1960-1970年代の高屈折率低分散ガラスの発展

1960年代から1970年代にかけての高屈折率低分散領域の光学ガラスの発展の流れについていくつかの特許文献を参照しながら記述しています。

背景

1960-70年代は、これまで順調に一方へ向けて発展してきた高屈折率低分散光学ガラスが初めて大きな後退を余儀なくされ、その代替技術の開発に各光学ガラスメーカーが奔走したというある種特徴的な時代でした。

高屈折率低分散光学ガラスは、クラウンガラスに酸化バリウムを添加したバリウムガラスに始まり、バリウムよりも高屈折率化効果の高い高価な酸化ランタンを使用したランタンガラスに発展し、1950年代にランタンガラスの高屈折率化が限界に達すると放射性元素のトリウム (Th)を添加したトリウムガラスが開発されました。

トリウムガラスの時代

トリウムはそれ自体が強い高屈折率低分散化作用を持つ上にランタンガラスに添加するとランタンガラス特有の失透傾向(後述)が改善して量産が容易になり(酸化トリウムの価格の高さを差し引いても)製造コストを抑えられるという正に理想的な成分だったのです。

しかし微弱とはいえ放射能を持つトリウムガラスは生体に有害(最終製品の線量だけでなく製造工程での作業員の被曝や土壌汚染などの問題も考えなければなりません)な上に、自身の放つ放射線により経年的にガラスが黄褐色に着色して透過率が低下していくブラウニングと呼ばれる現象が起きる欠点がありました、また時代とともに厳格な放射性物質の管理が求められるようになると製造コスト面でもメリットが薄れていきました。そのためトリウムを使わずに高屈折率低分散特性を実現したガラスの開発が急がれました。それらが実用化されるとトリウムガラスはすぐに姿を消すことになります。

トリウムガラスを使用した放射能を持つ交換レンズ製品はアトムレンズと呼ばれ、1960年代から1970年代前半に製造されたレンズにのみ見られ、中古市場でカルト的人気を誇りプレミア価格で取引されています。

トリウムガラスは、1960-1970年代の高屈折率低分散ガラスの特許出願を見ると「課題を抱えた既存の技術の例」として必ずと言っていいほど挙げられていことから分かるように一時代を築いた技術的に重要な存在でした。その重要さゆえに代替製品の開発は活発に行われました。

トリウムガラスの後釜」へのもっとも単純明快なアプローチは、既存のランタンガラス(酸化ホウ素—酸化ランタンの基本組成を持つ)の延長として酸化ランタンの含有量を増やしてさらに屈折率を高めるというものでした。実際のところ、トリウムガラスはランタンガラスの組成にトリウムを加えてさらなる高性能化を狙ったもので、それ自体ランタンガラスの派生型の一種ともいえるものでした。そのためランタンガラスの改良でトリウムガラスの代替品を得るという発想はごく自然なものでした。しかし往年のトリウムガラスに匹敵する高屈折率低分散特性を得るには、酸化ランタンの含有量を非常に大きくする必要がありました。酸化ランタンの含有量が増えると溶融冷却過程でガラス内部に酸化ランタンの微細な結晶が無数に析出してガラスを濁らせてしまう失透が非常に起きやすくなります。失透したガラスはもはや光学ガラスとしては用を成しません。この時代の高屈折率低分散ガラスの開発は、ランタン系ガラスを基礎として、いかに失透傾向を回避しつつ従来の限界を超えて高屈折率低分散化成分を増やしていくか。という方向性で行われました。失透を回避する方法の一つは、失透抑制に効果のある成分(主にレアメタル酸化物)を添加することです。前述の酸化トリウムもそのような失透抑制成分としての働きを持っていました

1959年のショットの発明

アルカリ土類金属酸化物などの二価酸化物や酸化タングステンの添加が失透抑制に有効なことが早い時期に見出されました。失透を抑制できれば酸化ランタンの量を比率を増やして高屈折率低分散化を進めることができます。しかしアルカリ土類金属酸化物は屈折率を低下させる副作用が大きく、添加を増やすと高屈折率特性を大きく損ねてしまいました。また酸化タングステンは失透抑制効果を得るに十分なほど添加量を増やすとガラスの着色が増大する副作用がありました。このようにして、トリウムガラスのポジションを目指した初期のガラスは失透傾向を克服できても屈折率は伸び悩み透過率も悪いという課題がありました1959年のショットの発明は従来のホウ素ランタン(B-La)ガラスにタンタル (Ta)やジルコン (Zr)を酸化物換算で4重量%以上加えることで失透抑制に効果があることを見出したのが新規な点で、この発明ではアルカリ土類金属やタングステンを全く使わずに(したがってその副作用も受けずに)十分に失透を抑制できることを示し、ランタンガラスの高屈折率化の道を開いたものとも言えます。タンタルやジルコンはランタンと同じく高屈折率化効果を持つため添加を増やしても屈折率の低下を招きにくい一方で、ランタンと異なり低分散化効果を持たず、どちらかというと高分散化(=アッベ数減少)に作用します。そのためこの発明のガラスは高い屈折率を持ちますが、ランタンの低分散化効果を失透抑制成分の高分散化効果がいくらか打ち消してしまうため、「中程度の分散で超高屈折率」(ショット分類でランタン重フリントLaSFやランタンフリントLaFに相当)というような「高屈折率と低分散を高いレベルで両立したトリウムガラスの真の後継」(ショット分類でランタンクラウンLaKの右上領域に相当)というポジションからはやや逸脱していきます。

