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世の中の理不尽な不幸が当たり前なら、理不尽に優しくする人がいてもいいよねって思いながら動画を作っている話。

動画を作るのは思いの外大変です。

文字をちょこちょこ入れて
タイミングも見て
Xに上げられる程度の長さに調整して
速度とピッチをいじり、
わかりやすいか、ついていけるか
などなど、考えることは山積みでした。


そもそも、
この内容は誰かの為になるのか?
なんて考えたりもします。


正直な話、
この動画を作ることによって
ゴリラが有名になるからと言って
更に言えば、
このゴリラに近づくことによって
何かを売りつけられたり、
スカウトを押し付けられたりはしません。


ただの趣味ですから。


ではなぜこんな偽善者のようなことをするか。


理不尽による不幸が当たり前な世の中なら。


大人はみんな口を揃えて言いますよね。
「理不尽なことなんて当たり前だ」と。


口に出さなくても、そう思ってる方は多いのでしょう。

「理不尽に不幸になる人がいて当たり前だ。」

「自分だって沢山の理不尽に耐えてきた。」

そうですよね。そうかと思います。


でも、そんな世の中しんどくありませんか。

ゴリラはそういう、
「異常なことに対して盲目になってしまう」
そんなことが何より怖いのです。

みんながそうだから、当たり前だ
当たり前だから、仕方がない
そんな世界は正直好きではありませんから。

そんなゴリラはない頭をフル回転して気づきました。


理不尽な優しさもあっていいのではないか。

理不尽な不幸やワガママで苦しめられる人が当たり前でいいなら、
そんな人を理不尽に優しくする存在だってあっていいのではないでしょうか。


ゴリラは、そんな存在になりたいのです。


自分の経験や知識を使って
つまづいてしまう人を減らせるなら
動画を作る労力など大したことないのです。


でも、見てくれる人がいなければ
話になりませんから、
こうしてノートを綴っているわけです。


以前も思いましたが
こうして
「自分は無害です!!」
とアピールすればするほど
有害に見えてしまう不思議🦍

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