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地伝#25 ◼️2000年 CAVEのイベント

京都に住んでいた1995年までもレゲエはよく聴いていた。当時の関西ではヒップホップよりもレゲエの方がカルチャーとして成熟していたので入りやすかった。

1996年以降もスミフンやヘルタースケルター、ロストボーイズなどがレゲエを格好良く取り入れていた影響でレゲエの7インチレコードやIRIE FMのテープなどもチェックしていた。

レゲエにも精通しているヒップホップDJがカッコイイ理想の姿としてあったためミックステープにもレゲエの曲を入れていた。この辺はBABAに影響されたところもある。

渋谷にあったレゲエのレコード屋GLORIA RECORDSに何回か行くうちにミックステープを置いてもらえないかと思ってオーナーの石川さんに初めて話しかけてみた。その時にお店に来ていたのが竹村さんで、レゲエのイベントなど企画していると伺い連絡先を交換した。

その頃、渋谷のCAVEでイベントを考えていてた。そうだ、この前会った竹村さんにレゲエのセレクターを紹介してもらおう、と思って連絡をした。

昼間に渋谷のCAVE前で待ち合わせをして竹村さんに相談をした。どうやら竹村さんはスパイシーチョコレートというレゲエのクルーに近しい人物だとわかり、セレクターを紹介してもらった。それがCONTROLERと表記しているカツユキさんだった。

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KENSAWさんも東京に招いたのでホテルにお土産を届けに行った。匂いと見た目をサッとチェックして一言、「サティバやな」と言われたのが流石オリジナル赤い目梟だと思った。

ゴアテックスにはどうやって連絡を付けたのかあまり覚えていないが、SOULやFUNKの渋いやつをプレイして欲しいと依頼した。

セロリは何度も同じイベントでも回していたけど自分のイベントに呼びたかった。ヒップホップのど真ん中をお願いした。

KEN-BOさんにはスローなR&Bを4時〜5時でお願いしたこともあった。

マサユキとタクヤは京都にいた時に同じイベントで回していて渋谷でもDJする機会を作りたいと思って呼んだ。

このフライヤーは全てクリップ13のカルマンさんに作ってもらった。

流行っていた種類のお香も焚いたりして細部までこだわり抜いたイベント。満員御礼とはいかなかったが、そこそこ盛況だった。

僕だけ肩書きみたいなものが無いのは色々と考えがあった。この時はもうMAGUMAと表記するのは正しくないと思うほど別々で活動していたし暗に示したかったのかもしれない。たまに遊んだりはしていた。

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