画像1

アッベ図の右上に位置する高屈折率低分散ガラスの発達は普通クラウンからバリウム系・ランタン系と発展しトリウムガラスで頂点に達しました。トリウムガラスが廃止されると既存のランタンガラスの改良でさらなる高屈折率化を目指した開発が行われましたが、屈折率と低分散特性を両立できずにトリウムガラスの抜けた穴を完全には埋めることができずに、アッベ図の左上に向けてランタンフリントやランタン重フリントとして発展していくことになります。なお図中緑色の丸印は現行のショットの品種を表します。

特許出願の中では、B-La-Ta-Zrの4種類の組成からなる実施例が31種類示されています。このうちホウ素(B) はガラスネットワーク構成酸化物として冷却時のガラス化に必須のネットワーク構成酸化物として働き、ほかの3成分は高屈折率低分散化作用を持つ修飾酸化物として働きます。これら実施例の組成は、ネットワーク構成成分の酸化ホウ素とその他の3つの修飾酸化物の組み合わせと捉えることができます。後者の3成分ははいずれもほぼ同等の重量当たりの高屈折率化作用を持つので、この3成分の合計重量%、言い換えればホウ素:そのほか3成分の比率によって屈折率の値が決まってしまいます。この比率が1:2というようなホウ素が比較的多い実施例では屈折率は1.75程度、高屈折率化成分の比率を1:4まで高めた実施例では屈折率は1.9近くになります。ホウ素の重量%は20%程度が

3つの高屈折率化成分はそれぞれ異なる低分散化作用を持ち、3成分の比率によって分散(=アッベ数)が決まってきます。強い低分散化作用を持つのはランタンだけになので、高屈折率と低分散を両立する観点からは、ホウ素を減らして屈折率を上げ、タンタル・ジルコンを減らしてランタンの比率を増やして分散を下げるのがベストなのですが、酸化ランタンの重量%は最大でも60%程度が上限で、これを超えると失透が著しく実用にならないようです。失透抑制効果を得るには酸化タンタルや酸化ジルコンの重量%は4%以上が必要とされ、実施例ではいずれも5%以上が添加されています。

実施例を見ると、屈折率が高いものはタンタルが多く含まれ分散が高くなる傾向にあり、高屈折率特性と低分散特性の間で明らかなトレードオフ関係が生じ、この発明のガラスでは高屈折率と低分散の両立は困難です。

1962年のショットの発明

一方で1959年のショット発明のガラスにみられるような失透抑制成分の副作用による高分散化の欠点を解決しトリウムガラスの真の後継者を目指した光学ガラスも発明されました。1962年のショットの発明では従来のホウ素ーランタン(B-La)ガラスに酸化イットリウム(Y2O3)を加えたB-La-Y系ガラスが特定の組成条件下(Yの質量比がLaの4分の1前後)であればZrやTaその他の失透抑制成分を要せずに安定してガラス化可能なことを見出しています。イットリウム (Y) はランタンに似た化学特性を示すランタノイド元素であって高屈折率低分散化効果を持つため高分散化の副作用のある成分を失透抑制成分として使用した従来のガラスと比べて低分散特性の維持が可能というものでした。ただしこのガラスは試作レベルでは一応ガラス化は可能だったのの失透傾向が非常に強く、量産は不可能でした。次で述べる1973年ミノルタ発明のガラスは本ガラスの欠点を改良したものでした。

1973年のミノルタ

1973年のミノルタ発明のガラスはこの1962年のショット発明のガラスをベースとしており、ショットと同様のB-La-Y系の組成にゲルマニウム(Ge)やニオブ (Nb)を失透抑制成分として加えると失透に対する安定性が大幅に向上するというものです。組成からYを抜いたB-La系ガラスにGeやNbを添加した場合はこの安定化効果はほとんど見られずLaを増やすと著しい失透が生じてガラス化が不可能になったと説明されています、このことからGeやNbがYと共存していることが特に重要とみられるとのことです。この組成をとることで失透を回避しながら高分散化作用のある失透抑制剤の添加を抑えて高屈折率低分散成分であるLaやYを増やし、従来のランタン系ガラスでは困難だったトリウムガラスに匹敵する高屈折率低分散特性を持たせ、なおかつ失透しにくいので安定して量産が可能というものです。


1971年のニコンの発明

酸化ホウ素とランタンの組成に酸化ガドリニウム (Gd2O3)を加えた組成になっています。ガドリニウムはランタンに類似した化学特性を示すランタノイド元素の一種であり、ランタンと同様の高屈折率低分散化作用があります。この組成は、ランタノイド元素のイットリウムを利用した1962年のショット発明のガラスとの類似性が見られます。この他にアルカリ土類金属酸化物または酸化アルミニウムを失透抑制成分として加えています。失透抑制成分が増えすぎると屈折率が低下するのでその質量%は20%以下と規定されています。このガラスで失透抑制成分として使われているアルカリ土類金属酸化物や酸化アルミニウムは、1959年のショット発明のガラスに見られるジルコンやタンタルとは対照的に、副作用として高分散化よりも屈折率の低下を招きます。そのため、屈折率はやや低めになるものの低分散なガラスを実現できます。


1971年のHOYAの発明

酸化ホウ素—酸化ランタンの組成に失透抑制剤として酸化亜鉛酸化タンタル酸化ニオブを添加したガラスです。従来のガラスの中には12族元素で二価の酸化数を持つカドミウム(Cd,ガドリニウムとの混同に注意)が失透抑制剤として優れた効果を持つことが知られていたが、カドミウムは価格の高さと生体に対する毒性が問題となっていた。そこでカドミウムと同じ12族元素である亜鉛 (Zn)の添加量を増やして失透を抑制し、高屈折率低分散成分であるランタンを増やし、高屈折率低分散特性を得たガラスになっている。タンタルが高屈折率化および失透抑制に有効なのは1959年のショットの発明で明らかにされていた




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