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連載小説「和人と天音」(11)

 作文教室の桑田先生は、まだ三十歳になっていない。和人のじいちゃんの元同僚で、じいちゃんは七十歳だからずいぶん歳が離れている。だけど、二人は仲良しだ。仲良しといっても、いつも一緒でよく喋り合い笑い合う、といった感じではない。たまにしか会わないし、会ってもあんまりたくさん喋るというわけではないのに、二人でいると何となく雰囲気がやわらかくて、小さな違いにこだわらないで、うん、そうだ、そうだと言い合ってる風な感じが和人にはするのだ。

 じいちゃんは小さな出版社で編集の仕事をしていた。その会社を5年前に定年で辞めたが、週のうち三日通う嘱託勤務という身分になった。桑田先生は5年前に入社して、じいちゃんが桑田先生の指導係のようなことをしていたらしい。

 結局、じいちゃんはその年限りで会社を辞めてしまった。
 何かがあったのかも知れないが、和人にはわからない。じいちゃんは大人同士の嫌な話は和人に聞かせない。
「会社ってところは、どうでもええようなことがたくさんある。本当に大切なことはどっかに隠れてて見えないんだ」
 会社を辞めた時、じいちゃんが母にそんなことを言っているのを聞いたことがあった。和人にはよくわからなかったが、じいちゃんが辞めたんだから、あの会社はいい会社じゃなかったんだ、と思った。


 桑田先生は、昨年ある小説コンテストで受賞して出版社を辞め、作文教室を開いた。そして、教室に行かない時間は小説を書いていろいろな文学賞に応募していた。じいちゃんは、会社を辞めてから何も働かない。毎日将棋の教室に通うのと、今年の3月までは、和人の拳法の先生をしてくれた。それ以外の時は家で本を読んでいた。

 今日のコラージュ作文のテーマは「自分」だった。どんなことでもいいから、自分についてコラージュしてきて、話し合うことになっていた。昨日の夜、和人の部屋で和人と恭二は、それぞれ自分についてのコラージュ作品を作ったのだ。今日はそのコラージュを発表しあってから、そのコラージュをもとに作文を書くことになっている。
 
 和人のコラージュは、いろんな表情の自分の写真を何枚も切り抜いて重ね合わせ、顔の万華鏡みたいなものができていた。その万華鏡写真の隣に白い髭を生やした大蛇がとぐろを巻いていた。巻いていたとぐろを解こうとしているところのようで半分ぐらいとぐろは解けて首を上に伸ばして周りを見回しているようだ。全体の下地は海のような、宇宙のような薄青い色が塗られていた。
「ぼくは自分の気持がわからないことばかりです。怒っても泣いても笑っても、自分の本当の気持ってよくわからないことが多いです。そっちが気になって、大切な人のことに気がつきませんでした。この蛇が大切な人だとしたら、どうして見回してるのか、どこへ行きたいのか、とか気にしてなかったんです。」


 和人が話すのを桑田先生はゆっくりと頷きながら聞いてくれた。
「ぼくはもういい大人だけど、未だに自分のことはよくわからないままだよ。でもね、自分のことがわからなくても生きていけるし、わからないことがある方がなんかワクワクするよね。自分の新しいところが見えてくると、書くことも楽しくなるよ」
 和人のコラージュをじっと見ながら、桑田先生が言った。それを聞くと、和人は何だか嬉しくなった。

 恭二のコラージュは画用紙の真ん中に鐘の絵が描かれていた。画用紙の4分の1ぐらいある大きな鐘だった。風に吹き飛ばされたみたいに鐘は逆さまになっていた。右上から左下に向かって、緑色の風の通路が描かれていた。小さな人や虫が緑の風の通路に無数に描かれていた。緑の風に吹き飛ばされて空中を漂っている鐘の周りに人も虫たちもバラバラに染みのように浮かんでいるのだ。ただ一匹、大型のカマキリが大きなハサミを鐘の方に突き出して、緑の風に流される鐘の紐をつかまえようとしていた。
「これ俺」恭二はカマキリを右手の人差し指で指して言った。「この鐘は俺の姉ちゃんの夢の鐘、俺はこの鐘を助けようとしてる。そういう運命なんだ」


「同じテーマでも、人によって何に引きつけられるか、全然違ってくるね。みんなの中にある自分ってものが一人一人別々だからだね。その自分探しがおもしろいね」
 恭二のコラージュを見ながら、桑田先生が声に力を込めて言った。

 桑田教室で作文を書くのが、和人はいつも楽しい。ここでは、正しく書くとか、うまく書くとか、気にしなくてよかった。心に湧いてきたこと、感じたことを、自分なりの言葉にすることができればよかった。そして、自分で書いたものを読み返して、先生と恭二に和人が感じたことが通じるかどうか、最後にそれを考えて、手直しするかどうか決めた。学校の作文とは全然違った。先生に正解かどうか判定してもらわなくていいのだ。褒めてもらわなくてもいいのだ。ただ自分で自分の気持ちがわかって、それを正直に書いて、ちょっとでも、先生や恭二が笑顔になってくれれば大成功だった。

 恭二は姉の夢のことを書いた。姉がどんなに難しい、苦しい目にあっても自分は必ず姉の夢を守ると書いた。
 和人は、今の自分はじいちゃんに守られている。自分に何ができるのかよくわからない。でも、いつか船に乗って旅に出て、じいちゃんを守る力を身につけて帰ってくる、と作文に書いた。
 桑田先生も書いた。小説の神様から魔法の杖を借りて、皆を笑顔にするために百編の短い小説を書いて、配って歩く男の話を書いた。

 皆が自分の作品を朗読して、その感想を言い合った。
「誰の作品も、自分らしく書くと言う点では成功ですね」
最後に桑田先生は、ふわっと笑ってそう言った。恭二も和人も笑顔になった。


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