見出し画像

地伝 特別編 ◼️1998年 リップサービス

文 : ポチョムキン(餓鬼レンジャー)

GOSSYから「リップサービスについて」というお題で地伝に記事を書いてくれと言われました。

当時のレコーディングはまだPro Toolsがなくて、巨大な卓で作業をしていた、ミックスを担当してくれたのは業界からも信頼の厚い野沢さんという方で、カリカリ梅が大好きでいつもカリカリ梅をたくさん用意してカリカリ食べながら作業していた、リフレッシュのためにフリスクみたいな感じで使ってたんだと思う。野沢さんの優しい笑顔は、カリカリのサウンドと共に記憶されている。

餓鬼レンジャーはデビュー前からWOOFIN’という雑誌で連載を持っていて、編集の荒野さんがエロ本を差し入れしてくれたりしたのを覚えている。1曲プロデュースしてくれたTONKさんは「普段はリリックに口は出さないが、みんなはまだ駆け出しだから言わせてもらうけど、先走るカウパー、というリリックは変えた方がいんじゃないか?」と言っていた。なにかとイカ臭いグループだった。

当時のDJだった古賀は、あだ名がコンツェルンと呼ばれるほどのお金持ちで、リップサービスのインタビューの際に、雑誌の人に地元の酒をお土産で渡したりしていて「普通そんなことするかな、恥ずかしいな」と思っていた。でも今思うと、別に悪い気はしないだろうし、印象に残るだろうし、むしろ素敵だなと思う。

熊本には既にシーンがあって、雰囲気のあるダンサーやDJやラッパーの先輩たちが結構いてワクワクする世界だった。ただ、大学生がラップをやってるというだけで舐められるというか、認められないような風潮も多少あった気がする、あんまり気にしてなかったけど、LIVEを重ねて、リップサービスをリリースする頃には見られ方もだいぶ変わっていたと思う。CDの中の写真で関係者に集合してもらって写真を撮れたのも嬉しかったし誇らしかった。

因みに大学といっても工業大学で、自分は建築科だった、4年間音楽しかやってなかったので何一つ身についていない。そして卒業制作ではMUROさんの家を勝手に設計して模型まで作った。家自体が回転するというとんでもない家だった。先生に「どうやって回転するんだ」と聞かれて「そこまでは考えていません」と答えた。

リップサービスモンスターの12インチのジャケで自分が着てる「DROP OUT」と書かれたTシャツはGOSSYからもらったTシャツで気に入ってよく着てた。服とか新譜とか色々影響を受けた。ある時GOSSYが「シン、HIP HOPってなんやと思う?俺は"驚き"やと思う、Kダブシャインが言うとこの、"まだ見た事もない動き編み出す"や」と言っていて、その言葉には妙に感銘を受けた。

余談だが、GOSSY’S CHOICEをヒントに、餓鬼レンジャーYOSHIによるAVセレクション、ヨッシーズチョイスという作品も誕生したと記憶している。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?