今考えたい 学校の在り方
学校はなぜあるのでしょうか。
学校の存在価値は、時代の流れとと共に目まぐるしく変わってきました。
日本の学校史は多くの変遷を経てきました。古代の日本では、学問は宮廷や寺院において重要視され、貴族や僧侶が教育を受けました。平安時代には、国家中央の学問機関である「太政官」が設置され、貴族子弟の教育が行われました。
中世になると、武士や商人の間でも学問が重視されるようになりました。特に戦国時代には、武士道や軍学の教育が行われ、兵法書や心得書が広まりました。
江戸時代になると、幕府によって教育制度が整備されました。藩校や寺子屋が設立され、農民や町人の子供たちも学ぶ機会が増えました。また、儒学が主流となり、忠孝や倫理道徳の教育が重視されました。
明治時代になると、日本は近代化を進めるために西洋の教育制度を取り入れました。1872年には学制が発布され、義務教育が始まりました。また、帝国大学や高等学校が設立され、高等教育の機会も広がりました。
第二次世界大戦後の戦後復興期には、アメリカの教育制度が一時的に導入されましたが、その後、独自の教育制度が再構築されました。現在の日本の学校教育は、幼稚園から大学までの段階的な教育が行われ、文部科学省によって教育方針が定められています。
2000年以上の時の流れの中で、社会的要請によって段階的に変化してきた日本の学校は、ここ数年の中で劇的にその姿を変化させる必要が出てきています。小泉元総理大臣が「自民党をぶっこわす」という発言をされていましたが、これは彼の意思の表れでもあります。文部科学大臣が「公教育をぶっこわす」と言い放つ時は来るのでしょうか。きっと来ないでしょう。
公教育をぶっこわしていくのは子どもであり、保護者であり、現場の教員です。社会の流れに文部科学省や教育委員会、校長会などはついていけません。改めて言います。スクラップ&ビルドを繰り返していけるのは、子ども・保護者・現場の教員のみです。子どもの未来を考えれば、これまでの敵は味方になり、自分の世界も広がっていくと思います。
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