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芥川龍之介と萩原朔太郎の友情

こんにちは彭城吾朗(さかきごろう)です。

今日はふた月に一度の通院の日です。
今病院の待合室にいて、
順番まであとまだかなり時間あるので、
この間に記事書きます。

何度も公言していますが、
自分にとって最上の文学者で、
心の師匠と呼べる人は、
詩人萩原朔太郎ただ一人です。
もう彼を知って三十年以上になります。
常に私の人生の傍らには朔太郎の存在感が寄り添い、
いつ終わることなく私をインスパイアし続けてくれています。

現在私は宮城県のあるど田舎町に住んでいますが、
隣町の図書館に萩原朔太郎全集が置いてあって、
それを、それこそこの三十年間ずっと、
ときに調べものをしに、
ときにただ目的もなく、
しばしば読みに足を運んでいます。
今ネットで中古で3万円くらいで全集買えるようなので、
いつか買いたいと思っていますが、
それはタイミング次第でしょうか。
所有してる朔太郎の著作は岩波文庫の詩集、短編集、ほかです。
萩原葉子著「父・萩原朔太郎」も大好きな愛読書です。

前置きが長くなりました。

芥川龍之介と萩原朔太郎の友情。

この大正時代を代表する小説家と詩人は、
ある時期、
住まいが近かったこともあり、
親しく交友し、
ときには激しく文学論を戦わせたそうです。
芥川は朔太郎のある一連の詩篇に猛烈に感動し、
朔太郎は、
日本の小説が読むに耐えないと思ってる中、
例外的に芥川と谷崎潤一郎の小説だけは認めていました。
ところが、
さすがは読書量が貧弱な私の師匠、
朔太郎もあまり熱心な読書家タイプではなく、
例外的に認めている芥川の作品であってさえも、
少ししか読んでいなかったそうです。
それを芥川はとても残念に思っていて、
文学論でぶつかると、
「きみはぼくの作品をちっとも読んでないじゃないか」「君がぼくの全集を読んでくれたらなあ」
と嘆いていたそうです。
芥川は、
彼の求める「詩的精神」から、
朔太郎に近親的な情を覚えていたようです。
なのにある随筆で「萩原君が文学者として完成するかは疑わしい」などと厳しく書いたのは、
朔太郎が自分の小説を読んでくれなかった悲しさから来てるものかもしれません。

そして芥川が自殺します。

朔太郎は大きなショックを受け、
有名な追悼文を書きます。
ほかにも繰り返し芥川との思い出をエッセイに綴ります。

朔太郎は芥川の死後初めて芥川の全作品を読み、
芥川が言いたかったことをだいぶ遅れて理解します。

これが、
二人の出会いと別れのエピソード(の一つ)です。

読書量の問題。
文学仲間の友情の問題。

いろいろ考えさせられます。

私は、
音楽をメインでやっていた時期と画家として活動していた時期が長く、
文学は頻繁にインターバル込み込みの断続的な活動だったので、
物書き仲間というのが実人生で一人しかいません。
その仲間がこれまで発表した小説はぜんぶ読んでいます。

これから、
願わくば物書き仲間というものを増やしていければと思っていますが、
芥川と朔太郎のエピソードを想えば、
未来の物書き仲間の作品はちゃんと読むべきかもな、
読書下手のこの性格何とかしないとな、
と、
ちょっと先走り気味ですが、
考えています。

芥川の作品考、
朔太郎の作品考も、
また別の機会に書きたいと思います。

そろそろ診察の順番が呼ばれそうなので、
これで筆を置きます。

ではまた。







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