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地伝#6 ◾️1995年 マイクロフォンペイジャー


1995年は日本のヒップホップ史においても重要な年であり僕のDJとしての活動にも大きな変化があった。

【1995年】ジャパニーズ・ヒップホップのアルバム15選 https://hiphopflava.net/blog/2020/05/28/article-collect-1995-japanese/

クラブでDJをしたいけど呼んでもらえないので、自分でイベントを企画しようと思った。ヒップホップを京都に広めたいという使命感と有名になりたいという欲望が溢れていた。

大井君から祇園のココナッツグルーヴというクラブを紹介してもらった。ここのサウンドシステムの所有者は京都のお坊さんでレゲエのセレクターだと聞いた記憶がある。

何度目かのイベントでMUROさんとTWIGYさんをゲストに呼んだ。スティルディギンに電話して、来て欲しいと伝えたら割と簡単に話が進んだ。

僕はココナッツグルーヴの音の良し悪しや特徴がわかるような耳を持っていなかったのだが、TWIGYさんが機材を触ったりサウンドチェックをして興奮気味にスゲーと言っていたのがなんだか誇らしかった。

MUROさんがDA BRATのレコードで2枚使いをバチバチにキメまくり激しすぎてクロスフェーダーのツマむ部分が飛んでいったが、そのまま細い金具部分をつまんでスクラッチしていたのがカッコよかったなあー。

ここで注目して欲しいポイントは、ゲストに呼んだのはムロさんツイギーさんの2人だけというところだ。DJはムロさんのまま、マイクスタンドを使ってDJブースでマイクロフォンペイジャーのライブが始まった。想像してみて欲しい、めちゃくちゃカッコイイ。


ココナッツグルーヴについてはゲル★ビーツさんが過去のブログで記事にされている。

とにかく色々と恥ずかしい手書きのフライヤー。レゲエイベントのフライヤーを真似しながら書いてコンビニのコピー機で印刷をした。

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僕のトレードマークであるドレッドヘアを表現するためにヌビアンクラッカーズが出していたレコードのあの顔を使った。マイナーなレコードなのを良いことに、あわよくば自分のロゴにしようとしていた。イベントのタイトルはビズマーキーの曲名の一部を使った。あまり意味はなかったし、もっと考えればよかった。




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