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申し分なく楽しいのだと答えた


傘を持ち歩いた日に限って、雨は降らない。

図書館で予約していた本がある。半年以上待たされた挙句、ようやく自分が借りれる番になったが、今日がその本の受け取り期限だった。仕事の都合でどうしても図書館まで受け取りに行くことが出来ず、泣く泣く諦める。

深夜、誰もいない部屋で翻訳教室の課題小説をひたすら訳し続ける。どうしても文意を掴めない箇所があって、やきもきする。訳し終わて最後にはすっきりしたが、頭にいくつか蕁麻疹が。

昨日読んだ『ミメーシス』に引用されたサン=シモンの『回想録』の人物描写が気に入り、同書の日本語訳を購入しようとwebで検索するがヒットしない。ヒットするのは彼の甥のサン=シモン(社会主義思想家として歴史的に有名)の著作ばかり。どうやら、邦訳が存在しない?図書館の蔵書検索ももちろんヒットしない…。『回想録』の膨大な量を思えば、フランス文学者数人分の人生を賭しても翻訳しきれないであろう。将来、読めるようになる時が来るとすれば、私がフランス語で原文のまま読めるようになるか、あるいは酔狂な翻訳者が新たに邦訳してくれるのを待つか。どちらも望みは薄い。。とすると、『ミメーシス』に引用された文章の和訳が、サン=シモンの文章の貴重な日本語訳となる。

ミメーシス』から、サン=シモンが、彼の義妹の一人、ロルジュ侯爵夫人について書いた人物評を引用する。彼女は、かつては権勢があったが失脚した大臣の娘で、サン=シモンがある手紙で「おまえ」と呼んでいる婦人である。(第二十四巻275-277ページ)

 シャミヤールの三女、ロルジュ侯爵夫人は、五月の末、キリスト聖体節の日に、二人目の男の子を産んだ産褥の床で、二十八歳で亡くなった。彼女は、大柄な女で、姿美しく、愛想のよい顔立ちで、才気があり、この上なく純な、誠実な、何に対してもこだわりのない性質だったので、魅力にあふれていた。この世の最上の女性で、あらゆる楽しみに、とりわけ大金を賭けての賭博にこよなく熱中していた。大臣の子供たちの愚かしい虚栄と尊大ぶりとは全く無縁だったが、それ以外のものならなんでもありあまるほど持っていた。ごく若いうちから父親の寵を得ようとするための追従に甘やかされ、母親には何の教育をする力もなく、彼女はフランスも王も自分の父親なしですむとかんがえることもできなかった。彼女はいかなる義務も、また礼儀さえもわきまえなかった。父親の没落は彼女に何事も教えず、賭事や娯楽への熱狂を鈍らせることもできなかった。このことを彼女はいとも無邪気に認め、その後で、自分はどうしても我慢できないのだといい添えた。彼女ほど自分のことに気を使わない無精ものは一人とていない。被り物は曲り、着物は一方を引きずって、その他もすべて同様のあり様で、しかもしれがみなある優美さを保っていたためにすべてを償っていた。健康のことは全く意に介せず、金使いに関しては、常に足は地についているものと思っていた。彼女は虚弱で、胸が悪くなった。ひとにもそういわれ、自分もそれを感じるのだが、何事にもせよ、自制することは彼女にはできなかった。最後の懐妊のときに、彼女は賭博や、遊山や、夜更かしやで、とうとう限界にまでつき進んでしまったのだ。毎夜、彼女は馬車に斜めに身を横たえて帰宅した。この有様で、どんな楽しみがあるのか、と誰かが彼女に聞いた。彼女は、弱っているためにほとんど聞き取れない声で、申し分なく楽しいのだと答えた。だから彼女は程なく死んだのだ。彼女は王太子妃とはことのほか仲が良く、大抵のことを打ち明けられていた。私も大変彼女とは仲が良かった、だが、私は常々、決して彼女の夫になりたいとは思わなかったろうと彼女にいっていた。彼女はとても優しく、全然関係のない人にも誰彼となく愛想をふりまいていた。彼女の父親と母親はそのことで深く悩んでいた。

E・アウエルバッハ(著)篠田一士・川村二郎(訳)『ミメーシス 下 ヨーロッパ文学における現実描写』筑摩書房,p.278-279

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