地伝#27 ◼️2001年 和んでいた時期
現在まで僕は100本近くのミックステープを作ってきたが、その中でも自分自身が最も納得できた内容のテープが2001年に録音したGOSSY'S CHOIE#38である。
このテープに収録しているKILLah BEENのエクスクルーシブで「2001、見せる意地」というフレーズがあり、常に頭から離れなくて困っている。
聴いてみましょう。↓↓↓
この頃の出来事を思い出したり、ナンバープレートやお会計で2から始まる4桁の数字を見るとキラービーンの声と共に「2001、見せる意地」が脳内で再生されてしまう。
2000年末、六本木でスパイシーチョコレートのパーティーがあり、僕はDJとして呼んでもらった。その時にカツユキさんが紹介してくれたのがキラービーンで、当時キラー・ザ・ビーンと名乗っていた。カツユキさんは僕のことを「熱いやつだからさ」とキラービーンに紹介してくれた。
意気投合してお互いの家でレコードを聴いたりクラブで遊んだりするようになって青森の営業にも一緒に行くようになった。
青森にはDJ DAIKIが季節毎にに呼んでくれていた。ダイキは一番最初にオファーをくれた時にわざわざ青森から世田谷の桜新町まで挨拶しに来てくれた。ダイキも熱い奴だ。
3人で青森や岩手などいろいろなところに遊びに行った。ねぶた祭りに行ったり牧場で羊を追いかけたり和やかだったなあと思う。
ノースフェイスのダウンジャケットを買ったばっかりで防寒性を試すためにスキー場の一番上までリフトに乗って行ったこともあった。スキーウェアではなくB-BOYファッションでリフトに乗っていた僕たちを見て周りのスキー客に怪しい目で見られていた。
僕はこの2人とは音楽的、ヒップホップ的に真面目に向き合っていた。多分、キラービーンには僕やダイキと一緒にいる時とは別のおっかない一面もあったはずなんだけど、とにかく和やかだった。レコードを聴いてこのビートのここがヤバいとか、羊を追いかけたり撫でてみたりとか。
2001年はそんな感じでゆるく過ごしていたのだけどMAGUMA MC'Sのデビューアルバム発売が決まり、
再び緊張感が走る。
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