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好きな場所で好きな暮らしを実現するために。

2年前のエピソードです。ショートステイに利用されていたM様。

まだパライソの来る前、入院を機に車椅子生活になりM様も不安な気持ちだったのだと思います。夜間に壁を叩く、大声で家族を呼ぶ、携帯電話で用もなく電話してしまう等の行動から、自宅で介護を続けるのが難しいとの判断で、利用を始めました。4泊5日程度の利用で、週の半分以上をパライソで、残りを自宅で過ごす日々が始まりました。

パライソでは、毎月企画するイベントや、ケーキバイキング、マッサージ、食事の時間も皆で過ごすため、人との交流が多いです。

どうしても自宅では一人で部屋に籠りがちになってしまう中で、そんなパライソでの暮らしは心地よかったようです。

家族様からも、「元々社交的であった母が車いす生活となり、内向的になってしまったが、その後パライソでおとなの学校(職員が先生・利用者様が生徒となり学ぶ時間)や集団体操、マッサージ等の機能訓練への参加、スタッフ、他利用者との交流を通してまた元気な姿に戻った。」といったお話を頂戴しました。

様々なイベント、レクリエーション活動の他、身の回りのことができない不安に寄り添う中で職員との信頼関係もでき、M様はパライソに来ることをとても楽しみにされていました。




M様の左こめかみから左耳にかけて腫脹が認められるようになってきました。(このころからパライソを長期で利用するようになりました)家族様、担当ケアマネージャーには病院受診を勧め、ドクターからは様子観察との話がありました。ただ、次第に患部より浸出液、出血もみられるように。パライソの看護師と状況を確認し合い、看護、介護で連携して毎日処置を行うようになりました。

逐一、状況の変化は家族様、ケアマネージャーにはお伝えしていました。その時よく聞かれたのが「退所になりますか?」との言葉でした。家族様は同時期にM様からすると義理の息子にあたる方の体調が芳しくなかったこともあり、今M様が自宅に帰ってきても満足に介護する事も出来ず、安心して暮らせないのではないかと強い不安を覚えていたと思います。

M様の状態が今以上に悪くなってしまうとパライソでの暮らしも難しくなることをお伝えし、必要時は病院受診をしながらパライソでの生活を続けていきました(医療機関からは入院はできない、高齢のため手術も不適合ではないかと話があり、今後どうしていくかの検討も継続していた)。

その後もこまめに皮膚状況に注視しながら処置を継続していきました。M様自身も患部はかなり痛かったと思います。それでも処置を続けながらこれまで同様の生活を継続されていました。しかし、刻々と状況は悪くなりました。壊疽(血行障害や重度の感染、神経障害等により皮膚および皮下組織、筋肉などの組織が壊死に陥り黒色や黄色に変化した状態)と思われる所見も出てきてパライソで出来る処置の範疇ではなくなってきました。結果的に、家族様、ケアマネージャーに相談し病院への入院となりました。

その後も家族様、ケアマネージャーとは連絡を取り合い、M様の状況把握を続けました。M様は入院後すぐに元気をなくし、ずっと横になったままの生活となり、家族様が面会に行っても返答すらしなくなってしまったようです。パライソを退所してから約1か月後に逝去されたとの連絡を頂きました。




M様が亡くなられた後にはなってしまったのですが、「あしたがくる」というパライソの様子を映画にした作品が完成しました。生前のM様も映っていたためぜひ見て頂きたいと思いDVDをお送りした所、数日後電話を頂き、「母が最期まで人間らしく生きることが出来たのはパライソの皆様のおかげです。無理を言って見ていただき、ご迷惑をおかけしましたが本当に感謝しかありません。ありがとうございました。」とのお言葉を頂きました。

M様の1周忌を終えた後でした。家族様が挨拶にパライソに来館いただきました。1年もたってなお、我々の事を心にとめていただいていることに胸がいっぱいになりました。そこまで思っていただけるようなケアが果たしてできたのだろうかと、あくまでもそこは謙虚に自らの行いを振り返るとともに、でもどこか少し自信を持てた気がします。

施設という存在は、利用者様にとっての人生最期の場所であるからこそ、その役目は大きいと感じます。でも同時に、その家族様にとっても果たすべき役目がある事を改めて身に染みて感じた事例でした。

大きな役目をしっかり果たせるよう、これからも新しいことを絶えず学び、行動して、自らを磨き続けていこうと思います。



パライソショートステイand支援課


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