『Saturday〜paris match〜』土曜日の彼女の事。
毎週土曜日になると彼女はやって来た。
どうやらお目当てのクルマがあるらしいのだが、なかなか見つからない様子。
彼女は中古車展示場の道路際に設置してある、車の詳細が表示されたインフォメーションパネルと『にらめっこ』していた。
生憎の小雨の中、水色の傘から時折横顔が見える。
ショートヘアのちょっとした美人。
今週も彼女のお眼鏡に叶うクルマは無かった様で、僕が席に戻った時には、後ろ姿を見せながら帰って行くところだった。
「店長。彼女、今週も来てますよ。」
店内の受付カウンターに座った僕は店長へ声を掛けた。
「どれどれ?何だよ、誰も居ないじゃないか。」
少し小太り気味の店長が腹を摩りつつ、細い目を更に細めながら展示場を見廻す。
小雨降る土曜日の午後。
あの雲の向こう、夏の太陽は今日も顔を出さなかったな・・・。
店内に少し広がった微妙な空気を察知した僕は、店外へ脱出する事に決めた。
「店長!展示車両の車内チェックして来ます!」
暇な週末。そんな時は『査定の勉強』という大義名分の元に、展示車の中で休むのがベストだ。
🚘🚘🚘
『フォルクスワーゲンTYPEⅠ』通称ビートル
のシートに身を沈め、エンジンをスタートさせる。
トルクの太いエンジン音が展示場に響く。
アクセルを踏み込む。
エンジンは好調。
と、ここで僕はある事を思い出し、少し後悔した。
このクルマにエアコンは搭載されていない。
ドアの内側に付いたレバーを回し、運転席側の窓を雨が吹き込まない程度に開ける。
暑い。蒸し暑い。
噴き出し口からは緩い風が出て来るだけ。
早く査定を終わらせ別のクルマに移動しなくてはならない。
『コン、コン。』
助手側の窓を叩く音がした。
顔を上げると、そこに例の彼女が立っていた。
🚘🚘🚘
「エエっ?!そんなに大変なんですか?!」
マニアックなクルマに疎い人特有のリアクションが返ってくる。
そう。外車なら尚更だ。もしオーナーになるのならば、国産車が如何に優れているか、嫌という程実体験として知る事になるだろう。
『フォルクスワーゲンTYPEⅢ』
ラグジュアリーなスタイルの車体に、キャルクラフト製のアルミホイールを履かせるのが、90年代後半の流行だ。
しかし、お洒落な外見とは裏腹に、外車・・しかも旧車となれば、乗り手にかなりの根性が要求される。
雑誌に載っている様なオーナーは大抵、その不便さも含め、クルマの存在そのものを愛しているのだから・・・。
説明を聞きながら少し困った表情で「それでもTYPEⅢに乗りたい」と彼女は言う。
何が彼女をTYPEⅢへとかき立てるのか、少し興味を持った。
「だってカワイイじゃないですか。」
可愛いクルマなら日産のマーチをベースにしたBe-1とかフィガロがありますよ。と言いかけ、別の店舗に『フォルクスワーゲンTYPEⅢ』があった事を思い出した。
「見てみたいです!!」
大きく目を見開き、彼女は大きな声を上げた。
その水色の傘の向こう、いつの間に上がったのか少し青空が顔を出していた。
🚘🚘🚘
「今度の金曜日にTYPEⅢを滝谷町店から持ってくるよ。」
店長はとても嬉しそうだ。
その表情には「売ろう」という気概は無く、個人的な興味が勝っている様子。
元々整備士だったせいか、色々なクルマに乗ってみたいだけなのだ。
僕は取り敢えずの見積りを作成しながら、やはりお薦めしなければよかったと後悔した。
だって毎週見に来ていた位だ。
他のお店にも行っているだろう?
『彼女は来ない。』
何故かそんな気がしてならなかった。
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『Saturday』 paris match 2002年
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ボーカル・ミズノマリ
作曲、編曲、・杉山洋介
によるユニットだ。
洗練されたサウンドに、少しハスキーがかったミズノマリの唄声が重なる。その瞬間、世界は華やかな彩りに溢れ、得体の知れない豊潤で幸福な『何か』に心が満たされていくのだ。
「それは現実というファンタジーの世界」
一見、生活臭の無い世界に住む『お洒落ビト』に見えるparis matchだが、実際には違うだろう。
観える部分は全てエンターテイメントだ。
彼らの表層的な「お洒落なライフスタイル感」を目指し、真似をしたところで、結局、何も手に入れる事は出来ないだろう。
確固たるアイデンティティ。
涼やかな表情と凛々しさの裏側。
「Grace under pressure」。
そんな事すら感じさせない自然な佇まいが本当に素敵だ。
🚘🚘🚘
予想通り、土曜日になっても彼女は姿を現さなかった。
それで良かったと思う。
店の前に飾られたTYPEⅢはピカピカに光っていて、とても美しい。
前オーナーによる愛の結晶が目の前に在る。
美しい外見と違い、車中はガランとしていて、パワーウィンドウもパワーステアリングも、もちろんエアコンも付いていない。
でもね。それがこのクルマの真の魅力なんだ。
真夏に蒸し風呂の様なクルマに乗り、涼しい顔していれる覚悟があるかい?
きっとあのお洒落な人も、本当は汗だくなんだよ。
でも。もし、もしかしたら・・・なんて・・・
🚘🚘🚘
それ以来僕は、たまに道でTYPEⅢとすれ違うと、運転席に彼女の姿を探すようになっていた。
そう。汗だくになりながら運転する彼女をね。
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