す。

当時GOSSYは短スパンでミックステープをリリースしていて彼にストイックなイメージを持っていた。多忙な中でこちらのバックDJのオファーを受け入れて貰うのは正直難しいだろうとは思いつつダメ元で誘ってみた。

ヤバスギルスキルPart2のリリック「シャイな黒鼠」宜しく人見知りの塊であった自分は意を決し、GOSSYの故郷でもある京都の清水の舞台から飛び降りたのだ。

そして後日、彼は快よい返答をくれた。なんてアツい男なんだ!と気持ちが昂った事を記憶している。(今も尚アツい)

間違いなく心強い男がメンバーとして加わり、チームワークもスムーズに運び無事にNツアーを終える事が出来た。活動も加速がつき始めたところで池袋BEDにてINDEMORALが主催するイベント"PLAYGROUND"を興す。気の合う者が集まり濃厚でかつ面白い空間を共有し、充実した時を過ごしながらようやくアルバムリリースに至った。

ちなみにアルバムの楽曲完成からリリースに至るまで実は約2年近く時間が経っていた。

余談。自分が当時住んでいた神山町のマンションの目と鼻の先にあるローソンの上に住んでいたという話を後々本人から聞き、驚きと共に同じ誕生月の彼に更なるシンパシーを抱いた。20年程前の事であやふやなところもあるが、今思えば知り合う前に近所でニアミスをしていたのかもしれない。

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インデモラルのアルバムでトラックを数曲作ったのがGPで繋がってしまうのも面白いなあ。


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