全体教育国家、日本

おはようございます。今日もむせかえる暑さが続きますね。屋外活動は注意して行いましょう。

文部科学省の調査で英検資格の取得状況が明らかになりました。正直、落胆しています。結果でなくわざわざこのような調査をする国の教育機関に、です。

学習指導要領もそうですが、基本的に文部科学省のやっている事は10〜20年ぐらい時代遅れのように感じます。結果、ここ20年ほどほとんどの施作が成功せず、現場が消化不良を起こしています。自分自身も「単元を貫く活動」「アクティブラーニング」等、多くの教育現場で言葉だけが一人歩きした覚えがあります。

これは感覚的な話ですが、やはり公教育は全体主義、全体教育から脱却することは難しいと思います。高度経済成長期には徹底した詰め込み教育が行われ、トップダウンで間違えずに右向け右、前ならえができる人材が大量育成されました。それが日本の発展を支える事に直結したからです。この背景が、現代の日本の公教育にも直結しているように思います。

ただ、中央教育審議会の中で、「教員は子どもの伴走者である」という文も扱われたことを考えると、少なからず今後の教員の立ち回りの必要性について理解している方もいらっしゃるようです。

近い内、というか現在進行形で、国内の労働枠は外国人材やAIに取って代わられていくでしょう。言うならば彼らは職のスペシャリストです。そして国がその流れを助長しています。

将来、日本人は国内での社会的自立が困難な存在になり得る可能性も捨てきれません。職のスペシャリストにどう打ち勝つのか。子どもと親が、その勝ち方を考えていく必要があります。果たして、英検は必要でしょうか。

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